一対 | ナノ




「局長、お時間よろしいでしょうか?」


「お、悠助か、どうした?」


「急ですが、数日の間休暇を貰えますか?」


「どうした? なにかあったのか」


「長州にでも行ってみようかと思い至りました」




そうだ、長州に行こう。みたいな。


そこまで軽いノリでもありませんでしたが……、表向きは軽々しく。




「長州? 随分遠くまで行くんだな……。何かあるのか?」


「どうやら僕は長州の出身らしいんですよ。何かの手掛りになればと思って……」




頷く近藤局長の表情は固かったのですが……。


やはり、疑われている……ということでしょうか。


それとも……思い出さずにいるほうが好都合ということですか……?


この人は、この人たちは。どこまで知っているんでしょう。










「……」




駅から出てみれば、見渡す限り山、山、山……。


本当に何もありませんでした。


多摩に勝らずとも劣らない田舎です。




「……」




それでも不思議と懐かしいのです。


帰ってきたと、そう思いました。


覚えていなくても、確かに長州は僕の故郷でした。




「……宿に行きましょう」










宿に着く少し前に、土砂降りの雨模様です。


濡れネズミ状態で宿に駆け込んだ僕に、見かねた女将さんがタオルを貸してくれました。




「酷い雨ねぇ……」


「えぇ、少し前までは晴れていたのですが……、残念です」


「何処に行くんだい? 観光だろう?」


「そう、ですね……見に行きたいものがあるのですが」


「何処だい?」


「寺子屋です。20年と少し前に廃校になっているらしいのですが……御存知ありませんか?」




調べたところではその頃に殺されたと言うことでしたが……。




「二十数年前ねぇ……そういやそんな寺子屋もあったわねぇ……。

確か……吉田松陽先生、だったかしら」


「どんな、方ですか……?」


「そうよ、柔和な顔で……優男風だったかしらねェ……。

 あんた、知り合いかい?」




柔和な優男ねェ……。


そんな感じ……でしたかね?




「知り合いかは、わかりませんが。

 ……わかりました、それであっていると思います。場所を教えていただけますか?」


「それならね……」










「ここですか……」




女将さんに傘を借りて、少し歩きました。




確かに廃校二十数年といった雰囲気ではありますね。


夢に見た建物ともおそらく一致しますし……。


女将さんが言っていた寺子屋で正しかったようです。




「入ってみましょうか……」




夢のときと同じように、縁側に回ります。


立て付けの悪い雨戸をガタガタいわせながら力づくでこじ開けました。


文机は撤去されたのか、何もない部屋です。


これが教室……でしょうか?


栓ないことを思考しつつ、勝手ですが下駄を脱いであがりました。




長らく使用されていなかったために腐敗している部分は多いのですが。


まぁ崩れるほどでもないでしょう。




 ギシッ──




「……」




軋み、ましたか?


えーっと僕の体重が60キロですから……。


割と危なげですかね。




さて、このあとは重心を前後左右何処に移すべきでしょうか?


……思い切って行きましょう。




本当に思い切って踏み出しました。


できるだけそっとです……。




 ぎち……っ──




……。


大丈夫です。




浅く安堵の溜め息をつきます。


これで壊そうものなら殺されるでしょうから。




厚く埃のつもった畳にそっと膝をつきます。


正座で座ってみて、正面を見つめました。




「……松陽先生……」




知っています。


僕はこの場所を、この寺子屋を、知っていました。




ふと思い至って立ち上がります。


確かこの近くには、何か大切なものがあるはずなのです。


そっと縁側から外に出て、青葉の繁る並木を歩き抜けます。


とくにこれといった目当てがあるわけでもありませんが。


とにかく歩いてみます。




しばらく葉を見上げていると並木が途切れて、空が現れました。


いつの間に晴れたのか、空は青い。


周囲を見渡せば、そこは低い丘でした。


そこで少し考えて、登ることにしました。


……いえ、どちらかといえば無意識に近い行動ではありましたがね。




とにかく丘を登ります。


余りに低すぎてどこが頂上かはわかりませんが、とりあえずその辺り。


そこにそれはありました。




「これは……、……墓……?」




見過ごしてしまいそうな、小さな石の山でした。


例えるならば賽の河原にありそうな、積み上げたれた小石。


当然何かが書かれているわけではないのですけれど。


僕にはそれが墓であるように思えたのです。










『せん、せぇ……っ』











泣いているのは僕で。


その前には比較的小さな石の塔。


子供2人で抱えられるほどの大きさ。










『ユウ・……、』


『シン、なんで先生が死ぬん、だァ……?

