01
彼女は、いつもの様に花の手入れをする為、今日も伍番街スラムの教会を訪れていた。
神羅の監視下で生きる彼女にとって、ここならば誰にも縛られず、自由を制限されない。
彼女にとって、古代種という研究材料として囚われることなく、唯一の息抜き、生き甲斐でもある穏やかな時間だった。
花を育て、それがスラムに住む人々の心の癒やしになってもらう事も、彼女の望みでもある。
繊細な顔立ちに、エメラルドグリーンの色をした瞳。天使を思わせるような美少女。
白いワンピースを着て、茶色の髪は癖があり、腰まで伸びている髪は後ろで一つに結んでいる。
正に清楚と言った言葉が似合う。
彼女、エアリス・ゲインズブールはそう言う少女だ。
プレートで覆われた、スラムの空。
教会の窓から鉛色の空を見上げると、エアリスは両手を組んで祈る。
耳を澄ませて、いつものように星の声を聞く為、瞑想にふける。
エアリスには、古代種の血が半分しか流れていないものの、しっかりと「星の声を聞く」、「人の奥に秘められた真実を読みとる」といった、古代種特有の不思議な力が継承されていた。
今のように、エアリスはこうして星と対話をする事が、時にある。
花の手入れをするのと同じくらい、星に祈りを捧げる事はエアリスにとって、大事なことだ。
「……っ!」
星から何かを感じとったエアリスは、瞑想を止めた。
翡翠の目は、迅速な驚愕を表していた。
「……星の同胞が、この地に来る」
星から伝えられた言葉をありのまま、大気に発した。
エアリスはその場からゆっくりと歩みを進め、教会の出口に向かう。
まるで導かれるように、彼女は教会を一度、後にした。
× × × ×
――フキ、また譜歌の練習してんのか?
夢なのか、記憶の中でなのかは分からないけれど、暗闇の中で父さんの声が聞こえた。
うんざりする程、父さんに尋ねられた言葉だ。
尋ねられる度に、あと何回言われるんだろうって思ったけどね。
「父さん。 俺、ユリアが何を思ってこの歌を歌ったのか、それが理解できないんだ。だから、俺の歌った譜歌……発動しなかったんだ」
言葉を発していないのに、俺の声は闇の中でよく響いた。
多分、頭の中で呟いているだけだから、直に聞こえて響くのかな。
闇の中で、父さんの声も俺の声もやけにクリアに聞こえるのが、なんだか不思議に思えた。
――俺も譜歌についてはよくわかんねーけど、ティアはちゃんと、譜歌に込められた意味を教えてくれた筈だ。お前に、譜歌を聞かせていた時にな。
「そんなの、沢山ありすぎて覚えてないよ」
だって、ティアさんが俺に譜歌を聞かせてくれたのは、物心がつく前の頃からだ。
子守唄程度にしか聞いてこなかった時間が長く、譜歌に込められた意味を話していたとしても、到底幼かった俺に理解できるわけがない。
どうしても、譜歌に込められた意味を読解できない俺は、いる筈もない父さんを闇の中で探す。
探したって、父さんの姿が見つかるわけでもないのに。
わかっていても、俺は心の拠り所が欲しいあまり、闇で覆われた視界の一点に狙いを定め、前を見据えて言う。
「俺、素質が無いのかな……」
自傷気味に、俺は愚痴た。
父さんならすぐに返答してくれるって思ったから、期待をしていたのかもしれない。
俺は覚めないこの暗闇の中に、一人でいるのがひどく不安に感じていた。
どんな事だろうと、一言でも多く、俺は父さんの声を聞いていたかったんだ。
「…もしもーし」
(え…?)
返ってきたのは、よく知る父さんの声ではなく、可愛らしい女性の声だった。
「もしもーし!」
「んぅ…」
誰かが呼びかける声で、気を失っていた俺は目を瞬き、瞼を開ける。眩しい。
瞼の裏が黄色に染まっている。
首を捻ればぼんやりとした世界に、白と黄色の世界が広がっていた。
それが花だと気づくのに、少し時間がかかった。
(俺は今まで、花畑で眠っていたのか…?)
体と頭が、まだ重たく感じる。
上半身をなんとか起こし、俺は闇の中から目覚めさせてくれた人物を探す。
「やった!」
頭を振るって、虚ろになっている目を醒まさせ、声がした方へ顔を向ける。
目の前には、綺麗な顔立ちをした少女が立っていた。
表情からして、彼女は俺が目を覚ました事に喜んでいるようだ。
(……可愛い)
ただでさえ、端整な顔立ちをしているのに彼女が笑うと、見ているこっちまで笑みが零れそうになる。
俺は彼女のその笑顔に、見惚れているしかなかった。
「ねぇ、此処がどこだか、わかる?」
いけねぇ、いけねぇ。女の子に見惚れている場合じゃない。
早く、家に帰らなきゃ。
俺は周りを見渡してから、彼女に尋ねる。
気を失う前は、自分の屋敷にいたんだけどな。
なのに、目覚めたら見知らぬ場所にいるし……。
ある意味、恐怖を感じる。
「スラムの教会」
「スラ、ム?」
「うん」
聞きなれない単語に、俺は首を傾げる。
スラムって言う街、あったっけ?
そもそも、オールドラントに存在していただろうか。
一つの考えから、幾つもの疑問が浮かび上がってしまい、切りがない。
疑似超振動でも起きたかな……。
ダメだ。いくら考えても、俺にはジェイド父さんみたいな頭脳を持ち合わせていないから、答えが出てこない。
どういった経緯で自分がこの場にいるのか、それについてはあきらめるっきゃねぇな。
「ねぇ、君、大丈夫?」
無表情で思案していた所為か、彼女は心配した様子で尋ねてくる。
「ああ、大丈夫!ごめんね」
そう答えれば、彼女は良かったと言って、顔に笑みを綻ばせた。
「私、エアリス」
自分を指差すと、彼女―エアリスは名前を教えてくれる。
「俺は、フキ・フォン・ファブレ。 よろしく」
お互いに名前を名乗り終えると、エアリスは俺に近づき、手を差し出す。
透き通るようなエアリスの手を、俺は壊れ物を扱うみたいにそっと、握り返した。