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−−ガウナ・ヴァレンタイン。
俺の実母で、異世界から来た人間、とだけ幼い頃から家族や親交のあった大人たちに聞かされていた。
俺にとっては、生後二十日くらいの付き合いをしていない希薄な親子関係だった故、母親が居なくて寂しいと感じた事はあまりない。
元からいないものに、人恋しさから縋りようもなかった。
母が死んだきっかけは、テロだった。
俺が生まれ育った世界……オールドラントでは、父は王族で、国どころか、世界を挙げるぐらいの"英雄"だ。
その英雄がある日、幾億人以上の人達が築き上げた二千年にも及ぶ伝統と習わしを捨てろと言った。
そうせねば、世界と人類が、滅亡せざる負えない状況下であったからだ。
父は仲間と世界中を駆け回り、国の代表者達を説得した。
事がすんなりといかない時だって、あっただろう。
それでも、世の為、人の為に世界の理を変えてしまうほどの偉業を、父達は成し遂げたのだ。
歩みは遅かったかもしれないが、父達が成したことは、徐々に人々の生活に浸透して行き、より良い方向に皆が変わろうとしていた。その矢先だ。
古くからの伝統を捨てられず、解釈の仕方と受け入れ方を間違えた一部の人間達は、暴力的手段を行使し、威嚇を始めた。
テロに発起した人間達が最初に狙ったのは、各国の要人だった。
例に漏れず、父とその仲間、血縁者や親交のあった人達が執拗に追われた。
殺伐とした逃避行の果てに俺が産まれ、母と産まれたばかりの俺は隣国に亡命する最中、母だけがテロリスト達の凶弾に倒れた。
母が命懸けで俺を庇い、守ってくれたことによって、俺は今日まで生きることができたのだ。
母との思い出も記憶も存在しない俺には、その話だけで胸が熱くなることはある。
でも、俺にとってはただの美談でしかない。
母が死んだ後も、テロの熱りはさめなかったし、俺はというと、父が信頼してる何人かの仲間内の一人に、つい最近まで里子に出されていたのだから。
その人に育ててもらいながら、成長していく過程で母にまつわることも沢山見聞きして来た。
母が生前にどんな人間で、時にはただの噂に振り回されたり、その後に真実を見聞きして、色々と知り得たことはある。
だが、母は数年しか俺の生まれ育った世界に定着しなかった人だったので、母について知っている人も、事もあまり多くはない。
母と親交が深かった養父ですら、「あの人は、破天荒な言動に反して、その実、秘密主義の完璧主義者ですよ」と言わしめるほどだった。
伴侶の父は、恐らく母の全てを母自身から暴露されているのだろう。
けれども、母に関することで俺や姉上に語れる範囲は広くないのだとも思う。
父と結ばれるまでは、母の性生活が乱れまくっていたものだったというのをだいぶ濁し、噛み砕いた内容で養父は俺に教えてくれたことがある。
きっと、父も周りの大人達も、母を知ろうとする俺に、望まない事柄の方が多かったのかもしれない。
父達は俺に、良いものだけを見聞きするように育てて来た。育ててくれたから。
「彼女は、タークスで、確か、彼女のお兄さんと神羅に入社したって言ってたわ。射撃の腕が、お兄さんよりも凄くて……」
知らない言葉を生まれて初めて聞くかのように、ジリアンさんの口から母のことが語られる。
「ガウナ……とても優秀な人だったのに、ある時、ガスト博士とその奥さんを連れて、神羅を去ったわ」
「神羅を、ですか?」
「ええ、でも、ガウナの方が先に神羅の軍に捕まって……十八年くらい前だったかしら、子供を産んで亡くなったとか」
「子供っ!?」
この世界で死んで、その後になんらかの存在の介入があって、俺の生まれ育った世界……オールドラントで蘇り、行き着いたのは、なんとなくだけど納得はできる。せざるを得ない。
だが、母が経産婦……しかも俺と姉上の上に兄弟がいたとは思わなかった。
その兄弟が今も無事に生きているのか、わからないけれど。
「その、ガウナさんが産んだ子供はどうなったんですか?その子の父親は!?」
「生きているのか、死んでるのかさえ、分からない。ただ、スラムで産み落としてそれっきり、だから。父親はその……」
子供の生死をすらすらと喋ってくれていたジリアンさんは、父親の話題になると口籠る。
もしかして、暴漢に襲われでもして、出来た子供なのだろうか?
ソルジャーとは違った意味で、戦闘のプロであるタークスの人間が、そう簡単に手篭めにされるのはなんとも想像しにくいが。
俺の妄想が、過剰な方向に肥大していると、ジリアンさんは堰を切ったように話出す。
「若い人には憚れる話ではあるけれど……一部の噂では、プレジデント神羅と宝条博士に暴行を受けて、子供を身籠ったという話よ」
「はぁっ!?」
頭を殴られたようなショックが、全身を貫いた。
プレジデント神羅か、宝条の子だって……!?
