これが、彼との出会いでした。


「俺の息子だ」。そう言ってみせたかつての主人の顔は、こちらも釣られそうなくらいに綻んでいて。
「そんな顔、あの頃は見せなかったよな」。からかう親友に釣り上げた目尻は、それでも優しく笑う父親のそれで。

その赤子は、本当によく彼に似ていました。
私の知らない彼を全くそのまま投影したような赤い髪。ただ一つ違うのは、翡翠色の瞳がそこにないことくらい。
抱かれた幼子は腕の主と同じ寝顔で、胸に一つ、高鳴る鼓動を感じました。



その後、公爵夫人が若くして崩御された時。
公爵は黒い服に身を包み、嘆きに燃えるような髪を靡かせて、雨の日も風の日も、ただ何日も何日も……墓石の前に、崩れるようにしてしゃがみ込んでいました。
彼らの血を受け継ぐ、姉に抱かれた弟。何があったのかも知らぬ顔でただすやすやと眠るその穏やかな寝息は、父の背を打つ雨音と共に、今も深くこの耳に刻まれています。


その時、思ったのです。「この子を守り抜かねば」と。
望んだ未来に導いた後の世界、次にこの身を捧げるべき人が生まれたのだと。
それは、ただこの子がかつての主人――今は泣き濡れる背中――に似ていたから、かもしれない。
けれど私は、確実に、あの頃の気持ちを思い出していたのです。



その後世界は預言廃止反対派による暴動に苛まれ、各国の要人は狙われ始めます。
公爵は息子の身分と命を隠すため、マルクトの仲間の元に里子として託しました。
「必ず迎えに行くから」「平和にするから」、と涙に溺れた瞳で。

そんな親の思いも知ることなく、あの時のように眠る赤子。
その体をそっと抱き寄せた里親は、寝息のような小さな声で「たしかに」と、そう囁きました。
あの日、冷徹だった彼の目の奥に宿った慈悲の灯火を、私は忘れることはないでしょう。



さあ、そうしてマルクトでの生活が始まりました。
里親は、もちろん子育てなんてしたことはありませんでしたから、私達によくいろはを訊ねたものです。

やれミルクの適温は、やれ泣き声の聞き分け方は、やれ上手いあやし方は。

その度に得意げになって教える隣の男に、彼は「情けないですねぇ」と、困ったように眉を下げ、いつかのように笑うのでした。



そうして時は過ぎ行き、3度の春を、夏を、秋を、冬を越えました。
あの日、青い服に抱かれていた幼子は、一番手のかかる時期を迎えます。

どうしてなんでの質問攻め。自分の知識を得意げに話す、ルビーの瞳。止まらない口と悪戯に、里親と私達はよく困り果てたものです。

それでも消えることのない愛情は、毎年決まった日に城を賑わせます。
グランコクマの噴水がその寒冷に途絶える季節。国の王子でもないその子の誕生日を皇帝は喜び、肉親は国境を越えてやってきます。
その時の息子の破顔っぷりといったら、私達の方が長く一緒にいるのにと悔しくなるくらい。

長い夜、暖かな人達に囲まれて、彼はパーティの席で眠ります。疲れ果てたその体を、彼の大好きな肉親に預けたまま。
緩んだ口角は、きっと幸せな夢を見ているのだろうと、なんとも想像に容易いのでした。




そうして過ぎ行く年月。
毎日眺めていた彼の背中は、気づけばこんなにも広くなっていました。昔々、この子の父親を育てた日々のことが鮮明に思い出されます。苦い記憶も甘い記憶も蘇って、彼の姿に父の面影が重なりました。
あんなに高かった声は低くなって、この手で包んでいた掌も、今では包まれてしまいそうなくらいに大きくなっていて。


――私は時々、不安になります。
彼が"母"を愛しく思う気持ちを。

幼くして喪った愛。それは到底、周囲の人間では埋められない、血の温かさ。だからこそ、私は時々、己の無力さに飲み込まれそうになるのです。

越えられない壁がある。守りきれない心がある。
彼を守り抜こうとした過去、その誓いは確かに私を突き動かしました。

彼が川に溺れた時には、震える身をなげうって救助に向かいました。
彼が何も知らぬ周囲に叱責されたときは、その者達への慣れない激昂にこの喉を震わせました。
彼が涙に濡れた夜には、言葉もなく、ただ傍に寄り添いました。


