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2:ピアスをあけた理由


『愛しい我が娘へ。元気にしているかい? mammaとは仲良くやってるかい? 手紙を書いたのは、勿論習慣ってのもあるけれど、今度の4月○日の正午に、私に会いに来て欲しい。本当なら私が行きたいが……そこはわかってくれるよね。会える日を楽しみにしているよ。Buona girunata.』
 春らしく心地よい暖かな昼だった。顔なじみである父の部下から渡された手紙に、私は思わず顔を緩ませた。
 ところどころ手で擦れてしまったか、手紙の字は右にインクが伸びていた。ちょっとだけ汚れてしまった手紙だが、私にとっては貴重なものであった。
 父の部下にお礼を告げた後、私はすぐに手紙を母に見せた。母は"あらあら、またインク汚れが凄いわね"と、ちょっと呆れていたが、穏やかに笑っていた。

 私の父は、学校の友達のお父さん達と比べて、人には言えないような仕事をしている。『仕事』……って言って良いのかはわからないが、父がやる仕事っていうのは、公には話せない事らしい。
 そして父は、私が生まれた時から正面が分厚いガラスで遮られた檻にいるのだ。
 大きな身体にその箱は窮屈そうに見えるが、ずいぶんと快適に過ごしているらしい。父はその狭そうな箱の中から、何人もいる部下たちに仕事を与えているらしい。
 おまけに上部の人間で、一番偉い人からの待遇も良いらしい。これは全部、母から教えてもらっただけの情報で、まだ子供である私には知らない世界だった。
 だが、知らない世界とは言っても、危険で違法的な事なんだろうなと話の内容からして察することはできていた。
 
 現在私の家には、私自身と母だけで住んでいる。そして時々、母の叔母と父の仕事関係の人達が様子を見に来てくれる。
 幸せな事に皆親切にしてくれるお陰なのか、母は父がいなくても穏やかで優しい。それどころかお酒が入ると惚気話が始まってしまうぐらいだ。
 "昔はあんな巨体じゃなかったのよ。"とか、"あの綺麗な瞳に惹かれたの。"と、聞いてもいないのにベラベラと始まってしまうと、私はなかなかトイレに行けなくもなる。
 両親揃って暮らしていなくても、そんな優しい母と居ると不思議と寂しくはなかった。
 周りからは恐れられているらしい父も、私や母に対してはとても優しい人だと思う。抱きしめられた事なんて一度もないが、別れ際の時に大きくふくよかな手で、私の手を握ってくれる。
 触れられるのはそれぐらいしかないが、父が私を見つめる目もその体温の暖かさも、遠く離れた場所からでも私という娘を思っていてくれるのだと心で感じるのだ。

