いろは唄 | ナノ
学級委員長委員会委員長

>> ゐ


委員会を終えて部屋に帰れば、途端に抱きつかれた。

そもそもなぜお前が俺の部屋にいるのだろうね。

あぁ、構わないよ、喜ばしいことだ。もし、お前が無意識に俺を頼ってきたのだとすればね。

ぎゅうぎゅうといっそ痛みさえ感じるが、さぁって、どうしたもんかねぇ。


痛いと言いさえすれば解放されるのだろうが、その瞬間に俺は信用を失うだろう。

それは明らかにこの5年間を無駄にする愚行であるので、俺は黙っていた。

2年生の俺がこの懐かない黒猫を手懐けるのにどれだけ苦労したことか、いい思い出だ。

今となっては酒の肴になろう笑い話だが、あれを無駄にするにはあまりに惜しいこと。

何も言わない代わりに、後輩の細い背に腕を回してとんとんと叩いてやるのだ。


他の5年生にならこんなことはさせない。引き剥がして向かい合って話すだろう。

これが4年生以下の後輩だったりしたら、腿に乗せてどうしたのと尋ねるだろう。

ところがこれは他ならぬ鉢屋三郎であるので、俺は抱き返してやるのだ。


放任主義、のようなもの。それでいて手放さないのは好いているから。

惚れてはいない。ただ俺は好いているだけ。手に入れたいのではない。傍におきたいのだ。

だが本人がそれを望まないなら、俺はそれを無理強いはしない。

俺は独占欲とやらが強い性質ではないし、三禁を破るつもりもない。

過度な欲は身を滅ぼす。色も酒も欲も、何でも同じだ。

三禁とはそういうものだ、理性を揺るがせるものに溺れてはならない。

というか、溺れること事態が理性の揺るぎを示しているのだけど。


寄りつ離れつでなぁなぁにしていた関係性が、どうやら近日相互依存に近くなっている。

俺は元々こいつを何よりも好いていたけど、基本的に独りでも生きていける。

ところがこれは単独では生きていけないし、ついさっきざっくりやられてきたところ。

なので傷ついているときに優しくされると……、という展開だ。

もちろん狙っている。不破の言動が三郎の均衡を完膚なきまでに破壊することも。

とはいえ、計算ずくであれ、優しさは本物なので大丈夫。

どこからどこまでが本物でどこからどこまでが偽物だかなんて、知ったこっちゃないよね。

優しいんだからそれでいいじゃないか。下心の何が悪い?


これ以上の好機はないんだ。これを逃せば、永遠に手に入らない。

全部混ぜちゃおうよ。俺はお前を1人の人間として好いている。

別にお前にもそれを望んでるわけじゃない。いいんだ、好きでさえいてくれれば、それで。

後輩としての好きと人間としての好きと、いいよ、自己愛だって一緒に受け入れるから。

全部全部、こっちに向けてしまってくれよ。俺はお前なら全部受け入れられるよ。

さぁ、俺のすべてをお前にあげよう。だからお前のすべてを俺に頂戴?


大丈夫、これでお前の依存が強くなりすぎて離れられなくなったっていいよ。

俺が卒業するときにお前も退学すればいい。お前1人を養えるくらいには稼げる。

いくつかある勧誘の中から給与のいいところを見繕うから大丈夫。

最悪ドクタケでもいいや。あそこは間抜けだけど地味にしぶといし、給料が格段にいいらしいから。

贅沢はさせてやれませんが、不自由のない暮らしを提供します。

俺が忍務に赴くのさえ嫌というなら、それでもいい。

お互いに忍者は諦めて、不自由だろうけど2人で内職して過ごそう。

安心して依存してくれればいい。依存が強ければ強いほど、深ければ深いほどなおよし。


俺とお前はどうやら性質的によく似ているようだ。強くて弱くて寂しがり、ほらそっくり。

俺もお前も依存傾向は割と強い。だからこそ、依存対象以外への興味は薄い。

情に厚くても情が深くないものなので、依存対象はあっさり上書きされる。


総合的に考えて、俺やこいつのような人間は手放した瞬間にさようなら。

構ってくれないならもういーらないっ!

