いろは唄 | ナノ
学級委員長委員会委員長

>> と


珍しく取り乱したしんべヱが、俺を引きとめようと声を上げた。

温厚なはずの乱太郎が、あの人に掴みかからん勢いで叫んでいる。


あの人は、何を言ったのだろう。

あの人が、何を知っているのだろう。


「きり丸、おいで、ちょっと話をしよう」


胡坐をかいた都竹先輩は、俺を手招きながらにこりと笑う。


あの人は、どうして笑っているのだろう。


「元気ないな。天女サマが勝手なこと言ったんだって?」

「せんぱい」

「ほら、おいで。タダだから」


タダと言われて反射的に飛びつくと、胡坐をかいた腿の上に乗せられた。

先輩に抱きしめられた。緑の装束から医務室の匂いがした。

乱太郎と同じ、苦いけれど優しい香り。甘いだけの、あの人とは違う。


学園は、あの人に必要最低限の衣服などを買い与えて、毎日の食事もとらせている。

あの人の生活に必要なお金は俺たちが汗水流して捻り出した学費から出てるんだ。

それなのにいつもいつも先輩がたととても楽しそうに話す姿しか見たことない。

なんで誰も注意しないんだよ。なんで誰も怒らないんだよ。

あの人、俺たちの学費で生活してんのに、それに見合うだけの仕事、してないじゃないか。


そうやって周りに守られて生きてるのに、あの人は俺のこと、可哀そうだって言ったんだ。

周りにいる誰かから話を聞いたんだろう、孤児である俺のこと、可哀そうだって。

慈愛に満ちたような、そんな目で、そう言ったんだ。

辛かったねとかもう無理しなくていいんだよとか周りを頼ってもいいんだよとか。


戦も餓えも知らないくせに、学園でぬくぬくと守られているアンタに、一体俺の何が理解できたっていうんだ。

無理しなくていい? 無理をしなくちゃ学費が払えないんだ。

周りを頼ってもいいって、頼ったらアンタが生活できるようになんとかしてくれるのか?

できないでしょう、だって他ならぬアンタ自身が人に頼って生きてるんだから。

それなのに、好き勝手言わないで欲しい。

そんな上っ面だけの優しさなんて、ないほうがいい。

そんな口だけの慈愛なんて、あったって意味がない。


先輩はどう思う? 先輩は俺と同じで親がいなくって、自分で学費を出してるけど。

可哀相だねって、私がいるよって、天女サマに言われて嬉しい?

どうして、あの人はのうのうと生きて笑っているの?


「天女サマはきっとなーんにも御存知ないのさ。天から来たんだから。
 でもさ、それって天から追い出されたってことじゃないのかな。
 だとしたら、天女サマも可哀相だね。俺は思うんだよ、あの人はきっと帰れないって。
 だからお前も泣くんじゃないよ。天女サマのことでお前が涙を流すことはない」


都竹先輩は鼻で笑ってから、俺の頭にぺたりと手を置いた。

あーぁ、かわいそうなてんにょさま。ゆめみるばかりでしごとをしなかったから、てんからついほうされちゃった。

けたけたと笑った先輩は、次に真面目な顔になって、唇に人差し指を当てていった。


「だけど、あの人はなんだか妙な臭いがするね。
 あいつらはあの不思議と甘ったるいのが好きらしいけど、俺は嫌いだな、苛々する。
 でも綺麗なことは認めてもいい、見た目もそうだけど、言ってることも」


誰かに危害を加えることなどできなさそうな華奢な腕、野良仕事などしたことないような綺麗な手。

綺麗な人だなぁって、ほとんどの生徒が多かれ少なかれ好意を抱いている。


「だからみんな惹かれんのかなぁ」


都竹先輩はぽつりと、寂しそうな声で呟いた。

数少ない6年生の中で、たった1人だけ天女様を好いていない人。


どうして最上級生の、しかも委員長である中在家先輩が、仕事を放っているんすか。

どうして都竹先輩だけが大変な思いをしなくちゃいけないんすか?

どうして先輩がたった1人で学園の全部を動かさなきゃいけないんすか?

どうして他の6年生は5年以上一緒にいる都竹先輩を放って天女サマと一緒に遊んでるんすか?


天女様が、そんなにも大切なんですか?

俺たち後輩なんて、どうでもいいと思えるくらい、委員会活動なんて、どうでもいいと思えるくらい、天女サマが好きなんすか?

今まで大切にしてきた仲間を蔑ろにしてまで、優先させるようなもんなんすか?


「綺麗な、だけじゃないっすか」


見上げると、都竹先輩はぎゅっと眉間にしわを寄せていた。

力強く抱きしめられてちょっと痛い。


「夢物語はいつだって幸せで美しくなくっちゃ救いがない。
 だけれど、現実にそれを持ってこられちゃあ困るよなぁ。
 俺もね、もうあいつらが何を考えているかわからないんだよ。
 ずっと一緒だったのに、なんでか置いていかれてしまった。
 でも、あいつらが天女サマを慈しむのと同じで、俺だってお前たちが愛しい。
 だから、お前たちのためにも、俺自身のためにも、そしてあいつらのためにも、長次たちともう一度話してみるよ。
 もうちょっとだけ耐えてくれな。どう転ぶかはわからないけれど、うまくいくように努力するから」


言ったら、みんなわかってくれるかな。


「殴ってでも目ぇ覚まさせてやるさ。だから、お前たちは知らないふりをしていなさい、彼女を敵にしちゃいけないよ」

「どうして、」

「彼女は無力でも、彼女の取り巻きは強力だからさ。俺が何とかする、お前たちは離れているんだよ。いいね?」


……はぁい。


(よくあることなんだ)


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