22



フキは、駆け出していた。
目の前に立ちふさがる炎の壁と、頭上に降り注いでくるプレートの瓦礫や鉄骨などを避けながら、懸命に走り続けた。


息が上がる。心臓が激しく脈打つ。
それでも足を止めなかった。

もうすぐだ。
あと少しで六番街との境が見えるはず――! フキは必死になって走った。
その瞬間だった。

突然、何かに足を取られて、派手に転んでしまう。
身体中に走る痛みに耐えながら、フキは自分の足元を見る。


そこにあったのは、自分の足ではない、誰かの腕だった。
顔を上げると、信じられないものがあった。

大して面識はないが、上半身だけのスラムの住人の姿だ。下半身はない。
代わりに彼の背中からは血が吹き出している。
フキはその光景を見て絶句してしまう。


これは夢なのか?幻なのか?
しかし、そんなことはどうでもよかった。

フキは震える声で叫んだ。


「うああぁあぁあっ!」


フキは泣き叫びながらも、なんとか立ち上がった。
そうだ。まだ諦めるわけにはいかない。


だって俺は……俺はまだ生きている!!
フキは涙でぐちゃぐちゃになった顔を手の甲で拭き取ると、再び走り出す。
後ろを振り返る余裕はなかった。

ただひたすら前だけを向いて、フキは走り続ける。
だが、次の瞬間、フキは再び地面に転がっていた。
今度は何が起こったのかさえわからなかった。


フキは起き上がることも忘れて、唖然とするしかなかった。
すると、フキの視界に人影が映った。
見覚えのあるシルエット――黒いローブの魔物だった。

魔物は、倒れたままのフキを見下ろしている。
フキは恐怖で声も出ない。


どうしてこんなところに魔物がいるんだ?
どうして俺なんかを襲うんだよ? 俺が何をしたっていうんだ?

様々な疑問が頭の中に浮かび上がってきたが、それを問いかける勇気もなかった。
やがて、魔物はゆっくりと近づいてきて、フキを見下すように立ち止まる。

フキはただ怯えることしかできなかった。
その時だった。


突然、フキの背後から凄まじい突風が巻き起こり、砂埃を巻き上げる。
フキは思わず腕を上げて目を瞑り、身を屈めた。フキの耳に微かな声が届く。



「譜歌(ふか)……と言ったか。お前には、それがあるだろう?それで、自分の身を守ったらどうだ?」


フキはハッとして、顔を上げた。
すると、目の前にいたはずの魔物の姿は消えていた。

フキは慌てて立ち上がると、辺りを見渡す。


あれは、確か……!



「−−セフィロス師匠(せんせい)!!」


フキは叫ぶ。

間違いない。間違えるはずがない。
あの声、あの話し方。
フキが8年間もの間、師事し、憧れ続けてきたソルジャー・クラス1stにして、伝説の男。


英雄セフィロスそのものの、声だった。

フキは、もう一度声の主を探す。
だが、どこを探してもその姿を見つけることはできなかった。

そして、フキはある事に気づく。
いつの間にか、先ほどまで落下してきていたプレートも、炎の壁もフキを避けるように消えていたことに。

まるで、今の一瞬の出来事が嘘だったかのように、フキの周りだけ時間が止まっているようだった。
フキは、改めて自分が立っている場所を確認する。


そこは、六番街スラムとの境目であるゲートの前だった。
フキは、ふらつく足取りで歩き始めた。


どこか遠くから、誰かの悲鳴が聞こえたような気がした。
だが、フキはそれを気に留めることはなかった。

今は、ただ……前に進まなければ。
あの人の……セフィロス師匠の、言葉通りに。


フキは、おぼつかない足取りで走り出した。
目指す場所は、もう決まっていた。









ミッドガルの街が深更を迎えた頃、七番街プレートの崩落によって、街の明かりの大半は失われてしまった。
それでも、残された僅かな光が、ミッドガルの闇を照らしている。

七番街スラムから避難してきた人々でごった返すウォール・マーケットの中を、フキは歩いていた。
スラムの住民たちは、皆不安げな表情を浮かべており、中には泣き出す者さえいる。