1人にしておいたら、ふらふらと別の場所に消えてしまうよ。


でもまぁ、俺はそんなこと忠告してやんないよ。

忍たまだもの、使えるものは何でも使う。自分に有利な状況なら、なおのこと。

わざわざそんな、敵に塩を送るような真似はしない。

後輩に優しい俺は、ところが5年生だけには優しくないんだ。

大人気なくったって構わないさ。俺は忍たま、手段を選ばない。そう仕込まれている。


「三郎」


愉悦で口許が歪みそうのを、理性でなんとか耐える。

今の三郎にはそんな余裕はないだろうけど、念のため念のため。

ここから先は気を抜けば落下する綱渡りといったところか。


抱き寄せた呼気にあわせて、鼓動さえもあうような錯覚を感じた。

さぁ、もう一芝居だ。気合を入れていこう。


「泣くなよ。俺がいるだろう?」

「つづき、せんぱい」


優しく、静かに、それでいて熱を込めて。

これまでの経験で知る、もっとも説得力を持つ声色で。

穏やかに説く。


「思い出して、最初にお前が心許したのは誰だった?」

「ぁ、」

「学園に馴染めなかったお前の手を引いたのは、誰だった? 俺だろう?」

「は……、い」


あぁ、よかった。ちゃんと覚えていたね、いい子。


「俺が誰か、わかるよな?」

「都竹先輩、」

「そう、俺は九十九都竹だ。じゃあ、お前は?」

「わたし、は……」

「お前は?」

「鉢屋、三郎」

「そうだ。三郎、お前は俺にどうしてほしい?」

「……」


そこで、ちらりとこちらを見上げてくる。

こっちはずっと前から待ってるんだから、今更遠慮なんかしなくってもいいのに。


甘い声で、甘い笑みで。ぜーんぶお前の望みどおりにしよう。

お前が辛くなる判断は、俺なら絶対にしない。

お前が俺に判断を託すなら、言わなくても望むほうを選ぶから。

ね、だから。わかるだろう? 俺は何年も前から待っているんだよ。


さぁ、希望を捨てて。新しい希望をあげよう。不破は駄目だよ、あいつはもう駄目だ。

一度ちゃんと絶望を自覚できたろう? 新しい希望がほしいんだろう?

さぁ、不破はもう駄目だよ、次の希望は消えないから安心して手をお伸ばしよ。


「なぁんでもいいよ。それがお前の望みなら、俺が全部叶えてあげる」

「そ、ばに……先輩、都竹先輩、私を捨てないでください、先輩、私を捨てないで、私は、私には、もう、先輩しか……!!」


一等大好きな人を胸に抱いてうっとりと微笑む。ほーら、ようやく落ちてきた。

これでもう逃げられないよ。いや、逃がすつもりなんて毛頭なかったけど。


さぁ、言ってしまえ。全部受け入れてやる、全部受け止めてやる。

お前を一等好いているのは一体誰だ。お前が一等好いているのは一体誰だ。

言ってしまえっ、さぁ、さぁ、さぁ!!


「私には都竹先輩しかいないんですっ!!」

「好きだよ」


だぁいせぇいかぁい。


間髪入れずに、目をあわせてはっきりと言い切った。

甘さを抜かず、それでも穏やかさを抜いて、熱を込めて情を込めて。


「お前を好いている、昔から、ずっと。だから、三郎、ね、俺からもお願い、俺の傍にいてよ」


好きであることと傍にいることとが等号で結ばれたら、どうなるだろう。

好きだから傍にいたいんだ。これの意味がわかるかい?

傍にいてほしいだろう? 捨てないでほしいんだろう?

だったら、どうすればいいか。優秀なお前ならわかるよな?