ジリアンさんに呼び戻されるまで、俺は緊張に蒼ざめ、体中が水に濡れたように生きた心地がしなかった。
この事実を父さん一人で背負ってたのかもしれない、頭の中でその思いを張り巡らしただけでも、俺一人で背負うには重すぎる事情だった。
そして、ありのままの母さんを受け入れた父さんは、俺が思い描いていた通りの尊敬し、敬愛する父さんで、そんな人だからこそ、母さんは惹かれたのだろう。
「フキ、大丈夫?すごく顔色が悪いわ。やっぱり……若い人に話すには、酷だったわね」
「いいえ、大丈夫。大丈夫です……ありがとうございます。話しにくいことを話してくれて」
「あなたが大丈夫なら、それで良いのだけれど……。ごめんなさい、私のわがままに付き合わせてしまって。ガウナとは昔、ちょっとだけ交流があってね。つい、懐かしくて」
俺を心配する素振りは失くさずに、ジリアンさんは母さんの姿を俺に被せ、その情景に酔いしれた黒真珠の目が喜びで濡れていた。
もう一度ここに来ることができて、良かった。
俺もジリアンさんと同様に、相好を崩す。
「歳をとると、欲張ってばかりでダメね」
「欲張り、ですか……ジリアンさんは欲張ったことなんてないでしょう?」
「欲張るってことは些細なことなのよ。やりたいことをやろうとするのは、欲張りなのよ」
ジリアンさんの口から、らしからぬ言葉を聞き、惟る。
彼女のどこが、欲張りなのだろうか?
確かに、裕福な家庭環境ではないのだろうけれど。
アンジールさんのように、質素倹約な習慣が徹底されているように見えるし……。
しばし、俺がジリアンさんから目を離していると、ガタンッと何かが床に落ちる音が響き渡る。
音のした方へ視線を送ると、ジリアンさんが椅子から崩れ落ち、倒れていた。
壁に立て掛けられていたはずのバスターソードが、ジリアンさんのそばに落ちている。
まさか、そんな……!
間髪入れずにジリアンさんに駆け寄り、治癒術を施しにかかる。
左腕でジリアンさんを抱きかかえ、空いた右手でヒール……俺の生まれ育った世界での、中級ぐらいの回復術をかけるが、ジリアンさんは治療の手を払い除ける。
「何をしているんですか!?」
「もうどうしようもないことだから、治療……しなくていいわ」
何度も治癒術を放っている手をジリアンさんの傷口に当てようとしても、虫の息だというのにどこにそんな強い力があるのか、治療の手を止められてしまう。
生命の前で、遅れをとるわけにはいかないというのに。
ジリアンさんを抱えている腕越しに、どんどん彼女の鼓動が小さくなっていくのがわかる。
自分の無力さや、なぜジリアンさんが自ら死を選ばなければいけなかったのか、傷心と悲しみで、恥ずかしいほど涙がとまらずに流れ続ける。
止血はなんとかできたが、治療の邪魔をされ続けたため、ジリアンさんを回復させることは叶わなかった。
もう手の施しようがないことが、ジリアンさんも把握したのか、余喘を保ちながらほくそ笑んでいた。
俺はそれが許せなくて、重体の人間相手に声を荒げる。
「なんで、こんなことする必要があるんだよ!!畜生……!」
今だに血溜まりになっているジリアンさんの胸部に、顔を埋めて泣いた。
血で汚れた俺の顔をジリアンさんが震えた手で、自分の顔の方へと抱え上げて向かせた。
「私、は……好きな地獄を選んで……生き、たの。この気持ちは……誰にも、わからない……。許を請いたい相手が、いない……気持ちが」
「それでも、貴女はまだ、死ぬべきじゃなかった……!貴女の死は、耐え難い苦痛を俺に与えてますよ。きっと、アンジールさんにも……!」
涙で滲んだ視界が、ジリアンさんの姿を上手く捉えきれない。
ジリアンさんも視界が霞んでいるはずなのに、目尻に溜まった俺の涙を器用に指の腹で拭いながら、冷たくなってきている手で俺の頬を包む。
残りわずかでも、完全に冷え切っていない体温が余計に涙を流させた。
「自分を、責めないで……あげて。おかげで……私は……幸せ、よ。私の、ために……悲しんでいる人が……多いっ……て、知ることができた。あなたは……ザックスと違った……強さを、秘めているわ……。私に……してくれたみたいに……他人の弱ささえも、受け止められる……そんな、人に……なってね……フキ」
俺を優しく諭しながら、ジリアンさんは静かに息を引き取った。