【今花】16%のレゾンデートル

カラン……
乾いた音と共に机の上に転がるサイコロ。もうこの音を何回聞いたんだろう。
「あちゃー……ワシやな」
どうせなんとも思ってない癖に、この妖怪はさも一大事って感じで額に手を当てた。
机上のサイコロの目は『YOU GO』。
このサイコロは数字の代わりに単語が書かれていて、他に『I GO』と『TOGETHER』と『ONCE MORE』がある。俺達が同棲(コイツが無理矢理部屋に引きずり込んだ)を始めた日に、何気なく入った雑貨屋で買ったものだ。棚のサイコロを見ていた俺に、翔一さんは「おもろそうやん」つってそのままレジに持って行った。それからは何かする度に順番でこのサイコロを振るのが習慣だ。今も正にどっちがゴミを捨てに行くか、で振った。
「昨日のゴム、ちゃんと包んで捨てたか?」
ゴミ箱を覗きながら咥え煙草でへらへら笑う顔が心底ムカつく。
「死ね。つーか灰落とすなよ」
ここに引き込まれたのは俺が大学に入ってすぐの頃。幸か不幸か蜜月は疾うに迎えていたけど、同じ大学に通うなんざゴメンだし、まして一緒に住むとか有り得ない。でも俺がどんだけ足掻いたって、この人には敵わないってのも知っている。だからこのサイコロは救済措置だ。サイコロの結果を遵守するのが俺達の馬鹿げたルール。
「今日はサークルで飲みあるから遅くなる」
「ん。分かった。なんかテキトーに食べるわ。ほな、お先」
玄関先で翔一さんを見送るたびに思う。この人は何故俺と居るのだろうと。けして誠実じゃないが、いつも必ず帰ってくるのが未だに理解出来なかった。


で。誠実さの欠片もない翔一さんはまた浮気した。
しかも最悪な事に俺達が住むこの部屋で、俺達が寝ているこのベッドで、だ。
「スマン!この通りや!!」
ベッドに腰掛ける俺の前で土下座する頭を冷ややかに見つめる。この人の浮気癖は何も今に始まった事じゃない。中学時代から何度もあったし、俺じゃ満たせない部分が有るから女で補うのは仕方ねぇ。とはいえ俺にも情はある。
「毎回言ってるけどさ、バレないようにヤッてくんねぇ?」
「いや、バレるつもりは無かったんよ?お前が飲み会やっちゅーのに早う帰ってくるから……」
終いには、うなだれつつ反省もなく責任転嫁してきやがる。
「確かに出掛けに遅くなるって言った。だからってここに連れ込んでんじゃねーよ。女の匂いがするベッドで俺に寝ろってか?」
「シーツ替えます」
「ウゼェ。俺は女々しいことウダウダ言うつもりはねぇ。だからって俺が傷付かねーとでも思ってんの?」
更に問題なのは、翔一さんの浮気相手がことごとく俺の知り合いだって事だ。少なくとも俺が把握しているヤツは全員。さっき俺と出くわして半裸で出てったのも、ゼミで席が隣の女だった。
「もう、アンタの事、分かんねぇわ」
この人の事が分からないのなんて最初からだけど。初めて中学校の廊下で声を掛けられたあの日からずっと、本当に理解出来た事なんて無かったんじゃないか。そう思ったらこの五年間が馬鹿馬鹿しいし、絆されてズルズルきた自分に苛つく。
「顔も見たくねー。じゃーな」
「待ちぃや」
バッグを持って立ち上がる俺の腕を翔一さんが掴んだ。
「んだよ」
「ワシの番や」
顰めっ面で睨んでみても翔一さんは笑ってて、手のひらに乗せたサイコロを見せてくる。この期に及んでソレで決めるってか。
「ハッ……んな意味ねーよ。もう決めた事だ」
「せやけど、ワシらのたった一つのルールや。最後くらい付き合うて。I GOが出たらワシが出てく。この街からな」
「あ?」
「お前はもうワシの顔も見たくないんやろ?ならここに住んでられへん。それぐらい潔うせな、お前に示しつかんやろ」
そこまで潔く出来んなら、とっとと俺をフッて女と付き合えばいい。
律儀に家に帰ってこなくていい。
そもそもアンタは、別の可能性も考えて言ってんのか?
「ふはっ……いいぜ。振れよ。どのみちサヨナラだ」
俺は挑発するように顔を歪ませて笑う。
が、それ以上に目の前の狐顔は口元をイヤラしく歪め、空に手をかざしていた。
「ま、て……」
その笑顔が危険だってのは嫌ってくらいに分かってる。俺は考えるより先に手を伸ばすが、一歩遅かった。翔一さんの掌が返され、正方形が宙を舞う。

