あかつき荘にまともな少女はいない。
 昨日はツインテールだったから、今日は一つにまとめてお団子、とはりきったものの今日は全く予定が入っていないことをカレンダーで確認した途端、過去の自分を呪った。
 花宮薫は面倒臭がりだ、それも極度の。外面だけはいいものの内心はいつも面倒臭いの四文字がど真ん中に居座っていた。だから今日も、見せる相手も出かける先もないのに朝から面倒臭いことを頑張った自分に馬鹿者とタグをつけたくなる。
 少女ばかり、否女性しかいないあかつき荘に住むにあたって、動きやすく楽でありつつ可愛いものを選んだ部屋着はいかにも薫が女子高生であるということを表している。余談ではあるが、この民荘には薫以外にも何人か女子高生がいるけれど、その中で一番おしゃれなのは薫だ。
 どうせなら一日中部屋にこもってゴロゴロしていたかったが、自室に調理場も冷蔵庫もないため空腹時は共同スペースまで出ていかなくてはならない。朝ごはんを抜くつもりだったが、どうせ食堂にいくのならば食べに行こう、と冷たいドアノブを握って自室から出た薫は、すぐにその扉を閉めなおしてやろうかと思った。
 もちろん、気が変わったわけではない。薫が心の底から嫌う”面倒くさい”がそこに存在したからだ。

「未来の技術はロボット工学が担うんですー!!あんた脳みそも筋肉でできてるわけ?」
「は?コンピュータに計算させすぎて頭よわくなったの?それにその言葉、ひきこもり代表みたいな奴が言う言葉だよ?」

 精一杯の我慢で完全に締め切らなかった扉の隙間から聞こえてくるのは喧騒。当事者を目の前にしたわけでもないのにその方向から目を反らした。しかし背に腹は代えられぬ、とゆっくりを扉を開け直す。

「今の世の中見回してから言って下さる?あんたがよく使ってるスマートフォンも工学ですよ?」
「はいはいはいはい、そうですね!まあ天災で電気使えなくなった瞬間、君も使い物にならなくなるだろうけどね」

 なんの話をしているんだ、なぜそんな内容の喧嘩がはじまったんだ。口に出すと余計なものに巻き込まれそうな気がして咄嗟に薫は口を閉じる。この二人の喧嘩は日常茶飯事なんだ、つっこんではいけないんだと自分自身に言いつけて、一歩部屋からでる。
 どうやら二人が喧嘩しているのは廊下らしい。食堂に行くにはそこを通らねばならない。もう一本別の行き方があるがそれにはこの道の二倍以上は時間がかかるから却下だ。
 そろり、二人にばれないように一歩一歩をできるだけ音を出さずに踏み出す。建物内でも土足なここではその行為のいかに難しいことか。薫がそうやって小さな音と格闘している間にも、二人は大きな声で騒ぐ。

 先ほどから、なんだかんだ相手が年上故に敬語で挑発し続けているのは広瀬柚。腰まで届く髪はアジア人でありつつも見事に色が入って美しい金髪である。美容師さんも苦労したことだろう。彼女は薫と同い年、女子高生二年目、十六歳だがロボット工学の面では大人顔負けの才能を発揮する。生憎彼女の通う学校は――あかつき荘に住む高校生は全員が全員違う学校に通っている――ロボコンに参戦していないので趣味でしかその才能を発揮できないとかなんとか。
 対して表情をほぼ変えずに微笑のまま彼女を見下ろすのは蔵王結祈。女子にしては高い身長、と言いたいところだが彼女は男だ。精神的には。性同一性障害の持ち主で体は女であるが中身は優男をちょっと乱暴にした感じだ。結局のところ体は女の子なわけで、女子にしてはモデルも憧れそうなほどの身長の持ち主である。本人曰く”男子にしては低い”。
 そんなちょっと、どころではなくかなり変わったこの二人はすこぶる仲が悪い。名前が似ると仲が悪くなるという言葉を昔聞いたことがあったが、もしそれが本当なら自分の名前が薫であることに感謝するしかない。お母さんお父さんありがとう。
 
「このままテクノロジーが進めば天災がいつ発生するか予測できますし、防衛できますからねー!」
「それ、何百年後の話?未来予想図なんて語られても困るんだよね」

 二人は見事なまでに私に気付かない。しかしこのあかつき荘の建物はとても空気を読む。例えば、急いでいるときに限って段差があったり、静かにしていたいときに限って床が軋む。
 部屋からちょうど十歩のところでゲームオーバー。ぎぎぎ、ととても不愉快な音が辺りに響いた。薫の頬にも冷や汗が伝う。目線だけで絶賛喧嘩中の二人を見てみるが、本人たちは見られた、や気づかれたなんて反応はまったくせず、本当になんともないようにしているので、それが逆に怖いのだった。

「おはよう、薫」

 にっこりと笑みを強くして結祈はあいさつをしてくる。それなりに女の子が惚れる風貌をしているため、見た目はいいいが目は全く笑っていない。腹の真っ黒さが伺える珍しい瞬間。

「おはよう結祈さん、柚」

 必要以上関わらないように挨拶だけで済まそうとしたが、薫の作は失敗に終わる。すぐに二人の隙間を通りすぎようと歩を進めるが、左手を掴まれて動きを停止させられたのだ。薫の右側に立つのは先程挨拶をしてきた結祈。つまり反対側の左に立つのは、

「…何?柚」

 薫よりも林檎一つ分下にあるぎらついた瞳が薫を貫く。

「薫はどっちにつく?」
「は?」
「薫は、このおとこ女と私、どちら側につくの?」

 知らんがな、そもそも唐突すぎるわ。内心のツッコミを口には出さず、薫は耐える。テクノロジーの発展派柚と、己の身体があればどうにでもなる派結祈。一瞬どちらの方がいいか考えてしまったが、一秒も経たずにやめた。
 ――薫は、面倒くさがりだ。喧嘩なんて面倒くさいの筆頭だ。巻き込むな。
 掴まれた左手を振り回して拘束を解く。そして、二人の目を一回ずつ睨んで言う。

「どっちも壊れるからお断り!!」

 AかBの選択肢があればこっそり隠れたDを選ぶのが花宮薫という人物である。
 ぽっかりと口を開けるまではいかないものの、思考が停止した二人の間を朝からしかめっ面のまま通る。全く振り向かずに階段に向かうその後ろ姿に二人は叫ぶことも間に合わない。