一対 | ナノ
ベン ベベン──
今宵は満月。
ベベン ベン──
満月は人を狂わせるという。
「今ぁ、酔いてぇ気分だがよ……」
江戸で買って唯一持ってきた三味線を弾きながら、一人呟いた。
ベン──
「三味線の腕も落ちてねーか」
無造作に敷居を跨いで室内に入ってきた気配に意識を向けた。
三味線を抱いたまま振り返る。
懐かしい顔を見て、少しだけ笑みを浮かべた。
「……シン」
「ようやっと、そう呼ぶ気になったか」
「あぁ、漸く思い出せたからなぁ」
あの気味の悪い天人を見掛けたのがきっかけってのは、解せねーけどなァ。だが仕方ねェ。
「そいつぁよかった。逢いたかったぜ、ユウ。俺ァやっぱお前がいねーと駄目らしい」
「俺も、どーもお前といねーと駄目になるみてーだよ。
……それと、今日の夜は20時からだったが、多分早まってる。すぐにでも、かもなぁ」
「そーか……祭りの準備、急いだほうがよさそうだな」
「あぁ、デカい祭りになるぜ?」
何人の狗を斬れるんだろーな。
今から獣が騒いでやがる。楽しみだ。
クツリと喉の奥で笑ったときだった。
ドンッ──
船が大きく揺れた。
「っと、噂をすれば、」
「狗どものおでましか」
抱いていた三味線を床に置いて立ち上がる。
一体何で撃ってンのか、揺れはまだ続く。
「そろそろだな」
「行くとするか」
ひょいと、軽い調子で投げつけられた狐の面を、少し迷ってからつけることにした。
船室を出て甲板に上がれば、下で真選組隊士に囲まれた鬼兵隊隊士がいた。
ったく、情けねェやつらだぜ。
仮にも鬼兵隊隊士を名乗ろうってんなら、あれぐらい抜けて見せやがれ。
まぁ、全滅させちまったら、今日の目的は果たせねェけどな。
「ハッ、楽しそうじゃねェか、俺も交ぜてくれや」
言うや否や、下部甲板から縁に飛び乗り、港へ飛び降りた。
着地と同時に抜き打ちで剣を払う。
「悠助様っ!!」
声に応えるつもりはねーが、組曲を振りかざす。
手近なところから、目に入るまま、手の届くまま、真選組隊士を斬りつけた。
「今回は俺の顔見せが目的だからよ、しっかり殺れよ」
言いつつ、再び組曲を薙いだ。
だが、手に伝わったのは人肉を断つ感覚とは違ェ。
誰かが、剣を伸ばして遮ったらしかった。
「……クククッ、楽しませてくれそうじゃねェか」
久々に手応えのある獲物を殺せそうだ。
なァ? てめェもそう思うだろ?
「そうですよね、土方副長?」
「てめェ……!?」
ガンッ──
キィン──
ガンッ──
重い衝撃が手に伝わる。
竹刀でやりあうのとは違ェな。
やっぱり、てめェはとことん実戦向きらしいな?
「どーした、押されてんぞ」
「ハッ、言ってくれるじゃねーか」
そんな幼稚な挑発に乗るかよ。
呼吸を乱さぬまま組曲を横薙ぎにした。
それを、土方は軽々と飛び退ってかわす。
流石にいい反射神経してやがるじゃねーか。
だがなァ、所詮経験には敵うめェ。
ダンッ──
右足を大きく踏み込んで、鋒を水平に突き出す。
剣において捨て身にして確実な攻撃。
結構自信はあったんだが……、土方はとっさに剣で弾いた。
ガッシャァン──
「どーした、吹っ飛んだぞ」
荷物の山に突っ込んだ土方を嘲笑う。
と。
ドカァーン──
何処からともなくバズーカが発射された。
辛うじてではあったがかわす。
だがその刹那、被っていた狐の面が落ちて割れた。
周囲に立ち込めた煙幕。
その外を囲まれたらしい、そんな気配を感じる。
穏やかな風が吹き、やがてゆっくりと煙が晴れた。
晒された俺の顔に、沖田はもちろん、囲んでいた真選組隊士も息を呑んだ。
「あんたは……!」
沖田総悟。
剣は超一流なんざ聞くが……、実際に振るってンのは見たことねェ。
未知数ってとこか。
「危ねェなァ、斬り込み隊長さんよォ。 ……どーした、何かあったのかよ?」
「なんで、あんたがそこにいるんでさァ……? ……悠助!!」
「信じられねェって面してやがる。現実を見ろや、ここにいるのは真選組と鬼兵隊だけだろーが。
おめェの味方なら真選組で、敵なら鬼兵隊だろーがよォ」
「嘘でィ!! 俺ァ信じねェ……!!」
「俺も信じたかねェよ、いくら記憶喪失とはいえ幕府の狗に身を落とすなんざァな」
冗談じゃねーよ。
いくら何でも狗に身を落としてたなんざ、信じたかねーよ。
鬼兵隊副総督の名が泣いてらァ。
双牙が片割れが聞いて呆れらァ。
「だがよォ、そろそろ認めろや。つまらねェ舌戦で満足するほど、俺の獣は満たされてねーんだぜェ?」
「俺ァ、信じねェぞ!!」
「しつけェ野郎だなァ、敵だっつってんだろーが。餓鬼みてェにだだこねてんじゃねーよ」
まァ10代は餓鬼のうちか?
