01
痛みも、熱さ寒さも感じる事なく、生きることから解放されるのだと、底なしの闇に落ちていく意識の中で、ガウナは一つの未練を抱えながら死を受け入れようとした。
後少し、というところで、全身に痛みが駆け巡る。
痛みによる強制的な覚醒が、彼女を戸惑わせた。
スタンダードな病室の景色。両サイドからケアできるように確保されたベッドスペース。
足元近くの窓には、空も地面も青一色しか彩られていなかった。
「ここは……?」
ガウナは呟くと、右手に違和感を感じた。
血管に繋いだ点滴の存在。
起きあがろうとすると、身体中の至る所から激痛が走り、どこからか漏れ出る血液。
一命をとりとめたとはいえ、彼女の体は完全回復に至っていなかったのだ。
「まだ、生きなきゃいけないのね……」
彼女は辛うじてひとこと言うと、立ち上がる。
その表情には、一切の絶望も悲壮感もない。
ただただ静かな笑みを浮かべている。
そして彼女は壁を支えに、ゆっくりと歩き出そうとした。
「退院するには早すぎますよ。それと、病室を汚さないでください。掃除するのが大変です」
病室に入ってきた男が、トントンっと拳で壁を叩いた。
そこでガウナは支えにしていた白い壁に、血がべっとりとついていたことに気づく。
少し立ち歩いただけで、すぐに力尽き、ガウナはその場にへたり込んだ。
「もう、元気になったんだと思ったんだけど……」
「そもそも、元気な人は入院しませんよ」
「……言えてる。あんたが助けてくれたの?人助けしそうなタイプには全然見えないけど」
「そうなんですよー。私も貴女を助ける気はさらさらなかったんですけどね。しかも、今日は非番でしたし」
「なら、何で?」
「それはご自分で考えてください」
(ふぅ……)
和気藹々と話してたはずなのに、いきなりバッサリと会話を切り捨てた男に、深々とため息をつくガウナ。
彼女のあからさまな態度に気にする事なく、男はガウナを抱え上げ、ベッドに戻すと出血した部位を触診で探し当て、応急処置を施していく。
その様子を見て、ガウナはピンと来た。
(口が悪い割には、随分と丁寧に世話を焼いてくれるのね)
目覚める前は確かに、自分は死にかけていたのだろう。
だが、今こうしてピンピンしているわけだし、自宅療養でもいいのではないか?とガウナは不服そうな顔つきで男を医療処置を眺めていた。
そんなことをしていると、男が言った。
「入院費や治療費が気になるようでしたら、働いて返してくださいね。軍医といえど、紛争地帯でもない限り、ボランティアで動くことはありませんので」
「安心なさいな。踏み倒すようなことはしないなら。でも、戸籍とか消しちゃったし、IDも神羅に排除されてるかもしんないわね~。そうしたら、私みたいな人間ってどんな仕事ができる!?」
「……そうですね、身分証は後からどうとでも出来ますから、まずは働き口をどうにかしましょう」
「やった!おにーさん、見かけ通りに優しい性格してるのね!!」
「その代わり、貴女にはうんと働いてもらいますよ?」
「ガウナさんに任せなさーい!」
こうして、一度死に、生還を果たした女性は"惑星"オールドラントへとやってきた。そして、運命的な出会いを果たすことになるのだが……それはまた別の話である。
× × × ×
ガウナが命の恩人、ジェイド・カーティスと出会ってから、一ヶ月が経った。
体に埋め込まれた医療用ネジも安定し、昨日、退院の許可が降りたところだ。
元より、手荷物は一つも持っていなかったので、自分の身一つしか無いのが、寂しいながらも身軽さの方が勝った。
「この一ヶ月?お世話になったわね、ジェイド君」
あっけらかんと軽い会釈をするガウナ。
「いえいえ、こちらこそ、とても楽しい時間を過ごさせていただきましたよ。特に、あなたの故郷のお話などは……。あと、ジェイド"君"はやめてください。十も年下の方にそう呼ばれるのは慣れてませんので」
そう言って、ジェイドは痛いところをつかれたように笑う。
「はいはい。それと、これからお世話になります。大佐殿」
そんな彼の言葉に肩をすくめてから、病衣を着たまま、ガウナは軽く敬礼をして見せた。
「ああ、それなら心配ありませんよ。すでに命令は下っていますから。……『まずは、実力に見合った部署への配置、階級の所与を』と」
「あら、それはありがたいこと。三ヶ月後の入隊試験では遠慮なく、行かせてもらっていいのよね?」
「ええ、存分に戦ってきてください。その為に、面倒な根回しまでして、士官学校を通さず、貴女には専用の修練場で缶詰めになって頂くよう、上層部に"お願い"してきましたから」
「ありがとうございます」
ガウナはそう言うと、今度こそ部屋を出ていくためにドアノブに手をかけた。
「…………」
しかし、ふと思い出したかのように振り返る。
そして、じっとジェイドの顔を見つめた。
「……なんです?」
さすがに気になって声をかける。
だが、その返事を聞く前に、彼女は再び背を向けた。
「なんでもない、かな?ただ……」
「ただ?」
「私の実力が凄すぎて、あなたより上の階級になったらどうしよう!?って思っただけよ」
それだけ言い残し、彼女は部屋を後にした。
残されたジェイドは、一瞬何が起きたのか分からず呆然としていたが、やがて小さくため息をつく。
(らしくもなく、世話を焼いてしまいましたね……)
頭を振って、ジェイドは再び机に向かう。
仕事はまだ山積みなのだ。
「わざわざ入隊試験などせずとも、彼女の処遇は粗方決まっているんですけどね……」
そう呟いて、彼は執務室に戻り、書類にペンを走らせていった。