いろは唄 | ナノ
学級委員長委員会委員長

>> つ


私の世界。大切なもの、ほんの一握り。

それだけあれば生きていけるのに、それだけしかないものを根こそぎ盗まれた。

赦せる? 赦せない。当たり前じゃないか! でも、どうしよう。

盗人を成敗しようとも思ったけど、そうしたらきっと私の大切なものは戻ってきてくれない。

きっと私のことを嫌いになってしまう。どうしようどうしよう。

私がこんなに苦しいのに、どうして誰も気づいてくれないの。

どうしてあの女の方へ行ってしまうの。気づいて、私はこんなに苦しい。


「誰も私の話を、聞いてくれない……!!」


どうして、どうしてどうしてどうしてどうして?

笑いかけてくれない。話しかけてくれない。側にいてくれない。私を置いてどこかに行ってしまう。

どこへ行くの。どうして私を置いていくの? 待って待って。


冷たい目で見ないで、笑いかけて、話しかけて、そばにいて、私を置いていかないで。

私が悪いのか? 私がおかしいのか? そうか、私が悪いんだな。私が間違っていたんだな。


都竹先輩が変な顔をして、私の顔に手を伸ばした。

頬を抓るようにして口角を引き上げられると、それは一応笑顔になった、と思う。


「なーんでそんな顔すっかね。ほら、笑顔笑顔、笑ってりゃ気分もマシになるってもんだ」

「だって、だって私が悪いんです。私が悪いから、皆が私を置いていくんです」

「お前は正しいよ、なぁんにも間違っちゃいない。なぁに、俺が間違ってると思うの?
 疑うのなら、俺は何度だって言うよ。お前は、何一つ間違っていない、ってな」

「そんなこと、ないんです。だって、雷蔵は、私が間違ってるって。
 そんなこともわからない私は、雷蔵嫌いだって、そう言って、それで、だから、私は」

「間違ってることもわからない人間の否定を受け入れるの?」

「だって誰が間違ってるかなんてわからないじゃないですかっ!!」


どうして、どうして。都竹先輩まで否定するの? 先輩も私が間違っているって言うの?

雷蔵が正しいんだ。私が間違っていて、雷蔵は正しい。それが正解。

それなのに、どうして先輩は私が間違っているなんて言うの?

どうして、どうして。都竹先輩だけは、私が正しいって言ってくれるって信じてたのに。

都竹先輩も、私を裏切って捨ててしまうの?


「少なくともっ!」


都竹先輩は苦々しい声で叫んだ。押入れの脇の柱に、掌を叩きつける。

余程力を込めたのか、酷く乾いた鈍い音がした。思わず肩が揺れた。

ぎりと歯軋りの音がして、都竹先輩は目を閉じて静かに深呼吸した。


「俺がお前の最初の意見が正しいと思ってることに変わりないだろう? なんでわからないの。
 正しいって言ったのに、どうして信じない? お前、俺の意見も否定するの」

「っ、だって! だって雷蔵は! 私がっ、私が間違ってるって、そう言うんだ!!」

「……お前、一体誰の意見を言ってるの?」


だれ、の。だれのって、わたしの。


「本当に? 本当にお前?」


わたしの、いけんじゃ、……あれ?


「お前の言いたいことを教えて、俺はお前と話したいよ」


わたしは、なにを、いっているの?


「鉢屋三郎、お前の言葉を教えて。不破雷蔵の言葉なんていらない」

「わた、しの、わたしの、ことば」

「お前と話したい。お前がいいんだ」

「わたし、あの人が嫌いです」

「うん、最初の主張に戻ったな」


嫌いでいて、いいのか? 雷蔵はあの人を好きだと言った。

あの人を好きにならないなんておかしいとも言った。


私は雷蔵が好きだ、それは言える。

雷蔵の好きなものは私も好きだし、雷蔵の嫌いなものは私も嫌いだ。

同じがいいと思っていたし、それで問題なかったんだ。

それって、一体誰の趣向なんだろう。私? 雷蔵?


「お前が嫌いなものは嫌えばいい。お前は、お前の好きなものだけを好けばいいよ」


ゆっくりと目を閉じて、都竹先輩はひっそりと笑う。


「俺はそれを否定しないし、お前はそれでいいと思う。ん、俺はありのままのお前が一等好きだよ」


先輩は何かしらいつも笑っている。にまにまだったりにっこりだったり。

今は、強いて擬音をつけるならふんわりと言ったところだろうか。

一体何がそんなに楽しいんだろう。私はこんなにつまらないのに。


思わず首を傾げると、都竹先輩は満面の笑みを浮かべて見せた。


「笑顔は万能の秘薬です。なぜなら、笑顔は全ての激情を沈静できるから」


あぁ、都竹先輩も私と一緒ですか。まぁそういうことになるかな。


私の変装という名の見える仮面と、都竹先輩の笑顔という名の見えない仮面。どう違うというのか。

へらりと静かに笑って。


「だからな、いい年をしてそう嘆くんじゃない。今はこうでも、」


そこまで言って、都竹先輩は目を伏せて黙り込んでしまった。

私の目が正しければ、いつか、と呟いていた。

それでも声に出せないのは、先輩も、裏切られ続けてきたから。


次に顔を上げた先輩は、やっぱりいつもと同じ爽やかな笑顔で。


「よし、じゃあ鉢屋くん、学級委員長委員会臨時会議だ。馬車馬のごとく働かせてやっから、覚悟しとけよ?」


にんまりと冗談めかして言われた言葉は、いつもと同じように聞こえた。


うん、私も先輩と一緒に頑張ろう。


(大丈夫だ、もう泣かない)


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