37
半月ほど、寝台でキラキラと輝く青いグラデーションの海を眺めながら、俺は療養生活を送っていた。
オールドラントの公転周期はザックス達が住んでいた惑星とは異なり、365日×二倍の日数がこちらでは一年とされている。
だから、ここでの半月は十五日ほどではなく、六十日の中の半分、三十日ほどの期間が半月なのだ。
怪我は生活に支障が出ない程度に回復したが、なにぶん、五年間も眠りっぱなしだったのだ。せっかくついた筋肉が、顔の古い角質みたく、ごっそりと抜け落ちていた……。
俺のシックスパックを返せ。セフィロス師匠。
「セフィロス、師匠か……」
手酷い裏切りにあい、殺されかけても、つい彼のことを師と呼ばずにはいられない。それほど、彼の存在は深く、大きく、俺の中に居座っていた。
師匠だけじゃない。ニブルヘイムでの出来事を何度も何度も、繰り返し思い出すと、今もこうして自分が偽りの安らぎの中にいたことを、悟らされる。
そこで関わった者たちの顔が、次々と俺の目の前によみがえった。これまでの何十日間、思い出さないようにしていた顔が−−。
同時に圧倒的な恐怖と負わされた怪我の痛みが襲ってきて、俺はパジャマの胸元をつかみ、あえいだ。
−−あそこには戻りたくない……いやだ……!
心が拒絶反応を起こし、息がつまる。
またあれを繰り返さなきゃいけないのか?
殺し、殺される痛み、孤独、裏切りといった、あの悪夢のような日々を−−?
−−でも、誰かじゃダメなんだ……俺が、やらねば。
恐怖に震えながら、同時に理解していた。俺にとっての『約束の地』がどこにあるのかを……。
× × × ×
ジェイド父さんに無理を言って、俺はタタル渓谷にある、セレニアの花畑ある丘の上まで小型のアルビオールで送ってもらった。ジェイド父さんという保護者の同伴付きで。
夜にしか咲かないセレニアの白い花弁が、月明かりの下で柔らかい紙を散らしたように咲いていた。
その景色をながめていると、ジェイド父さんが背後から声をかける。
「どうしても、行かれるのですか?」
あちらの世界ほどではないが、争いは絶えなくとも、美しく、自分を力一杯愛してくれる人達がいるこの世界に、とどまることができたらどんなにいいだろう……。けど、俺は振り向いて言った。
「俺……あの世界に行きたい。いや、行かなきゃいけないんだ」
ジェイド父さんは俺の顔を見た瞬間に、その言葉を予測していたようだ。
「生まれ育った故郷を捨てても、ですか?」
片手で眼鏡のフレームを上に上げるが、それは質問というより、確認だった。
「あの世界に……俺は帰らなきゃ」
俺がゆっくりと答えると、穏やかではあるが冷徹な調子で指摘する。
「今の貴方が戻ったところで、抱いた理想を実現できるのですか?貴方が信じてきた方々に、また裏切られることになっても?」
それもまた事実だ。ことに、もはや俺にはなんの武器もなく、あの世界へ行く手段さえも見当たらないこと、そして、よしんばたどり着くことができたとしても、どのみち全てが手遅れに違いないということを思えば。
それでも、言い出しことを曲げるわけにはいかない。例えジェイド父さんが俺を引き留めたくて、言ったんだとしても。
なんだか、いつものジェイド父さんらしくないな。
極端に倫理的あるいは合理的な考え方で基づいたやり方で、事実のみを俺の前に差し出してくれる。
一時は、ジェイド父さんのやり方に寂しさを覚えたこともあったが、これからやろうとすることに、そんな感傷の中に逃れることは自分が許さない。
「俺は、父さん達やセフィロス師匠、ザックスのような英雄の器を持ってない。英雄になること自体、俺には向いてないんだなって何度も気付かされる場面に出くわしてきたよ。それでも、俺……父さん達のような英雄になりたかった」
俺は静かな決意の中で、ジェイド父さんに答える。
「でも、人を信じることを諦めてまで、俺は英雄になりたいとは思わない。誰かに裏切られたっていい……。何度裏切られたって、俺が信じたいって思った人の口から、嘘だって言われない限り、その人を信じ続けたいんだ。そんな人が、こっちに負けないほど、あっちの世界で沢山できたよ。ジェイド父さん」
黙っていては伝えられない。声高に叫ばなければ、誰も俺の言葉に耳を傾けてはくれないだろう。
立ち上がり、歩き出すことを俺は選んだ。
俺にとっての『約束の地』は、ここではないから−−。
ジェイド父さんははじめて、わずかに目をみはった。
ややあって、ジェイド父さんはこくんとうなずき、俺の頭に手を置いた。
「私やルークからなかなか離れず、後ろをついて回っていた子供が、こんなにも大きくなるとは……」
「だいぶ昔の話だろ?」
「ティアがヴァンデスデルカを妊娠しても、そうでしたよ。貴方は」
「うっ……」
「それと、貴方が命名したヴァンデスデルカですが、女性に対して男性名をつけるとは……ルーク並みのセンスの悪さですよ」
「えっ……ヴァン、女の子だったの!?」
「私は事前に言いましたよ。女性用の名前も考えておきなさい、と。あと、彼女はセカンドネームのジアを名乗っています」
だって、胎動を手で触れて感じ取った時、ジェイド父さん、「この動き方じゃ、男の子かもしれせんね~」って言ってたじゃないか!!