 先生は誰も殺してねーのに……』


『っ、』










非情な世界だった。


人々は兄弟の周りを避け、足早に離れていく。


雨に閉ざされた小さな世界で、2人の少年は身を寄せあった。


暗沌とした空が晴れる、様子はなかった。









『なァ、ユウ……』


『なんだァ?』


『攘夷って、知ってるかァ?』


『シン……?』


『俺なァ、参加しよーと思ってンだ』


『それは、つまり……俺を、置いて?』


『……いや、ユウと一緒。嫌か?』


『お前と一緒なら何処でもいーや』




俺はお前の世界だから。


お前は俺の世界だから。


お前さえそこにいるなら、俺にとってそれは何処も同じ。


お前がそこにいないなら、俺にとってそれは何処も同じ。


ただそれだけが俺の価値観を構成する絶対要因だからよォ。




『決まり、だなァ?』


『あぁ、』


『俺がユウを護って』


『俺がシンを護るよ』


『戦争が終わったら先生の墓に先生が好きだった花を飾って……』


『先生の墓の前で4人で酒呑んでメシ食って……』


『クククッ、煩くなって先生に怒られそうだなァ』


『クククッ、それも悪くねーなァ』




二人で額をあわせれば、それはとても神聖に思えた。








「せん、せぃ……」




目の前にある石塔は、記憶のなかのそれと合致していました。




これが高杉晋助と高杉悠助の、そして坂田銀時や桂小太郎の、……師の墓……。


あの小さな寺子屋が始まりの場所……。




そしてこれは、僕たちには大きすぎた分岐点。


僕たちは乗り越えられなくて、流されて別たれて、隔てられて。


どうしようもなく、ただ見上げるだけで。


もしかしたら、僕たちは昔から変わっていません。


当時から進歩していないのかもしれませんでした。




俺たちは本当に弱くて、自分たちを護る術さえ持っていなかった。










『あめ、やまないな』


『あぁ、やまないな』










冷たい雨に打たれる感覚を、俺は覚えてる。










『ユウのあめもやまないな』


『シンのあめもやまないな』










頬を伝う熱い涙を、きっと彼奴も覚えてる。










『なぁ、ユウ?』


『なに、シン?』


『このままやまなかったらどうする?』


『おれたちどうすればいいんだろーな』









冷たい雨を退けるほど、俺たちは強くなくて。


熱い涙を拭えるほど、俺たちは賢くなかった。


ただ打たれ続けるだけの弱さと。


ただ伝わせ続けるだけの愚かさ。




俺たちはただぼんやりと互いの手を握っていた。


暗く沈んだ瞳。その表情は無に等しかった。


幼年の俺たちに相応しくはなくても、それ以外には知らないから。


互いの感情など、他者にはわかりはしない。


俺たちは本心から本気で本音で本当にそう考えていた。


そして、少なくともそれは純然たる現実だった。









『シン、』


『なに?』


『このあと、どうなるんだろう』


『どうなるんだろうな、ユウ?』










何かをすることもなく。


ただ何かを待ち続ける。


待ってれば何かがある。


俺たちはと思っていた。


そう信じるしかなくて。


ただじっと思い続けた。


俺たちには他になくて。


それだけしかなかった。


そんな俺たちだからか。


ぼんやりと立っていた。










『そこの君たち、泣いているのですか?』










信じていたら、迎えが来た。


これ以上なく本気で驚いた。










『なんだよ、おれたちにようかよ』


『あわれみならもうまんぷくだよ』




それでも虚しいことに、喜びよりも先に疑いがきた。


誰も彼も可哀想にと食べ物を与え、誰も彼もじゃあねとそれぞれの家に帰った。


この男も、きっと、同じだ。


拾うはずがない。救うはずがない。


一時の憐憫だけで、子供を2人も育てられるはずがない。


どうせなら、と始めから威嚇する。してしまう。




『捨てられたのですか?』


『っ、』




息を呑んだのは、果たしてどちらだろうか。


見分けすら困難な双子でも、そこは当人。


そんな些細な疑問にも解答は持っていた。




『ユウ……』




シンが俺を庇うように抱き寄せていた。


抱き寄せられた俺は、それでも毅然とした態度で男を見る。


本当に慰められているのはどちらか、わからないけど。


俺とシン、どちらのものともつかない警戒の眼差しの先で、男は微笑んでいた。




『(おひさまみたいだ)』




どちらの思考かは別にして、その感傷は共有されていた。


もしかしたら、双方の感嘆かもしれない。




『それでは、少しこの傘を持っていてもらえますか?』




唐突の依頼に反射的に手を伸ばした、それが俺だった。


すると男はやはり微笑んだまま俺たちに手を伸ばした。


そしてそのまま抱き上げる。




『『わぁっ』』


『それでは行きましょうか』


『へ……?』


『どこに?』


『私たちの家にですよ。君たちの名前は?』




俺たちは互いの顔を見つめる。


俺たちは互いの顔色を伺った。


言葉にすることなんてしない。


ただ見ていればそれでわかる。




『たかすぎ、しんすけ』


『たかすぎ、ゆうすけ』


『晋助と悠助ですか……いい名前ですね』


『あ、あの……』


『なまえ、は?』


『おや、失礼しました。私の名前は──







空を見上げれば、いつのまにでしょう。


雨は止んでいました。


眩しいくらいの太陽が空に輝いていました。




……太陽?




 ポタッ──


 ポタッ──




お気に入りの白の着流しの膝が、オフホワイトに濡れていきます。


これは、僕が流すのは久しぶりですが、……涙というものでしょ

うか。




「……」




昔泣いたときは、いつも誰が慰めていたのでしょうか。


晋助ですか? 銀時ですか? ヅラですか?


それとも、他の誰かですか……?


他の、誰か……?


例えば。例えば……?




「せんせい……」




僕の、先生?




「……、松陽、先生……?」




そう、先生の名前は、吉田松陽でした。


間違い、ないです。


そうだ、僕たちを拾った人。


僕たちに生きる術や剣を教えた人。


僕たちにとっては全てにおける師匠。


晋助は別次元としても、それ以上ない存在。


多くの言葉や巧みな比喩を用いても例えようのない絶対的存在。


高杉悠助を構成していた根本理念は全て、この人から派生していました。


高杉晋助を構成している根本理念は全て、この人から派生していました。


僕や晋助だけじゃありませんね。


小太郎も当然そうでしょう、掴みどころのない銀時さえも。


きっと、『松陽先生』が、すべてを作ってくれたのです……。







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