それで、母と呼べるのでしょうか。それで、血は越えられたでしょうか。

答えは、いいえです。どう足掻いたって、私達は血の繋がりのない"他人"なのだから。


それでも、他人でも。愛は、尽きることのない泉のようにこんこんと湧き出すのです。
虚しい時も、不安な時も、その暗く澱んだ心をすくい上げたのは、誰でもない"他人"の、小さくて大きな微笑みだったのだから。



ですから、私は、私達は愛し続けるのです。
しっかりと隣を歩む、その姿を。いつの間にか頼もしくなった、その横顔を。冷たい風に鼻頭を赤く染めて、寒いなと笑うその笑顔を。


父譲りの赤く煌めく髪は、今日もグランコクマの風に靡きます。

その燃えるような赤い瞳は、これから見る世界の何を映し、何を思うのでしょう?

あなたが生きるこの先の未来で、その笑顔は次に、誰の心に光を灯すのでしょう?




そうして今年もまた、この日がやってくる。大きくなった背中、これが最後かもしれないと感じる一つの冬。
だから私は彼の傍で、最上の愛を込め、こう言うのです。



「ナマエ。誕生日、おめでとう」





愛しい子、靡いた赤髪






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▼宮地様からのメッセージとなります。



唐宙様、赤坂様。この度はサイト開設4周年、おめでとうございます!
設定の誤差はすごくある気がしますので、その際はお申し付けくださいませ…

フキくんと宮地の誕生日と身長が一緒なのは奇跡だと思ってやみません。(私事)


作品の目線はハチですが、主人公はフキくんになっています。
フキくんはこの後、別世界に行ってしまうのだと思います。
その予感に、ハチは悲しいような寂しいような気持ちでいっぱいで、このような語り口になっています。

ハチは彼と住む世界が違ってしまおうと、もう会えなくなってしまおうと、たとえ彼が生きる先で自分の存在が忘れられてしまおうとも、いつでもフキくんの幸せを祈っています。


ちなみにブログにも書きましたが、フキくんとハチの関係はBUMP OF CHICKENの『友達の唄』がすごく的確な気がします…
書き終えてから気づいたのですが、この作品にぴったりですね!

「私」がハチで「あなた」がフキくんで…大興奮不可避……
フキくんが旅立った後に彼を思うハチの唄…



さて、今作は人物名が最後以外全く出てきません。そういうの好きなんですえへへ。
一応内訳を書かせていただきます。


赤子、幼子、息子:フキくん
私:ハチ
私達:ハチとガイ、もしくはマルクト組

主人、公爵、肉親:ルーク
里親、青い服:ジェイド
皇帝:ピオニー
親友、隣の男:ガイ

公爵夫人:ルークの妻(トリップ女性とのことです)
姉:フキくんのお姉さん


あとがき長すぎた…(^-^)スミマセン!
この度は4周年、おめでとうございました(*^^*)
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします!



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私がリクエストして、いつも宮地様からイラストをいただいているのですが、小説の方をいただけたのは今回が初めてなので、なんだか、いろんな新鮮な気持ちになりました!
ハチさん視点からのフキの成長記録を読んでいるみたいで、ハチさんはまるでフキの第二のお母さんですね(´Д⊂グスン
フキにはもっとハチさんと過ごす時間を満喫して欲しかったな、と切なくてハートフルな気持ちになりました…!
フキの姉や母親のことまで書いて下さり、とても嬉しいです(゚∀゚)ラヴィ!!
いつも素敵なお品と感動をお届けくださいまして、本当にありがとうございます!
今後とも変わらぬお付き合いの程、宜しくお願い申し上げます|。+゚ヨロシクデス。+゚|ω・`o)ノ" (愛しい子、靡いた赤髪)


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