きっと輝く未来が待っている

 ふと、手元のパソコンから顔を上げてキッチンカウンターの向こう側で楽しそうに鼻歌を歌いながら料理をしているなまえを横目で見る。「作り終わるまで立ち入り禁止ね、飲み物ほしかったら言って!」と念押しをされているため、甘い匂いを充満させている彼女が一体なにを作っているのか自分にはわからなかった。

 ひとりでは持て余しているキッチンもなまえが来た時にだけ使われているせいか、置いてある調味料やらキッチン周りの配置はなまえ仕様になっており、この前ふらっと立ち入ったときには見覚えのないものばかりになっていたことを思い出す。

「ニヤニヤしてる」

 カウンター越しのなまえが不思議そうな顔でこちらを見ている。ニヤついてるなんて、そんなわけ――黒くなったパソコンの画面で自分の顔を見れば表情が僅かに緩んでおり、口元に手を当ててため息を吐いてしまう。平和ボケもいいところだ。

「誤魔化さなくてもいいのに。幸せ逃げちゃうよ」
「ため息ごときで逃げるくらいなら元から必要ありません」
「それもそっか」

 納得するのか、そこ。
 だが、深く突っ込まれてやれ幸せとは云々なんて説教じみたことをされるより俄然マシだ。普遍的な幸せなんて語られたところで、俺はそんなものを知らないし、知りたいとも思わない。どうせ得るなら誰も持っていない、俺だけの、俺だけしか知らないものであるべきだと思う。しかしその反面では「人間らしい幸福を甘受することへの抵抗」というものも見え隠れしているのかもしれない――なんていうのは、彼女は知らなくていいところである。

「できた」

 そんな思いに耽っていれば、弾むような声でなまえが満足そうに呟いていた。頬杖をついたまま、手元を見て嬉しそうに微笑んでいるなまえを見ればしっかりと目が合い、これまた嬉しそうに手元にあった「それ」を持ってこちらへやってきた。

「見てみて、おいしそうにできたよ」
「ケーキ……」
「……苦手だったら無理しないでいいからね! あの、ほんと気持ちというか、私が作りたかっただけで、」
「食べます」
「えっ」

 なまえから差し出された、三号程度のケーキ。それを目の前にした瞬間、思わず口を噤んでしまい、あらぬ誤解を招いてしまった。
 嫌いだからとか、苦手だから反応に困ったのではない、ケーキを作ってもらうなんてことを誰かにしてもらったのは初めてで、自分自身それをどうやって受け入れていいのか分からなかったからだ。
 なまえの紡ぐ言葉が尻すぼみになっていき、ケーキを下げようとしているを遮って制止する。

「すみません、誕生日にケーキ作ってもらったのは初めてだったので」
「……そっか。私が初めてかぁ」

 自分の失言で暗くなっていた表情が、驚いたように、でもどこか嬉しそうな表情へと変化していって、

「私、毎年茨くんのお誕生日にケーキを作るよ。お互いおじいちゃんとおばあちゃんになっても、ずっと」

 なんて、なんでもないように言ってみせるのだ。想像していなかったわけではないが、彼女は老後まで俺と一緒にいるつもりらしい。

 永遠の愛なんて、幸福なんて、そんな非現実的なものは信じたくないのに。それなのに心のどこかで「悪くない」と思っている自分が居るのは、なまえのせいか、なまえのおかげか。

「お誕生日おめでとう、茨くん。また一年よろしくね」

 ケーキを受け取り、崩れないようにそっと置く。空いた両手で返事の代わりになまえを抱き寄せて無防備な唇に噛み付く。胸が熱くなるこの感覚は、きっと「幸せ」と呼ぶのだろう。俺が望んで得た、俺だけの幸せが確かにそこにあった。

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