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こちらのサイトで連載されている作品の番外編です。本編未読でも支障はありません。





「そういえば明日、エレンの誕生日なんだって。ミカサとアルミンが話してた」
 7徹目でさっきまで仮眠を取っていたハンジさんの寝ぼけ声に、わたしは顔を上げた。
「え? なんて?」
 うまく聞き取れなかった。感覚という感覚が鈍くなってしまっているせいだ。わたしもハンジさんと同様、7日間一睡も寝ていない。
 ハンジ班に所属している人間のさだめだ。ハンジさんが巨人の生態の研究、それも人手が必要な研究資料のまとめなどであればわたし含むハンジさんの部下たちはその手伝いをしなければならない。
 上司と部下だから、というより、ハンジさんひとりに負担を負わせて無茶をさせないためだ。この人は普段理知的なくせに、全力で走り出したら止まらなくなってしまうから。
「今日、エレンの誕生日なんだよ。ナマエ知らなかった?」
「あー……えと、うん、知りませんでした。ていうか、もう誰かの誕生日どころか誰かの名前すら記憶から抜けてる気がします。調査兵団の団長と兵士長って何て人でしたっけ? ハロウィン団長とヤヴァイ兵士長でしたっけ」
「うっはモブリットやっべぇ! ナマエがすっげーぶっ飛ばしたこと言い出しやがった……!」
「ナマエ、そろそろお前も休んだほうが……それから分隊長、あなたは一度入浴してきたほうがいいですよ……」
 モブリットさんは徹夜以外の疲労も感じているらしい。それでも元気な辺り、5年以上調査兵団で兵士をやっているだけある。
「……エレンくんの誕生日、か」
 ハンジさんが読み終えた本を積んで抱えながら、5つ下の少年の顔がおぼろげながら脳裏に思い浮かべる。大きな瞳の色がきれいな男の子だ。素直だが兵士としての自覚をしっかりと持っており、年下だがわたしは彼のことを年下と思えない。わたしよりずうっと立派な子だから。
 でもかわいいなぁ、なんて思ってしまうときが時折ある。
「ハンジさん……わたしもう、ダメです……」
「んぇ? わ、ちょ、あああ危な……っ!」
 本棚に本を納め終えると同時に、わたしの身体は傾いた。



 目を覚ましたとき、窓の外の太陽がずいぶん高い位置にあった。
 シーツのくしゃくしゃなベッドの上で身体を起こして目を擦る。室内は簡素で本棚と本がやたら多い。壁に寄せられた机に見慣れた姿があった。ハンジさんである。
 まあ、よくあることだ。起きたらハンジさんの自室のベッドで寝かせられているなんてことは。
 ハンジさんがこの部屋で寝てるということは、研究資料のまとめる作業は一段落したのだろう。
 机に寝そべって眠るハンジさんの肩を叩く。数回叩いたところで、裸眼の顔がこちらを見上げた。
「あれ、ああ、おはよう……大丈夫かい?」
「はい、おかげさまで」
「それはよかった。今日は何もないから、ゆっくり休んでいいよ。部屋のシャワーも使っていいし」
「ああじゃあ使わせてもらいます。ハンジさんはちゃんとベッドで寝てくださいね。あと、ちゃんとシャワーも浴びるように……」
「ナマエ……徹夜明けの上司に説教とはアンタ、悪魔にも程があるだろ……」
 わたしは少しだけ笑って、ハンジさんの頭に手を置いた。ベタついてひどい。
「わたし、ちょっとリヴァイ兵長のところへ行ってきます。いいですか?」
「どーぞどーぞ行ってらっしゃい」
 ハンジさんは机に伏せた腕に顔を乗せてひらりと手を振った。
「ひょっとしたら帰ってくるのは明日になるかも」
「はいはい了解」
「帰ってきたら頭洗ってあげますから」
「いやいいよべつに! もう、早く行っといで日が暮れちゃうよ」



