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※男主





 口許を抑えつつも隠す気など更々ないように感じる洩れた笑い声に、この人が相手ならば仕方がないと思っても片眉を吊り上げる。苛立っていると知れば余計にその笑みが深くなり、それに比例して俺の機嫌は悪化するばかりだ。直属の上司だからってなんだ。人の真剣な悩みを笑いやがって、ハンジさんめ、許さん。勿論それは言葉になるはずもなく、俺は目の前の忌々しいにやけ顔を睨め付けるに終わる。
「あっはは、そんなに怒んないでよナマエ」
 宥めるというよりは煽られている気がしてならない。何度目か解らない溜め息に伴って、やっぱりこの人に話したのは間違いだったかもしれないと後悔が滲み出た。とは言っても他に相談できるような人が居るかと訊かれれば……答えはノーだ。結局、選択肢はあるようでないのだ。
 事の発端は三日前のこと。控えめなノックで自室のドアを叩いたのはアルミン・アルレルト。調査兵団に入団したとは言っても全員と関わりがあるわけではないから、104期生のトップであるミカサ・アッカーマン、それから……兵団内どころか様々な場で名の挙がるエレン・イェーガーとの関係性が無ければ顔も覚えてはいなかっただろうと思う。つまり、俺もアルレルトも、お互いのことを知らないに等しいはずだった。予想だにしない相手の来訪に目を丸めた俺に、アルレルトは緊張が綻びた苦笑を見せた。問題はそこからである。
 ナマエさん、明々後日が何の日かご存知ですか。紅茶の湯気が揺れる向こうでアルレルトが静かに問いかける。3月30日。何か特別な日だっただろうか、俺は素直に首を傾げた。アルレルトはまた困った色を溶かして笑む。そうだと思ってました、唇は緩やかな弧を描いたまま言葉を紡ぐ。
 実はエレンの誕生日なんですよ。ぽつりと零れた一言に一瞬ではあれど放心してしまう。いや、だから、なんだ。怪訝な表情に俺の言わんとすることを察したのかアルレルトが軽く目を伏せる。
「ナマエさんは聡明な方だから気づいてますよね、エレンが貴方に対して好意を抱いていることを。別にその好意に応えて欲しいなんて言いに来たわけじゃないんです。ただエレンにとって、ナマエさんに祝ってもらえたら何よりのプレゼントになるんじゃないかって、そう思ったんです。それをお願いしに来ました」
 アルレルトは本当にそれだけ言って、お願いしますと頭を下げて戻ってしまった。おめでとう。そう告げるだけのお願いならわざわざ猶予を寄越す必要がない。明晰と名高いあの新兵の意図は解らないけれど。……いや、半分でも見当が付いているから俺はハンジさんに吐露したのだ。
「エレンを喜ばせたいってさ、貴方もうそれ答えでしょ」
 ハンジさんの声にハッと我に返る。素直になりなよ、なんて付属品がついてきた。
「言葉の意味がわかりません。自分を慕う新兵を祝うだけですけど」
「その新兵君の好意が憧れや尊敬とは違うってわかっててそう言える?」
 山積みになった問題の一つは、まさにそれだった。
 エレン・イェーガーは何故か俺に対して、他とは一線を画す好意を抱いているらしい。自惚れで済めばまだマシだった。直接告げられたのでそんな逃げ道もない。拙い言葉で思いの丈をぶつけられたのは、アルレルトの訪問から1週間前の出来事だった。
「あのくらいの年齢ならよくあることでしょう、憧れを思慕だと思い込むことは」
「貴方も頑なだねえ。確かにエレンは巨人のことしか頭にないように思ってたからちょっと驚いたけど……」
 勇気を出して告白してくれた相手に対してあんまり過ぎるんじゃないかな。責め立てられてるわけでもないのに反論が喉の奥で詰まった。
「……俺、男なんですよ」
「知ってるよ」
「イェーガーも男ですよ」
「うん、そうだね」
 そんなこと関係ないじゃん、とハンジさんが笑う。
「こんな閉鎖的な空間なら何も珍しいことじゃないだろうし、性別云々抜きにしてエレンは貴方のことが好きなんでしょ?問題はそこじゃなくて、貴方がエレンをどう思うかだと思うね」
 ハンジさんが静かに席を立つ。会議の時間が差し迫っていた。随分と話し込んでいたらしい。
「貴方の想いを伝えてあげることがプレゼントになるんじゃない?」
 全てお見通しなのだろう。へらりと笑って言い残し、ハンジさんは部屋を後にした。一人になった静かな空間に嘆息が響く。
 3月30日まで、あと数時間だった。

