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「あとは廊下掃除で終わりか」

バケツに入った水に雑巾を突っ込んでごしごしと洗う。
いよいよ長かった掃除もこれで最後だ。
これを終えればナマエのもとへ行き、花を渡すことが出来る。

「よし、それじゃ気合いを入れて」
「ああっ!!!エレェェェン!!!!!」

ものすごい声が兵団の廊下に響き渡った。
げっ…この声は……
パキッとエレンの背中が凍り付き、リヴァイに怒られる前とは別の意味の嫌な汗がどっと噴き出す。

「やぁエレン!会いたかったよお!!」

ハンジはエレンに会うなり熱い抱擁をしようと両手を広げて迫ってきた。
しかし

「ハンジ、やめないか」

暴走した彼女を唯一止めることのできる穏やかな声。
ハンジの後ろにはエルヴィンが困った顔をして立っていた。

「だ、団長!」

エレンは思わず立ち上がり敬礼をする。

「ああエレン、そんなにかしこまらなくていい」

エルヴィンは優しくほほ笑む。

「は、はぁ」

彼の思わぬ態度にエレンも思わず気の抜けた返事が出てしまう。

「やあほんっとうによかった!ずっと探してたんだよ!!」

ハンジは嬉しそうにやっぱりエレンに抱き付いてきた。
しかもその力は強く、腰回りをぎゅっと締め付けるから胸が圧迫されて呼吸が苦しくなる。

「ハ、ハンジ、さん…苦し……」
「えっ?ああ!ごめんごめん、ついね」

あははっと声を上げて笑うハンジに呆れてため息を吐くエルヴィン。

「あ、あの…もしかして…花、ですか…?」

エレンは二人に尋ねる。
すると二人はそうだよと言って例のピンクの花を差し出した。

「本当にみんな関わってるんですね。まさかハンジさんや団長もだったなんて…」
「ははっ、そうだよね。でもさ、こういうときくらいしか感謝の気持ちって伝えられないだろ?」
「えっ…」
「普段は恥ずかしくて言えないじゃないか」

ハンジの言葉になるほど、内心頷くエレン。

「今日は直接ありがとうという言葉を贈りたくてね」

エルヴィンはハンジの隣で優しく言った。
そんな彼の言葉に疑問と違和感を覚える。

「あっ、ああ、じゃあそういうことで!!よろしく頼むよエレン!」

慌てたようにハンジがエルヴィンの背中を押して去っていく。
"フライングだよ"という言葉が聞こえたのは気のせいだったのだろうか。
しかしそれが本当だったところで、その真意についてはまったく分からないエレンだった。













「終わった〜〜〜〜!!」

掃除が一頻り終わり、ぐんと背伸びをして凝り固まった体を伸ばす。
これまでにどれだけの時間を費やしたのだろう。
窓の外を見ると、日が傾いてきてしまっていた。

そんなに長くかかったのか……

使い終わった雑巾を絞りながらぼんやりとそんなことを考える。
そして自分の横に置いてあるいくつもの花を見つめた。
あれから驚いたことがあった。
廊下を通る何人もの同期や先輩の兵士に"ナマエに渡して欲しい"と花を渡され、今ではとんでもない数になっていたのだ。
これはもう花束と言ってもいい。
すげぇな…
改めて集まった花を見て思う。
確かに彼女はいつも笑顔で誰にでも優しく接する。
つらい訓練の日々でも明るく前向きでみんなを励ますような、そんな絵に描いたような心の強い本物の優しさを持った人だった。
だから自分もいつからかそこに惹かれていっていたのだろう。
彼女には感謝をしてもしきれないほど、いろいろな場面で支えてもらっていた。

「ふぅ…、それじゃ行くか」

右手にバケツ。
左手に花束を持って立ち上がったエレン。
すると

「エレーン!ちょっと待ってくれ!」

廊下の奥からアルミンとミカサが走ってきていて。
そういえば二人からはまだ花をもらっていなかったと、思い出す。

「よ、よかった、間に合った」

アルミンは息を切らしながらエレンに花を渡した。

「こ、これ、ナマエに」
「ああ。ちゃんと受け取った」
「…エレン」

ミカサが花を持ってまっすぐにエレンを見つめていた。
その瞳には涙が滲んでいるように見えておどろくエレン。

「お、おい、どうかしかのかミカサ」

エレンが心配そうに尋ねるもミカサはなんでもないと言ってエレンに花を渡した。

「誕生日、おめでとう」
「は?」
「あっ、ちょっとミカサ!まだ早いって!」

アルミンはものすごく焦りながらミカサに小声で言う。

「なんなんだ?なんか今日みんなおかしくねぇか?」
「えっ、そ、そんなことないさ!きっとナマエへのサプライズが成功するか心配で緊張気味なんだよ!」
「そうなのか?」