しかし、それも無理のないことだ。
フキ自身も、この光景を見て、心がざわついてしまうのを感じていた。

だからと言って、自分にできることなど何もなかった。
むしろ、下手に行動を起こして、事態を悪化させるような真似だけは避けなければならない。

そう思って、フキは自分を落ち着かせようとしていた。フキは、人々の間をすり抜けながら、目的地に向かって進んでいく。


やがて、フキの目に一つの建物が映った。
それは、エアリスの家だった。


フキは、家の扉を開けると、真っ直ぐにエルミナのそばへと向かう。
そして、エルミナの前に立つと、詫びる言葉と共に頭を下げた。



「エルミナさん、ごめん!!エアリスが……」


エアリスが無事であること、彼女が神羅に行くことを条件に自分は助けられたこと、そのおかげで怪我もなく済んだこと……。

フキは、思い付く限りのことを話し続けた。
しばらくして、フキの話を聞き終えたエルミナは彼の頬を思い切り叩いた。


パァンッという音が響く。
フキは、突然の衝撃に驚いて、その場に尻餅をつく。
そんな彼を見下ろすようにして、エルミナは言った。


「なんで、あんたが謝るのさ……」


フキは、驚いたように目を見開く。


「え……?」

「どうして、エアリスが自分の身を挺してまで庇ったあんたとマリンって子を、私が咎めなきゃいけないんだい?」


その瞳には涙が滲んでいる。
エルミナは、震える声でフキに告げた。


「そ、れは……」


フキは、言葉を詰まらせた。

確かに、フキがしたことと言えば、ただひたすらに謝罪することだけだった。
だが、フキにとっては、それだけでも精一杯のことだったのだ。


自分のせいで、大切な人が傷つき、命を脅かされている。
その事実が、フキの心を締め付ける。

だからこそ、フキは許しが欲しかった。
例えそれが自己満足に過ぎないとしても、何かをせずにはいられなかった。


すると、エルミナは叩いたフキの頬に手を伸ばして、優しく撫でてくれた。
その温もりを感じながら、フキは思った。


−−ああ……俺は、いつも誰かに守られながら、生きてるな。

今にも壊れてしまいそうな脆く危うい感情の中で、フキはそれを強く実感していた。
フキは、自分の顔に触れる手の上に、自分の手を重ね合わせると、静かに呟いた。


「ごめん、エルミナさん。それと……ありがとう」


フキの言葉を聞いたエルミナは、少し照れたような笑みを見せると、ゆっくりと立ち上がった。
そして、ちょうどその時だった。


玄関の方から物音が聞こえたかと思うと、クラウド達が姿を現した。
クラウド達は、家の中にいるフキたちの姿を見ると、慌てた様子で駆け寄ってきた。

クラウド達は、口々に安否を確認してくる。
フキは、それに答えようとした時だった。

エルミナがフキを押し退けるように前に出ると、やるせなさを隠さずに声を上げた。


「エアリスは神羅に行ったよ」


それは、先ほどまでフキに対して見せていた優しい姿とはまるで別人のような態度だった。
クラウド達も、彼女の変化には戸惑っているようで、困惑した表情を見せている。


「すまない」


クラウドが、申し訳無さそうに目を伏せる。


「エアリスにマリンのことを頼んだのは、私です」


ティファは、クラウドに代わって、エルミナに謝罪した。

クラウド達に責任はない。
そもそも、あの状況では他に選択肢がなかっただろうことは、誰の目から見ても明らかだ。

しかし、ティファは自分達の甘さが、エアリスを神羅へ行かせる結果になってしまったことを悔いているようであった。


クラウドは、そんなティファの様子を見て、彼女に歩み寄ると、肩に手を置いた。
ティファの気持ちを察しているのか、それ以上は何も言わなかった。


「知り合ったばかりなのに、とてもよくしてくれて……。だから、甘えてしまいました」


ティファは、クラウドに促されるまま、ぽつりと心情を語り始めた。
その言葉には後悔の色が強く滲んでいた。
それでも彼女は、諦めてはいないようだ。

エルミナは、それを受けて、何かを決意したようにクラウド達の方に向き直った。


「遅かれ早かれ、こうなる運命だったのさ」


エルミナは、そう言うと、フキたちの方へと振り返り、真剣な眼差しを向ける。


「古代種だから……だな?」


クラウドの問い掛けに、エルミナは少し驚嘆した様子を見せたが、すぐにそのまま言葉を続けた。


「あの子から聞いたのかい?よほど信頼されてたんだね……そう、エアリスは古代種。古代種の生き残りらしい」

「らしい?」


フキが、首を傾げる。
他人事のように話すエルミナに違和感を覚えたからだ。

エルミナは、フキの疑問に答える形で、自身の知っている情報を開示していく。


「わたしは違うよ?あの子は、実の娘じゃないんだ……」


エルミナは、自嘲気味に笑う。

その瞳には、悲しみの色が浮かんでいるように見えた。
だが、それも一瞬のことで、エルミナはすぐに話を続ける。
それは、エアリスの生い立ちに関するものだった。


エアリスは、幼少期に実母と共に神羅から追われていたこと。
そして、五番街スラムの駅にたどり着いた矢先に実母が力付き、偶然そこで出会ったエルミナに引き取られたのだという。