 皓々たる月明かりが俺の影を地面に落とす。陽の光のないこの時間は流石にまだ空気が冷たくて、夜中とはいえ眠気は欠片も無い。別に柄にもなく緊張しているわけではない。断じてない。
 ざり、固い土を踏み締める音。控えめな足音を振り返れば、俺が呼び出した少年が窺うような表情でこちらを見ていた。エレン・イェーガー。ここ数日、所謂告白をされてから心なしか避けてしまっていた為にこうしてちゃんと顔を合わせるのは久し振りだった。俺が避けていることを、イェーガーも気付いていただろう。イェーガーの方からも接触は無かった。それをいきなり呼び出したものだから怪訝に思うのも仕方がない。
「急に呼び出して悪いな」
「いえ…大丈夫です。何かあったんですか?」
 ぐ、と言葉に詰まる。どうやって切り出すべきなのだろう。言わなきゃいけないことはうんうん唸りながら纏めていたけど言い出しの言葉は頭からすっかり抜けていた。貴方は本当に爪が甘いね。ハンジさんの声が聞こえる気がして思わず溜め息が洩れた。イェーガーの肩がぴくりと揺れる。ああ、違う、お前じゃないんだ。
 遠回りな言葉を並べ立てても進まない。深く息をする。肺を満たす冷気に覚悟が決まった。
「この間のことを確認したい」
「……はい」
「あれは本気なのか?」
 イェーガーの瞳が逡巡して揺らぐ。答えて、いいものだろうか。僅かな躊躇いは頷く動作の歪さにも現れた。それでもしっかりと頷いた。見間違いとならないくらいに。
「……俺はお前より一回りも年上で、しかも男なんだぞ。それでもか?」
「ッ、俺は…!そんなこと関係ないんです、ナマエさんが好きなんです…!」
 ハンジさんは余程イェーガーのことを理解しているらしい。いや、単純な奴だから周りにも筒抜けなのか?もしかしたら、俺も。
「――俺は、入団する時に恋愛なんかしないって決めてたんだ。いつ死ぬかわからないし……お互いに。心臓どころかこの身も捧げてるしな……だけど」
 誰彼に好意を寄せられることも滅多に無かったしそれで支障ないのが事実だった。数年で甘ったるい感情なんか簡単に忘れてしまえる。やり方も、保ち方も。
 それをご丁寧にこじ開けてくれたわけだ。空っぽのはずの心臓に柔らかな熱が灯る。
「責任とれよ、イェーガー。捧げたはずの心臓の半分をお前に預ける。巨人を全て駆逐して、もう半分が還ってきたら全部やる。その時になって今更要らねえって言っても聴かないからな」
 いつか全ての巨人を駆逐して、戦う必要が失くなったら。兵士として生きる必要が失くなったら。それはあまりにも不確定な未来で、そんな先まで縛り付けるのは身勝手かもしれない。それでも、忘れていたものを呼び起こしたのはこいつだ。もうこいつじゃないと、どうしようも出来ないじゃないか。
 言い切って口を噤む俺を、イェーガーは大きな目を更に丸めて見つめる。これは、あれか。やっぱりそこまでは無理ですって言われるやつか?勘弁してくれ、耐性なんてないんだ。
 声も身動ぎも無く脳内で悶えていると、イェーガーがぽつりと問いかける。
「もしかして、それって告白なんですか?」
 他に何があるんだ。思わず雑に肯定を返すと、イェーガーは一拍置いて吹き出した。上半身を大きく前に倒すこの体勢はどう見ても腹を抱えて笑う様だ。すいません、と震える声で紡ぐも一向に収まる気配は無い。小刻みに揺れる肩が腹立たしい。ハンジさんといい、イェーガーといい、俺はなんでこんなに笑われてるんだ。
 やっと呼吸が落ち着いたのか、大きく吐息を零してこちらを見遣る。鏡を見なくても分かるくらい俺は不機嫌な表情だろうに、イェーガーの頬はへらりと緩む。
「熱烈でちょっとびっくりしました。好きって言うより恥ずかしいですよね」
「う、……そうか?」
「はい。でも本当に嬉しいです」
 綻ぶ柔和な笑みに一先ず安心する。ホッと嘆息して、不意にもうひとつ伝えなければいけないことを思い出した。イェーガー。呼べば僅かに首を傾ける。自覚すると所作の全てが愛しく感じるものなんだな。
 何処と無くむず痒いような感覚を抱いたまま、大事に言葉を紡いだ。
「誕生日、おめでとう」



「――…それで丸く収まったってわけか」
「まあそうなりますね」
 事の顛末を聴いたハンジさんがへえ〜、と少々間の抜けた相槌を打つ。相談に乗ってもらったのは事実だから一応は報告すべきだとは思っていたけど、まさか訪ねたところを捕まえられるとは予想してなかった。結局、当初の目的を放ったままで優に1時間は過ぎてしまった。
 というか、これはアルレルトにも報告しておくべきなのだろうか。ああ、でも幼馴染だから既に伝わっているはずだ。俺が行動を起こす起爆剤になったのはアルレルトだが……そう考えると俺のもやもやと抱えていた悩みもあいつには筒抜けだったのかもしれない。やだ15歳怖い。
「ふふ、貴方が幸せそうで私も嬉しいよ」
「何を親みたいな……ああ、そろそろ時間が。俺、エレンを捜しに来たんですよ。ご存知ではありませんか?」
「リヴァイのとこじゃない?というか…」
 不自然に言葉を切ったハンジさんは、何故か頬をこれでもかと緩ませていた。笑顔の域を軽々と超えたにやけ顔に思わず一歩退く。巨人に対峙する時の顔だ。にやにやという擬態語が似合いすぎる表情に、何ですかと問い掛ける。
「名前で呼ぶようになったんだねえ」
「……流石に祝いの言葉と形の無い約束だけじゃあんまりかと思って欲しいものを訊いたら、名前で呼んでくださいって言われただけですよ」
 それじゃあ俺行きますから。これ以上からかわれるのは身が保たない。一方的に告げて逃げるように部屋を出て行く俺の背後で、青春だねえ〜なんて声が笑う。
 もうそんな年じゃないと胸中で否定して、俺はエレンの許へと駆け出した。


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