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5:ピンキーリングに願いを込めて


 此処はフランスのとある田舎町。農村から少し離れた場所にある小さな家は、数ヶ月前から未だに帰ってこない家主が住んでいた。
 地元の人しか知っていない此処の家は、廃れる事も痛む事もなく建ってはいるが、静まり返った家に残された一人の心は、寂しさで潰れてしまいそうだった。

"私は……行かなければならない。そこで、君に此処の留守を頼みたい。だが、もし私が出ていって一年経っても帰ってこなかったら、君はもう此処から出ていって構わない。細やかではあるが、君の旅立資金も用意してあるから"
 全身は冷たい金属の部分が多かったけれど、彼の心はいつも暖かかった。しかしそんな彼がある日、どこか思いつめたような怖い顔をしてPCを凝視していたのだ。
 部屋全体を包み込むような緊迫した雰囲気に、私は圧倒されたようにしばらく立ち尽くしていると、部屋の入口にいた私に気がついたらしい。
 そして彼は、ちょっと気まずさを含めた笑顔を浮かべて、私に家の留守を託す願いをしたのだ。机においてあるPCを大事そうに袋に詰め込んで、それ以外の手荷物は碌に準備などしてしなかった。まるでもう此処に二度と戻ってくるどころか、死んでもいいという覚悟が見えてしまって、私は咄嗟にポルナレフさんの腕を掴んで引き止めた。
 『行かないでください』、『ちゃんと帰ってきてください』、『私を一人ぼっちにしないで』と、いろいろとぶつけたい言葉があるはずなのに、私の口は"あ"だの"う"だのまともな音が出てこなかった。
 ポルナレフさんは急に腕を掴まれた事に、驚いたように目を見開いたけれど、すぐさまいつものような優しい笑顔を浮かべた。
"どうか、私の我儘を許してほしい。私は何処に行こうが、ずっと君の幸せを願っている。"
 掴んでいた私の手をそっと引き剥がすと、一回りも大きい両手で包み込むかのように握られた。低く落ち着いたポルナレフさんの声調は、慈悲深いけれど『私を引き止めるな』という強い願いが込められていた気がした。
   
 ポルナレフさんは窓から見る穏やかな景色が大好きだった。庭先で小鳥たちが戯れている姿を見れば、目を細めて笑みを浮かべる。自宅に食料を配達してくれる顔見知りを窓の外から確認すれば、慌てた様子で玄関先に出る。そしてひと休憩するときも、広いダイニングテーブルではなくて、わざわざ窓際の小さなテーブルを使って外を眺めるぐらいだ。
 前に一度だけ、『天気がいいから、今日は庭先で休憩にしませんか?』と聞いたことがあるが、彼は家の中から見るのが好きなんだとやんわりと断られてしまった。
 彼は窓という額縁から切り取られた平和な世界が好きだったのだ。争いも、傷つく人もいないこの作品を愛していた。
 でもポルナレフさんが此処を出ていってしまってから、ここの地域では滅多に無い大雨が額縁をいっぱいにさせた。
 空は黒い暗雲が広がり、大粒の雫が激しく窓を打ち付ける。穏やかとは間逆な光景に、不安げな気持ちで胸をいっぱいにさせながら、私は掌の指輪を握りしめた。
 嫌な予感がする。それを決定打にさせる確証というものはないが、私の勘というやつが知らせている。ポルナレフさんに何かあったんじゃないだろうか?探す宛もないくせに、あっちこっち駆け回って彼を探したいという気持ちに駆り立てられそうだ。
 思わず無駄なレインコートに手を掛けるが、握っていたピンキーリングがそれを止めた。
 この指輪は、ポルナレフさんの妹が持っていた形見。ポルナレフさんが妹の誕生日に送った7月の誕生石『カーネリアン』が埋められたピンキーリングだ。
 私がこの家にやって来て一年が経った時に、私に譲ってくれた大事な物。元は妹さんの物だと知った時に、慌てて返そうと思ったが"君も私の家族のような存在だ。君が大事に持っていてくれ"と、押し戻されてしまった。
 『カーネリアン』は邪気から身を守り、真実を見抜く力があると、プレゼントされた時にポルナレフさんが教えてくれた。
 "よく知っているだろ?"と、ポルナレフさんはニカっとした笑顔を見せてくれたが、その笑顔はどこか悲しさを誤魔化しているように思えた。まるで自分がもっと指輪に願いを込めていれば、妹を失うことなんてなかったのにと心の何処かで悔いているかのようにも思える。
 私達は恋人や夫婦という甘い関係など無縁ではあるが、お互いに大事な家族を失った同士な為か、血の繋がりのない家族のような関係を築いていたと思いたい。
 ポルナレフさんはどういう想いで、私にこのリングを渡したのだろうか。私は妹さんの亡くなった理由は知らないけれど、その実妹と同じ目に合ってほしくないという気持ちだったのだろうか。
 そういう理由だったら、私だって同じだ。私だってポルナレフさんに生きていて欲しい。私の家族のように無惨な殺され方なんてして欲しくないと願っているのに。
 どんなに悔しがろうが、今の状況は変わらない。『私のことはいいから、どうかポルナレフさんが無事にいられますように』と、ただただひたすらピンキーリングに願いを込めるしかなかった。