ジェイド父さんに裏切られた気分と、十五歳下の妹に申し訳ないことをしてしまった積年のどっと後悔が押し寄せた。
「私は貴方のその、愚行に走る癖をたまらなく気に入っていますよ」
一ミリたりとも褒めが入っていない、ジェイド父さんの貶しにげんなりしていると、コンタミネーション現象で父さんは利き手から剣を取り出し、俺に渡す。少し戸惑いながら受け取った剣の全体像を見る。
シンプルなデザインで、ホドのカタナとやらに造りが似ていた。
剣の棟区には10ctくらいの紅い宝石がはめ込まれていた。
この剣は?と目を白黒させながらジェイド父さんに詳細を聞く。
「これはローレライの鍵から、少し素材を引き抜いて作られた、姉妹剣というか……親子剣ですね。貴方が五年前、グランコクマに漂流した際、一緒に流れ着いたローレライの鍵をルークに返却し、ルークが音譜帯でこれを作りました」
そしてジェイド父さんは唖然と目を見開く俺に、とらえどころがない笑みを向ける。
重さも軽すぎず、持てないほど重量があるわけでもない。俺の手に馴染むと名言してもいい剣だった。
しかし、おいそれとローレライの鍵から派生して作られた剣を、自分なんかが手にしてもいいのだろうか?
俺はただただ圧倒されながら、たずねる。
「ジェイド、父さん……ほんとにこれ、俺が持っててもいいの……?」
ジェイド父さんは、ごくあっさりと答えた。
「ルークが、"いつかこの剣は、フキを助けてくれる。こんな事でも、フキにとって父親らしいことができるなら、とローレライも剣を作ることを快諾してくれた"そうです。私としても、これは貴方にとって必要な力だと思いましたから」
三人の父が、こんなにも頼りない息子の背中を力一杯押してくれている。
父達の思いを通じとると、改めて感慨深くなり、涙腺に響いた。
俺はただ一言、こう言った。
「……ありがとう」
自分と正面から向き合い、これを託すべき人間として認めてくれたこと、成長させてくれたことに対する、感謝の言葉だった。
「貴方が泣くことがあったとしても、大切な人を泣かせてはいけません。だから……私の自慢の息子よ」
ジェイド父さんの言っている言葉が、最後あたりで複数人の人間と重なって聞こえて来る。これはもしや……。
「この別れで涙を浪費するな。お前の涙は私達などのために流していいほど、軽いものではない。それはただ……自分のために流しなさい」
三人の父の声が、一斉に重なって俺に託した。
前世の時の父親、ローレライ。
今の人生での父親、ルーク父さん。
そして、赤子の頃から俺を育ててくれた、ジェイド父さん。
今ここには、一人分の体しかない父さん達だが、俺は三人をまるごと抱きしめるようにジェイド父さんに飛びつき、抱擁した。
「……父さん達、今までありがとうございました!!」
綺麗な角度で腰を折り、三人の父親に礼を述べると、俺はジェイド父さんから離れながら、微笑んで彼らを見送る。
彼らが俺を信じたように、俺も彼らを信じていた。
だから、与えられたものをただ受け取って、自分の信じるままに戦うことだけ考えることにした。
夜風が、舞い散るセレニアの花弁を引き連れて、どこかへと渡ってゆく。
俺は父さん達から受け取ったローレライの鍵の姉妹剣を額に掲げ、祈る。
心と心をつなぐように、ユリアの譜歌を歌い出す。
歌と同時に譜陣(魔法陣)の駆動音とともに、俺を取り囲むようにオレンジ色の光が放たれた。俺の唇に、つい笑みが浮かぶ。
あっちの世界に行くきっかけとなったのも、譜歌とローレライの鍵だった。
オールドラントだけでなく、あっちの世界とも、俺には知らない深い繋がりがあるんだろうと、優越感を感じた。
これなら、気が咎めずにあっちの世界に帰れる言い訳ができたな。
真空の海の向こうに輝く青い星に向けて、俺は飛び出した。
その手に新たな剣を託されて−−。