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子供を産み落としてきたばかりだというのに、ガウナはスラムのガレキ通りを何かから逃げるように走り続けた。
幸か不幸か、スラムには大雨が降り注いでいる。とは言え、空はプレートに覆われている為、スラムに雨なんかが降るはずもない。
予想するに、恐らくプレート上層部から漏れ出た雨水と排水が、雨漏りしているのだろう。
しかし、ちょっとやそっとの雨漏りではなく、ミッドガル全体の雨漏りは地上での豪雨となんら変わりない。雨音は激しく、空気も湿っている。
「うぅ…………」
お腹を押さえて痛みに耐える。
先程の出産で血を流しすぎたのか、意識が遠くなりそうだった。
(大丈夫かしら…………あの子。ヴェルドは上手くやってくれたかな?)
ガウナは心の中で呟いた。
母がいなくても寂しくないだろうか? 本当は、スラムなんかじゃなく、プレート上層階の街で暮らして欲しかったな……。そんな事を考えながら、ガウナは力尽きたかのようにその場に倒れた。
水溜りやぬかるみを踏んで跳ねる音が、ガウナのすぐそばまで近づいてくる。
泥の海を這いずりながら、逃げようとする彼女の背中から肉が裂ける音と悲鳴が入り交じり、鮮血が飛び散った。
「ああっ……!」
追手が所持していたマシンガンに撃ち続けられ、全身に激痛が走る中、ガウナは意識を手放した。
世界を牛耳る大企業、"神羅カンパニー"に目をつけられれば、何人たりとも奴らから逃げ切るのは不可能だった。
ガウナが死人のように冷え切っていくなか、
「おい! しっかりしろ!」
誰かの声と共に身体を抱き起こされたような気がしたが、ガウナはもう目を開ける気にもなれなかった。
「どうしました?」
通りかかった長身痩躯の男が、倒れているガウナと彼女を抱きかかえる土方の男を見つけて声をかける。
「大変だ! この女、出血してるぞ!」
土方の男の言葉を聞いた、長身痩躯の男が慌てて駆け寄ってくる。
男が見るには、ガウナは意識を失っているようだが呼吸はしているし、顔色も悪いものの息はあるようだった。
だが、このまま放っておけば命に関わるだろう。
その事は誰の目にも明らかで、他の通行人たちの誰もが顔を青ざめさせた。
そんなとき、その場に割って入ってきたのが、ガウナを抱きかかえる土方の男へ最初に声をかけてきた長身痩躯の男だ。
「これはまた……派手にやられてますね」
声と容姿からして、やっと二十代後半に入ったと言ったところだろうか?身長は意外とあり、確実に180cmはありそうだ。
髪の色はこの世界にならどこにでもいる小麦色のもので、それが肩まで伸びている。
服装に目が行くと、そこでようやくこの男が軍の所属だということが見ただけで分かった。
「目指してたのは監察医ですが、多少なりとも医療の心得があります」
「あんたなら、このねーちゃんを治せるってーのかい?」
「ええ」
自信たっぷりにうなずいてみせると、土方の男は目を丸くした。
「じゃあ…………じゃあ、あんたに任せるぜ!このねーちゃん、俺の娘同じ歳ぐらいの子だからなぁ……。見殺しにはできねぇ」
「わかりました。任せてください」
そう言って微笑みながら、男……マルクト帝国軍第三師団の師団長、ジェイド・カーティスは内心はやる気持ちでいた。
(果たして、彼女の体力が軍の医務室まで保ちますかね……)
外傷も激しく、体の内部−−内臓や骨がボロボロになっている可能性は大いにある。出血も多い。心臓が止まっていないのが奇跡だ。
「なにをやっているんでしょうね……私は」
思わずつぶやく。
本当に、何をやっているんだろう。
自分には関係ないことだ。関わるべきことじゃない。
それに、慈善事業は趣味じゃない。
わかっていながら、考えてしまう。
−−どうして、私はここへ来てしまったのか。
いや、違う。そうではない。きっと自分は、「助けたい」と思ったのだ。
いくら通りかかった"ついで"の出会った人間とはいえ、彼女が死ねばいいと心の底から願ったわけではない。
ただ、必死に魯明をつなぐ彼女のことが気になって仕方がなかっただけだ。
なぜだろう?
なんで、自分は彼女を気にしているんだろうか。わからない。
なぜ、自分はあの時彼女を助けようなどと思ったのか。その理由がわからなかった。
ただ、一つだけわかることがある。それは…… 彼女は、生きていて、まだ、死んでいないということだ。