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 ――あれからもう1年は経とうとしていた。
 窓から見える景色は、花が咲き誇る春から緑林が目立つ夏に変わり、更には虫の声が聞こえてくる秋、そして葉が落ちた木が目立つ冬になって、やがてまた春が訪れようとしていた。
 あの日約束した一年になろうとするが、私はまだ旅立ちの準備さえしていなかった。ポルナレフさんが出ていってしまってから一度も連絡もないけれど、私はまだ諦めることができていなかった。
 自分しか居ない静けさに、何度も泣いてしまった事はあるけれど、私はいつかきっと帰ってきてくれるはずと僅かな希望を抱いて生活していた。 
 そろそろ此処を出ないといけないのか。と、そんな虚無感でボンヤリしていると、ふと此処の家にバイクの音が近づいてくるのが聞こえた。
 しばらくぶりに開けていなかった窓を開けようとすると、ギシギシと油が切れた音を鳴らしながらもやっとの事で開くことができた。手入れのされていない荒れた道を、一台のバイクが不慣れな運転で此処の家の前に走ってきた。
 身体を乗り出して見てみれば、それは郵便局のバイクで、運転手はどこか疲れた顔をしながらも荷台から何かゴソゴソと探っていた。
「お疲れさまです」
 そう窓縁から声を掛ければ、配達のお兄さんは少し驚いた顔をしながら"郵便です"と手に持っていた封筒を私に寄越した。ほとんどの人しか知らないこの場所に、手紙を寄越したのは誰だろう。しぼみかけていた僅かな可能性に私は、早る気持ちで宛先の名前を確認した。
「……大丈夫ですか? まさか、住所が間違えていましたか?」
 硬直してしまった私を心配したのか、配達のお兄さんに声を掛けられて私は我に返った。慌てて"大丈夫"だと答え、届けてくれたことに礼を言ってお兄さんを見送った。
 震える手でなんとか封を切り、何度も中身を落としそうになりながらも、手紙の内容を脳に叩き込むように幾度となく読み返した。
 この文字の書き方は紛れもなく彼の字だった。涙を溢したらインクが滲んでしまうからずっと我慢していたのに、私はとうとう堪えることはできなかった。
 床にへたり込んで、子供のようにワンワンと泣いて、グシャグシャになった頬を窓から入る暖かい風が優しく撫で付けた。
 ピンキーリングに込めた悲願は、予想外な形で願いを叶えたのだ。
 
 【お題サイト『きみのとなりで』 アクセサリーで5題から】

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