エルミナは、当時のことを思い出すかのように遠くを見つめると、懐かしむような口調で言った。
彼女の目には、遠い日の思い出が映し出されていることだろう。その横顔からは、深い哀愁が漂っていた。

エルミナは、小さく息をつくと、クラウドたちに語りかけた。


「だから、神羅に連れていかれたといっても、お客様として扱ってもらえるはずだ。用が済んだら、すぐに帰してくれるだろうよ」


エルミナは、クラウド達を安心させるようにそう言ってくれたが、これまでのエアリスの言動を見聞きする限り、どうやら楽観視できる話ではないようだった。

おそらく、エアリスの身の保証はないのだろうと、フキは予想する。
だが、それを口に出してしまえば、クラウド達が気落ちしてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。


「どうかな?」


クラウドは、皮肉めいた笑みを浮かべると、エルミナに言葉を返す。
クラウドの言い分はもっともだ。


仮に、エアリスがただの客人として迎えられるのだとしても、神羅がそれを素直に受け入れるとは思えない。
クラウドの反応は、至極当然のものと言える。

家から出て行こうとするクラウドに、エルミナが、突然声を上げた。


「何をしようってんだい?ことを荒立てないでおくれ!エアリスを失うことにまでなったら、私はもう……」


エルミナは、クラウドに縋り付くようにして懇願した。必死の形相だった。

それだけ、娘を想う気持ちが強いということなのだとわかる。
エルミナは、続けてクラウド達に頼み込む。


「頼むよ……」


エルミナの言葉に嘘偽りはなかった。
彼女の真摯な態度には、フキも胸を打つものがあった。


彼女の気持ちが痛いほど伝わってくる。
だからこそ、フキはあえてクラウドの味方につくことにした。


「エルミナさん、悪いけど、エアリスがお客のような好待遇を受けているって言う考え方は、やめたほうがいいと思う」

「あんたも、結局はクラウドと同じ考えかい?」


エルミナは、悲しそうな表情を見せる。
しかし、フキにも譲れない一線があった。


「今回ばかりは、クラウドと同じ意見です。神羅は加減を知りません。下手したら、エアリスだって、俺の母さんの二の舞いになるかもしれないんす」

「あんたの……母親?」


エルミナは、怪しげな視線をフキに向けた。
フキは、その視線から逃れるように顔を背けると、静かに目を閉じた。


「……俺の母親は、昔、神羅で拷問のような人体実験を受けた末、死にました」

「…………」

「母は、神羅で働いてましたが、仕事でミスを犯したとか、そんな理由で……」

「そうだったのかい……。辛い話をさせちまったね……」


エルミナは、申し訳なさそうにそう呟く。
クラウドは、フキの話を聞いて、複雑な面持ちをしていた。

それは、エルミナも同じだ。
彼女もまた、自分の行動が引き金となり、誰かを傷つけてしまったのではないかと思い悩んでいるのだろう。


沈黙が流れる。
重苦しい空気が、辺りを支配していた。

そんな中で、エルミナがおもむろに口を開いた。その言葉は、意外なものだった。


「……あの子はいつも、あんたのことも話してた。あんたも、エアリスと同じぐらい、苦労したんだね……。本当は綺麗な緋い髪してるんだろ?エアリスが言ってたよ……、黒い色に染めるなんて勿体ない」


エルミナは、そう言って、フキの頭を優しく撫でてくれた。
彼女の手の温もりが、じんわりと伝わってくる。

エルミナの手の感触が心地よくて、自然と心が安らいだ。
そして、フキは、死別した母のことを思い出した。


生後二十日程度しか、共に生きられなかった母を、だ。

母の愛情というものを、フキはよく知らない。
物心ついた頃には、既に、父や親代わりの人間しかいなかったからだ。
だが、それでも、母が自分に注いでくれたであろう愛だけは、他人を通して感じることができた。


フキは、その優しさが嬉しくて、思わず涙ぐんでしまった。
すると、エルミナは、慌てるようにして、フキから手を離した。

彼女は、照れ隠しなのか、そそくさとキッチンの奥へと引っ込んでしまう。
そして、何事もなかったかのように、様子を見ているだけだったバレットが、会話に割って入る。


彼は、フキ達を諭すような口調でこう言った。



「七番街スラムに戻らねえか?やること、いろいろあんだろ……。セブンスヘブンも確認しておきてえ」


まるで、子供に物事の道理を教えようとする大人のように。その声色は、とても優しかった。

彼の言葉には、重みのようなものが感じられる。
おそらく、この男は、過去に何かあったのだろうとフキは思った。
そんな男の一言だからこそ、心に響くものを感じたのだ。

それは、クラウドとティファも同様らしく、彼らは互いに顔を見合わせると、無言のままうなずき合った。
フキ達は、七番街スラムに戻る決意をした。





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