 約束していた当日、私は以前父からプレゼントされた服を着た。会話ができるのは本当に僅かな時間ではあるが、精一杯のおしゃれをする。
「papaによろしね。あとは……そう、くれぐれも気をつけてね」
「うん、大丈夫。何か他に伝えたい事はある?」
 "あら、そんなの決まっているじゃない。『愛しているわ』ってね"という相変わらずの母の惚気を背に、私は足軽やかに父が待つ別居地にへと足を進めたのだった。
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 いつ来ても、この雰囲気は慣れない。ジロジロと威圧的な視線を向ける監視官達、首から下げている銃も厳重な鉄柵もいつ見ても背筋が凍る思いだ。
 だけど、これをぐっと堪えられれば、15分間の親子の会話を楽しめるのだ。
 重たい金属音が響き、私は薄暗い廊下を辿りながら歩けば、暖かな光を見つければ、強張った心が嘘のように和らぐ。
「父さんっ!」
 ガラスの前に辿り着く前に、思わず声が出てしまう。最後に会ったのはいつだったか?まずは何から話そうか?
 早足で父の部屋前までに来れば、父はにっこりと満面な笑みで出迎えてくれる。
「久しぶりだね。どうだい? 元気にしてたかい?」
「本当に久しぶりっ! うん、私もmammaも元気にしているよ。……あぁ、それと、mammaが『愛しているわ』って伝えといてくれって」
 久しぶりに会えた父は、相変わらず驚くほど身体が大きく、よく病気にならずにすむなと心のなかで密かに思った。
 だけど、私はそんな事よりも、久々に話せることが嬉しい気持ちが大きかった。父は母の伝言に、目を細めて真っ白な頬を赤くした。
「……急に呼び出しておいて、悪かったね。実は……ほら、もうすぐ誕生日だろう? 今日はプレゼントを見せたくて呼んだのさ」
 感動の再会をほどほどにし、父は大きな身体をモジモジとさせて、どっかから取り出したリモコンを手にした。スイッチを点ければ、瞬く間に隠し扉が正体を現した。
 父は棚の一番奥側に手を伸ばし、小さな箱を手にしてから簡易的な冷蔵庫から好物であるバナナと、ワインも取り出した。
「……まずは乾杯だ。喜ばしいことに今年で成人だからね。そのお祝いをさせてくれ……本当は飲んでほしいが、それはまた今度」
 ワインには全く詳しくはないが、きっと良い品なのだろう。私はグラスを持つジェスチャーをすると、父の言葉に続いて乾杯をする仕草をした。
「ありがとう父さん。今度は一緒に飲もうね」
「あぁ、そうだね。……そしてこれはプレゼントだ。さぁ、開けてみなさい」
 鉄の扉にある狭い食用品の扉に、父は取り出してきた小さな箱を置いた。プレゼントとは言っても、特別な包装紙は無くベルベット生地の箱が剥き出しになっている。
 私が箱の蓋を開ければ、中に入っていのは……
「ピアス? ……でも私は」
「わかっているよ。生まれた時にピアスの穴をあけていなかったからね。でも、それでもお守りとして持っていて欲しい。勿論、わざわざ開ける必要もないよ」
 箱に入っていたのは、父の瞳と同じような色合いをした小ぶりのピアスだった。包装紙も無いし、ピアスに付いた石は小ぶりではあるが、グッと引き込まれる存在感があって、きっといい値段はするのだろうなと、ぼんやりと考えた。
「それと同じメーカーの物をmammaにもプレゼントした事があるよ。だからこそ、成人という節目にあげようとずっと前から考えていたんだ」
「……ありがとう父さん。ずっと大事にするね」
「あっ、でも帰るときには持って帰れないね。いつものように、信頼のある部下に渡すように手配をしておくよ」
 部下と聞いて想い出したのは、サラサラの黒髪を綺麗に切り揃えているあの男の事だろう。
「うん。わかった」
「あとは……これだけは、この先ずっと覚えておいて欲しい。これから将来、どんな仕事に就くかはわからないけれど、どんな仕事場に行っても『信頼』できる人物になりなさい」
「信頼……?」
 突然真剣な表情を浮かべて、私に諭すように喋る父が不思議で思わず小首を傾げると、父はふと表情を和らげて"わかったね?"と一言で話を終わらすと、父は私の近況についての質問へと話を切り替えたのだった。
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 15分なんてあっという間過ぎる。楽しい時間ほどあっという間だという事は、よく知っているけれど本当にあっという間だった。
 楽しかった時間の余韻のおかげで、私は冷たい視線や声調に屈する事無く、刑務所から退館する事ができた。
 次に会えるのはいつだろう?次に会ったら、看守に内緒で飲んでしまおうか?と、別れたばっかりなのに次の事ばかり考えていたのだった。


 鏡に映る自分は、顔が青ざめ目は虚ろになって、死んだ魚のように見えた。二階まで聞こえてくる母のすすり泣きは、呆けた頭では風が唸るような音にも聞こえる。
 父に会った数日後の今日。私と母の元に訪ねてきたのは、いつもの白のスーツを着た部下ではなかった。
 "ポルポさんはお亡くなりになりました。葬式や火葬はこちらで手配をしますが、その……火葬をするのに少々困難らしくて……日時等は、決まり次第お伝えに参ります"
 そう言うと部下は、父が刑務所に置いてあった物を玄関先に置くと、そそくさと家を出て行ってしまった。
 最初は嘘だと思った。母だって信じていなかった。だけど、父の部下は嘘をつかない事を母はよく知っていたらしい。泣き崩れる母をソファーに座らせてからの記憶が曖昧だった。
 危ない仕事だとはわかっていたが、こうも呆気なく死んでしまうのかと喪失感でいっぱいだった。
 ふと視線を落とせば、鏡の前の小棚に父と同じ色をしたピアスが置いてあった。
 いつの間に置いたのだろうか?と、そんな事を思い出さそうとする前に、私は衝動的に近くにあった安全ピンを手に取っていた。
 躊躇なく耳垂に突き刺せば、ズキッとした痛みと血が溢れるのを感じた。頬には涙が伝っていたが、それは刺した痛みのせいではなかった。
 最後にくれたお守りは、これからずっと肌身離さず着けていよう。
 ――どうか、あの世で見守っていてください。我が父よ。Buona girunata.


【お題サイト『きみのとなりで』 アクセサリーで5題から】


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