 ハンジさんの部屋のシャワーを借りて着替えたあと、馬を走らせて現在リヴァイ兵長率いるリヴァイ班の面々が拠点としている旧調査兵団本部の古城へ向かった。
 城全体がほとんど見えてきた辺りで馬から降り、手綱を引きながら歩いていくと庭のところに人影がふたつ。目を凝らしてみたところ、ペトラさんとオルオさんだった。何やら言い合いをしている模様。
「あのー、どうも」
 我ながら気の抜けた声かけだ。
 草むしりをしていたらしいふたりはわたしに気がつくと慌てたように立ち上がった。
「ナマエさん! ど、どうかなさいましたか? あ、兵長なら今……」
「あ、大丈夫、大丈夫。リヴァイ兵長に用事があるわけじゃない」
 そう言うとえっ、とふたりとも目を瞬かせ、オルオさんが「じゃあ何の用事で?」と尋ねてきた。
「えと、エレンくんに」
「え? あのクソガキにッスか?」
「クソガキっていうか、まあ、そう。クソガキのエレンくん」
 あれ、これ悪口じゃね? ……まあいいか。
 彼はここにいるかと問うと首を横に振られた。所在を聞くとリヴァイ兵長とともに本部へ行ったという。
「あっちゃあ、すれ違いしちゃったか……」
 ちょうど今日空いたし仮眠で体力回復したしで、せっかくだからエレンくんに「誕生日おめでとう」と言いたかったのだけれど……。
「どれくらいで戻るかな?」
「ううん……」明るい色合いの髪を軽くかきあげてペトラさんは唸った。「ちょっとわからない……ですね。エレンに何か?」
 わたしは言葉に詰まった。彼、誕生日らしいからと口から出かけたが、果たして人の誕生日とはホイホイ人に教えていいものなのか。
「……えっと、ちょっと彼に言いたいことがあって」
「言いたいこと?」
「うん、まあ……大したことじゃないんだけど」
「伝言なら、言付かりしますよ」
「ああ、伝言……は、いいかな。ごめんなさい」
 参ったな。エレンくん不在か。わたしは生乾きの頭を掻いた。まあ、いないなら仕方ない。
 帰ろうかな、と濃い赤を滲ませつつある夕日に顔を向けたとき、オルオさんが「何なら待ちます?」と言ってきた。
「え?」
「兵長もエレンの野郎もいつ帰ってくるかわかりませんし、どうぞ城の中で待っていてください。どうせここらへん俺たちしかいないんですし」
 すると、ペトラさんもそれに賛成して頷いた。
「ああ、それがいいわね。エレンに用事があるんですよね? これからまた本部のほうに戻るのも手間でしょうし、中で待っていてくれて全然構いません。オルオの言うとおり、どうせ私たちしかいないんです」
 ……大人なら。
 きちんとしたいい大人なら、ここで「いやいや迷惑でしょう? 用事はまた今度済ませますんで失礼します」と遠慮して去るところなんだろうなぁ。
 そもそも私はそこまでして「誕生日おめでとう」と言わなくてはならないほどエレンくんと親しいとは、リヴァイ兵長がドブネズミに変身したとしても言えない。友人ましてや恋人などでもない。
 しかし残念、私はいい大人ではない。
 やると決めたからには、大して親しくもない後輩に全力で「誕生日おめでとう」と言ってやりたい非常識人なのである。
「うん、じゃあ、待つ」



 エレンくんが帰ってきたのは、夜が大分更けたころだった。
 待っているあいだわりと暇だったので、箒を拝借してエレンくんの自室となっているらしい地下に続くドアの前を掃いて掃除していたのだが、太陽が完全に沈み、空が濃紺色のに染まり始めると暗くて何も見なくなってしまった。あ、どうしようと思っていたところでペトラさんがランプを持ってきてくれた。
「兵長とエレン、まだかかるみたいです。まだ、待ちますか?」
「迷惑になる?」
「いえ、そんなことはないですよ。でもここ寒くないですか? 班のみんな今談話室にいるんですけど、来ます?」
 わたしは首を振った。ここは基本的にリヴァイ班の方々のテリトリーだ。みなさんの目に入るところにいたら、目ざわりになる気がした。
 掃き掃除にも飽きて、地下室のドアに寄り掛かって膝を抱えて座っていたらいつの間にか寝ていたらしい。強い力で肩を掴まれて揺さぶられ、びっくりして顔を上げたらすぐ目の前に防寒用のマントを脇に抱えたエレンくんがいた。
「あ、お、おかえりなさい……」
「ナマエさん……何やってるんですか、一体」
「君を待ってたんだよ」
「ペトラさんから聞きましたけど……俺に何の用が?」
「え、ああ、誕生日おめでとうって言いに来たんだ。誕生日おめでとう」
「……? え?」
 エレンくんはしばらくそのおっきい目でわたしをまじまじと見た後なにか考えるように黙り込んだあと「ナマエさんって暇じゃありませんよね?」と聞いてきた。
「うん、まあ暇ではないよね。昨日だって7徹だったし」
「それならなんで俺なんかの誕生日のためにこんなところにいるんですか。大体俺の誕生日なんて同期でも幼馴染しか知らないのにどうしてナマエさんが……」
 不可解そうに彼はわたしを見つめた。ランプのぼんやりとした明かりが彼の顔や首筋を淡く照らしていた。
「ああ、あなたの誕生日ね、ハンジさんから聞いたんだ。なんかミカサちゃんとアルミンくんが言ってたのを聞いてたらしいよ」
「ああ、あいつらが」
 そういえばエレンくん、調査兵団の現本部行ってきたんだっけ。ミカサちゃんとアルミンくんには会ったんだろうか。
「……この世界はとても怖いと、わたしは思うんだよね」
「はい?」
 エレンくんは怪訝な顔をした。
「残忍で残酷で、巨人なんていう恐ろしい化け物がいて、誰もかれもが鳥籠の中にこもるように生きているじゃない?」
 人差し指を軽く振って、わたしは口を動かし続ける。
 エレンくんの顔がぼやけて見える。
「でさぁ、こんな世界に生まれ落ちた人の誕生日は、とても尊いものだと思うんだよね」
 それこそ、いつ命を落とすかわからない調査兵団の中じゃ特にさ。
「だから、わたしはあなたの誕生日を祝いにきたよ。こんな理由じゃ、ダメかな?」
 かわいこぶるつもりはないが、頭が重くてうまく上がらない。眠い、ものすごく眠たい。
「エレンくん」
 呼びかける。けれど彼は何も返さない。
 瞼を閉じたわたしの視界は真っ暗になる。
「誕生日、おめでとう」
 世界がどれほどのものでも、あなたの命は美しいのだと。
 こんな残酷な世界の中に生まれたあなたの命はひとつの幸福なのだと。
 言いたくても言えなくて、次に目覚めたときには必ず伝えたいと思いながら、わたしは意識を闇に落とす。


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