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「カゲロウ、お前が、どうして…」
シャドウ丸は驚愕の表情で、小さく震えていた。主任も私も、動けない。どうしてシャドウ丸がここに。天井裏を移動するのはやめなさいって言ったのに、ほらまた埃まみれになって、だなんて思考があらぬ方向に行きかけていると、カゲロウがゆっくりとこちらに振り返った。
「少し二人で話がしたい。いいですか」
「あ、ああ…」
頷いた主任は、動けないままの私の背を押して部屋を出た。プシュン、と音を立ててドアが閉まる。瞬間、振り返った私に見えたのは、シャドウ丸の背中だけだった。
「全く、シャドウ丸のやつどこから…お、おい、みょうじ、大丈夫か」
ずるずると壁にもたれてしゃがみこんでしまった私に、主任が慌てた。ぱくぱくと口を動かす。声が出ない。彼らは今、どんな話をしているのだろう。私はただの整備士だ。この数時間カゲロウと過ごして、いい気になっていたのかもしれない。私はただの、ただの。
「…みょうじ、もう帰って休め。明日は昼からでいい」
「…は、い」
なんとか搾り出して返事をすると、主任は肩をぽんと叩いてどこかへ行ってしまった。何故だかこみ上げてくる涙を必死で抑えて、ゆっくりと立ち上がる。昨日の怪我が、今更痛み出した。
それからはよく覚えていない。なんとかして家に帰って、シャワーを浴びて、ぼんやりする意識のままベッドに倒れこんだ。疲れてるんだ、きっと。疲れているから、こんなにどこかしこが痛いんだ。カーテンの隙間から射し込む夕日が眩しくて、無性に悔しくて、もやもやして、苦しくて。隠れるように毛布を被った。疲れているから、休まなきゃ。ゆっくり休んで、そうしたらいつもの通り。なにもかも元通りになる。おやすみ、なまえさん。カゲロウの声を思い出したけど、ぎゅうと目をつぶって耳を塞いだ。
どこか遠くで、携帯が鳴った気がしたけれど。どくんどくんと響く自分の鼓動が、それすら掻き消した。