疑念を抱きながら二人を見つめる。
怪しい…
何かを隠してる…

「じゃ、じゃあエレン頼んだよ!ちゃんと僕たちの分までナマエに感謝の気持ちを伝えて来てね!それじゃあ!」

アルミンはミカサを連れていそいそと走り去って行った。

「……やっぱりなんか隠してるだろ…」

エレンの眉間には皺が刻まれていた。













「あっ…」
「あっ…」


二つの声が重なり合う。


ナマエに会ったのは外が薄暗くなった頃で、
彼女は廊下で月を見上げていたようだった。

「今夜は月が綺麗ですね」

ナマエはそう言って笑う。

「そ、そうだな」

エレンは背中に花束を隠しながら緊張気味に答えた。

「ふふっ、どうしたの?なんかエレン変だよ?」

ナマエが無邪気に笑った。

「気のせいだろ」

エレンはナマエから視線を逸らした。
そしてゆっくりと彼女の隣へ歩いて行き、そして立った。
ナマエは白い月をじっと見つめていて。
彼女の瞳に写る月は綺麗だった。
その姿に思わず見入ってしまう。

「……ねぇエレン」
「…なんだよ」
「本で読んだんだけど、"月が綺麗ですね"って"あなたを愛しています"って意味なんだって」
「は、は!?ど、どうしたんだよ急に」
「なんとなく言ってみただけ。巨人が出てくる前に昔あったどこかの国の言葉らしいよ」
「……そ、そうか…」

それからしばらくの間沈黙が続いた。
エレンは完全に花束を渡すタイミングを見失ってしまい、どうすればいいのかぐるぐるとひたすら頭の中で考えていたのだ。
しかし、考えてもどうなるわけでもなく、心の中で決心を固める。

「ナマエ」
「……んー?なぁに?」

ナマエは月を見たまま返事を返した。
エレンはごくりと唾を飲み込む。
心臓がどきどきと高鳴っていた。
自分は何も用意出来ていない。
だけどみんなのおかげでこうして彼女へプレゼントを渡すことが出来るのだ。
みんなには感謝をしなければならない。

「こ、これ…」

ぎゅっと花束を握りしめてそれを彼女の前へ差し出す。

「お前今日、誕生日だろ」
「えっ……」

ナマエはおどろいたように大きく目を見開いて、
そしてそれからやさしく目を細めた。

「………ごめんエレン」

ナマエは困ったように眉を下げて笑う。
その表情に、言葉に、なんで…と心の中で誰かがつぶやく。
ナマエは差し出された花束を押し返して
「これは受け取れないよ」と、言った。

「は?な、なんで、だよ…」

声がふるえる。

「ごめんね」

彼女は困ったようにもう一度笑った。
頭の中では今日一日のことが走馬灯のように蘇っていた。
みんな、みんな彼女のためにと一輪一輪、感謝の気持ちとともに自分に花を託してくれた。
それなのに…それなのに…

「ふざけんなよ!なんでだよ!これはみんながお前のために!」
「違うよ」
「…………ちが、う……?」
「そう、違うよ」

彼女は優しくほほ笑んで言った。

「これはね、みんなからエレンへの誕生日のプレゼントなの」
「お、俺、に……?」
「うん」
「…………あっ」

エレンはここではじめて思い出した。
今日は自分の誕生日でもあったことを。
朝から彼女の誕生日のことですっかり頭がいっぱいになってしまっていて忘れていた。
そういえば今日は自分が生まれた日でもあったのだ。

「じゃ、じゃあ…これは…」
「そう、わたしがみんなにお願いしたの。花を準備してそれをエレンに会ったら渡して欲しいって」

彼女は一歩踏み出すと、みんながくれたものと同じ花を一輪差し出した。

「はい、これはわたしから」

ピンクの花びらが幾重にもかさなった愛らしい花。

「誕生日おめでとう、エレン」

その花が白い光に照らされてきらきらと輝いて見えた。
そうか……
今日は、だから…
ここでみんなの様子がおかしかったことの理由が分かった。
すべて、すべて自分のためだったのだ。
そのためにみんなは花をくれたのだ。
そう思うと、自然と瞳の奥が熱くなった。

「びっくりしたでしょ?」

子供のように無邪気にほほ笑むナマエを前に、エレンは「くそ…騙された…」
震える声を抑えながら彼女を抱きしめていた。

「わたしはエレンに喜んでもらえればいいの。それが一番のプレゼントだから」

嬉しそうな声を上げてナマエはエレンの背中に手を回す。
自分のためにここまでしてくれたみんなに感謝の気持ちがあふれて。
そして彼女が愛おしくてたまらなくて。

「来年は俺が同じことしてやる」

思いの丈をぶつけるように彼女をぎゅっと強く抱きしめた。

「それじゃサプライズにならないでしょ」

ナマエはくすくすと笑った。

「じゃあなんか別の方法考えてやるから待ってろよ」
「はいはい」

エレンは手に握りしめた花束を見つめ"ありがとう"と心の内でつぶやく。
彼のその顔には自然とやさしい笑顔であふれていた。


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