      カラン……

机に落ちるまでの一瞬が、やたら長い。俺は轢死体でも見るように恐る恐る机を見た。
『TOGETHER』
畜生。
あぁ……そうだ。コイツは、こういう場面で当ててくるヤツだ。長閑すぎて忘れてたぜ。
俺は全身の力が抜けてその場に崩れ落ちる。固い床に膝が当たると覚悟していたら翔一さんに抱きとめられた。鼻を擽る煙草の匂いに安心を覚えるこの身体が憎たらしい。
「残念やったな、真」
「ハッ……最悪だ」
翔一さんの肩に頭を置いて伏せると、子供をあやすように背中を撫でてくる。この人は狡い。そうされたら俺が済し崩しになるのを知っている。
「ワシが抱いた女、どーいうコらか知っとるか?」
「興味無ぇよバァカ」
「みーんな、お前に惚れとる奴らや」
「は?」
思わず顔を上げれば翔一さんの顔が予想よりも近くて戸惑った。いつもの調子で遠く見て語ってんのかと思ったら、すぐ横で俺を見つめている。
「昔っからやけどなぁ……お前が誰彼構わず懐こくするから、毒牙にかかるやつ多いねん。ホンマ厄介やわ……」
翔一さんは見るからに不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。まるでこっちが悪いことをしていると勘違いしそうになる。
「ヒデェ言い様だな。俺はアンタと違って余所見なんざしてねーだろうが」
「せぇへんな。ワシの事だけ、真っ直ぐに見とる。ちゅーかワシも一度たりとも余所見はしてへんよ」
「意味分かんねぇ。アンタ考えたことあんの?学校で隣の席の女からアンタの匂いがした時の気持ちを」
「そん時のお前の不快そうな顔想像すると堪らんわ」
「……悪趣味」
翔一さんが心底楽しそうに笑う。そのくせ、俺に回してる腕は優しいから気持ちの遣り場が無くなった。
「なぁ、正直に言うてよ。本当はどう思ってるん?本当にお前の知らない所で、お前の知らない女となら浮気して良えんか?」
「良くねーよ…………なんていうか、バァカ」
ダセェ。声が掠れる。鼻の奥がツンとして、目頭も熱い。
「俺は全然ガキで、本当はなんも妥協なんか出来ねぇよ……だけど、どうやったってオンナにはなれねーし、結婚だって、子供産む事だって出来ねーのに、なんて言ってアンタを縛るんだ」
ダサいついでに五年分の鬱憤を吐き出した。翔一さんは相変わらず笑っている。
「最初からそう言えば良えのに。全部受け止めたるよ。ワシは別に、お前の浮気疑ってその子らとヤッてる訳やあらへん。まぁ牽制ぐらいには思っとるけどな。それよか確認しとるんや」
翔一さんの手が濡れた俺の頬を包む。信じたくねーけど俺は人生で一番ってくらいに泣いてる。そもそも泣いたのなんていつ以来だよ。
「普通に結婚出来て、ガキ孕めて、輝かしい未来っちゅうのを築ける相手とセックスしたってワシは何一つ満たされへん。全部マイナスでも、やっぱお前が一番なんや。女の子宮にザーメン吐き出すたんびに、それを確認しとるんよ」
正直呆れた。何言ってんだ、この人は。
「……他に愛情表現出来ないのかよ」
「ワシはな、お前が不安そうに見てくるその目が堪らんのや。いつ泣いて縋ってきてくれるんかってずーっと待っとったけどな、強情すぎやわ。ワシが先に折れてしもた」
「ホント、死んでくれ」
翔一さんに死ねって言うのはもう口癖だ。どうせ俺からじゃ縁切れないからな。
「ワシは何度振ったって、この目を出す自信あるで?」
翔一さんがTOGETHERの面を見せて自慢げに笑った。
「ふはっ!アンタなら本当に出しそうで怖ぇーよ」
もうサイコロに細工してあんじゃねーかって疑うレベルだわ。俺は鼻で笑って、翔一さんからサイコロを奪って適当に放った。
カラカラ音を立ててフローリングを転がったサイコロの出目を二人で覗き込む。

ONCE MORE

「お前にしては上出来やん」
「バァカ」
運も俺の敵か。皮肉滲みたサイコロを指で弾いて、にんまり笑う唇を塞いでやった。


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