「おいユウ、囲まれてンじゃねーよ」
「……シン、」
「ったくよォ、鈍ったんじゃねーか?」
「ンなわけねーだろ」
ふわりと、俺が先程飛び降りた下部甲板の縁からシンが飛んだ。
その右手には俺と揃いの『組曲』が握られている。
漆黒の柄に鍔はない。
同じく漆黒の鞘を腰帯に挟んでいる。
「裏切ったのか!!」
土方の罵声が響いた。
ったく。
くだらねェことほざきやがるぜ。
裏切るためには信頼がなくちゃならねェ。
だがその信頼は、対等な立場にあってこそ存在する。
なァ、俺とお前たちの間のどこに、対等な関係があったってんだァ?
「裏切りじゃねーよ、土方ァ。てめェらは俺を利用した、俺もてめェらを利用した、それだけじゃねーか」
「あぁっ!?」
ガンッ──
所詮ぬるま湯はぬるま湯だ。
俺は風呂は熱いほうが好きなんでなァ。
そう、火傷するくらいに熱いやつだ。
背を合わせたとき、シンが後ろから笑って言った。
「ククク……、おい悠助、挨拶はしたかァ?」
「あぁ、そうだった。この姿では初めましてかァ?
俺ァ鬼兵隊副総督、双牙が片割れの高杉悠助だ、覚える必要はねーぜ?」
否っつっても、忘れられねーだろーからよ。
殷懃無礼に、恭しく振る舞い、名乗れば、その場の空気は激変していた。
悲しみと怒りと戸惑い。
それらの交錯は、戦場に不釣り合いなもんだ。
居心地が悪いったらねェよ。
「今まで騙してやがったのか!?」
「騙すだァ? 嘘はついてねーよ、俺が記憶喪失だったのは事実だぜェ?
てめェらを騙したのは俺じゃねェ。てめェらが信じ込んでる幕府の連中だ」
「っ、てめぇ……!!」
「てめェらが思ってるほど幕府は人間を想っちゃいねェぞ」
体勢を整えて、土方が剣先を突き付けてくる。
峰で擦りあげて跳ね退けたところで、銃声が鳴り渡った。
「晋助様! 悠助様ぁっ!!」
来島が銃を両手に船の縁に立っていた。
「準備完了ッス!!」
「……行くぞ、悠助」
「……わかった」
まだ、物足りねーんだけどな。
仕方ねェ、総督殿のお言葉だからなァ。
「待てっ……!」
「行かせないッス!!」
来島の撃つ銃弾が真選組の足を止めた。
その間に、俺とシンは正面の狗どもを薙払い船へと戻った。
江戸は、真選組は、俺に鬼兵隊じゃ得ようもない温度をくれた。
時にそれは物足りないぬるさを感じたが、それはそれで悪くねェ。
ベン ベベン──
だがそれを感じていた俺が偽りだってンなら話は別だ。
ベベン ベン──
「別の唄やろうぜ?」
「あぁ、どうする?」
「そうだなァ……あ、」
「あ?」
「一つ言い忘れてたぜ。……おかえり、悠助」
「……ただいま、シン」