「せん、ぱい」

「んん?」

「すきです」

「好きだよ」


はい、それも大正解。正解の御褒美は俺の所有権ね。

三郎には俺の永続所有権を認めます。ただしお前も俺のものだけど。


そうだね、お前は確かに凄く優秀だ。

そう、自分でさえ騙せるほどの才能の持ち主。


お前さえ幸せそうならそれでよかったんだけどな。

ほら、捨てられちゃったから。


悪いのはだぁれ?

不破に依存しすぎた三郎か。

容易に心変わりした不破か。

不破の心を捕らえた天女か。

傍観を貫き待ち続けた俺か。


……とりあえず、性格が悪いのは俺で間違いないな。

ま、なんでもいいさ、なーんでもね。


腕の力を抜いた後輩は、俺の腿に乗り上げたままふにゃりと笑う。


「私、先輩が大好きです」


愚かで愛しい後輩だ。俺は後輩の中で三郎が一等好きだ。

んん、この性質ゆえってわけじゃないけどね。なんでだか俺が2年生だったときからそうだ。

俺こと九十九都竹は、鉢屋三郎という存在が気になって気になって仕方がない。

どっちがより愚かかだって? はん、問われるまでもなく俺のほうが余程愚かな男さ。

謀略をめぐらそうが策略をめぐらそうが、結局は同じ。

いくらお前を落としたところで俺のほうが落ちているんだもの。


「俺もお前を好いてるよ」


策士、策に倒れる。才子、才に溺れる。俺がそんな上等かは別として。

いいよいいよ、上等じゃないか。お前さえいるなら、俺は喜んで受け入れよう。

転んで沈んで、一緒に一番下まで落ちてしまおう。俺が一緒にいるから。

一番下から上を見上げて、皆を遠目に観察していよう。俺はお前と一緒にいるから。


「本当に? 先輩は本当に私が好きですか?」


うるりと濡れた瞳が、縋るように見つめる。艶かしい。

劣情は催さない。俺はあくまでこいつを好いているだけだから。


ここで返せる答えははいかいいえの2通り。

俺の答えはもちろん肯定。しかし必死な瞳を見ると、なんだか悪戯したくなる。

ただし、否定すればその直後に俺は殺されるだろう。俺は死んで、三郎は壊れる。これはこれでいい。

できれば俺は三郎に好かれて利吉兄様に愛されて生きたいのでそれは却下。

当然返す答えも俺の望みどおりに肯定。そしてそれはお前の望みでもある。なんて幸せ。


俺はお前に依存して、お前は俺に依存する。

お前が俺のすべてで俺がお前のすべてだ、なーんて、それこそ最高だ。

お互いが生きている限りは絶対に壊れない。

だって俺はずっとお前を好いているし、逃がしだってしないもの。

なんて幸せ。凄く幸せ。だから俺は満面の笑み。


目を細めて、こてりと首を傾げて、視線はわずかも逸らさないで。


「うん、俺はお前を一等好いているよ」


多分だけど、愛と呼んでも差し支えないくらいには好いている。


「うれしいです」


にこにこにやにや。ぎゅーっと抱き合って。

同じ思いを抱いていなくったっていいじゃないか。

同じだけの量の想いを同じように向け合っているんだから。

これだって、ちゃんと幸せの形なんだろう?


天女サマは大嫌いだけど、彼女が来てから俺の人生いい感じに動いてる。

何もかも望んだとおりになって、もう逆に怖いくらい!

天女サマなんか機会があったら殺してやろうとばかりに思ってたけど、やっぱりやめた。

もしかしたら本当に天女だったのかもしれない。だとしたら悪いことをした。

だってあの人はこんなに大切なものを俺に与えてくれたんだから。


手元にあった苦無で見事明かりを消して、そのままおやすみなさい。

報告は明日でいいよ。お前は優秀だから、全部ちゃんと終わったんだろうから。


ふふ、脆いんだね、三郎。お前たちの絆とやらは。

……って、そんなことは引き裂いた俺が言うことじゃないけどね。


(全部わざとなんだけどさぁ)


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