Caro mio ben


空が真っ赤に染まる夕方。

仕事を終えたクラサメはテラスに来ると、先客がいることに気付いた。朱いマントを羽織っていることから、0組の生徒だ。
髪を風に靡かせ、聞いたことのない歌を歌っている。0組一番の歌姫オリだった。

澄んだ美しい歌声に惹かれる。
カツン、と靴音をたてるとオリの歌声は止み、振り返る。

「隊長?」

「さすがだな。美しい歌声だ」

オリはクラサメに褒められ、嬉し恥ずかしくなり、真っ赤になった。

「ありがとう……ございます」

「少し聞かせてくれないか?君の歌声が聞きたい」

無理強いはしない、とクラサメは付け加え、ベンチに座った。長い足を組み、瞼を閉じる。
そんな何気ない仕種に、オリはドキン、としてしまった。そう、彼女はクラサメに好意を寄せているのだ。

オリは息を吸い込み、歌い始めた。0組やマザーにも聞かせたことのない、覚えたばかりの歌である。“Caro mio ben”という歌だ。

澄んだ歌声は夕方の少しひんやりとした風に流され、空へと舞う。テラスから噴水前、飛空挺発着所、闘技場、裏庭へと運ばれていく。

「あっ、オリの声だ」

「美しい歌声ですね」

「綺麗だな」

外にいる0組も彼女の歌声に気付いた。誰もが足を止め、その声に耳を傾ける。
澄んだ美しい歌声は心地好く、聴く者を安心させる声である。

オリが歌い終えると、クラサメが手を叩いている。ありがとうございます、と彼女は頭を下げた。

「見事だ。歌の題名は何だ?」

「隊長には教えませんよ」

クラサメは立ち上がり、オリの細い腰に腕を回し、抱き寄せる。

「たっ……隊長!?」

慌てるオリに、クラサメは彼女の耳にそっと囁きかける。甘美なる誘惑にオリは蚊が鳴くような小さな声で、答えた。

「“Caro mio ben”という曲…です」

「意味は?」

大方の推測は出来ているが、彼女の口からどうしても聞きたかったため、クラサメは意地悪をする。

「…それ、言わないとダメですか?」

「隊長命令だ」

そう言われてしまうと、従うしかない。
オリはクラサメの熱い眼差しに負け、ゆっくりと口を開いた。

「……愛しい人よ、と言う…意味です」

もう嫌だ。恥ずかしい。
オリの顔は真っ赤だ。

「……愛しい人か」

「はい……」

ぽつりとクラサメは呟く。
オリを抱く腕に力がこもる。

初めてオリの歌声を聴いたのは、やはりテラスであった。その時は声をかけることなく、気配を消して聴いていた。
それから平日の夕方になると、彼女の歌声が院内に流れていた。

初めて聴いたときから、オリの歌声――彼女の歌う姿に惚れたのだろう。ようは一目惚れだ。

「オリ。私の部屋で歌ってくれないか?お前の歌声をもっと聞きたい」

「…お邪魔でなければ……」

「22時に来てくれ。待ってる」

クラサメはするりとオリを解放した。
一人残されたオリはその場に固まった。風が吹き、ひんやりと肌を伝ったところで我に返る。

「……嘘」

オリは嬉しさのあまりガッツポーズをした。




午後21時55分。

オリは少しオシャレをして、クラサメの部屋の前にいた。どうしたら良いものかと、部屋の前でウロウロしていた。

ガチャ、と扉が開きクラサメの部屋から彼の従者トンベリが出て来た。

「お迎えに来てくれたの?」

コク、と頷きオリを部屋に迎え入れる。心臓がドキドキしていて、緊張する。

「お邪魔します……」

「呼び立ててすまない」

クラサメの貴重な私服姿を見て、オリは素直に「カッコイイ」と呟いた。

彼は黒の細身のズボンに、黒のTシャツ。Tシャツがピッタリとしているためか、上半身のラインが出ている。しかもマスクはしていない。

部屋の中は綺麗に片付けられていて、あまり物がない。男の人の部屋ってこうなのかな?とオリは感じた。

「オリ。適当に座ってくれ」

「あっ、はい」

オリはトンベリに案内され、ソファーに座る。落ち着かせようとトンベリは彼女の膝の上に乗る。

「……隊長。何を歌えば?」

怖ず怖ずと聞くオリに、クラサメは軽く頭を撫でた。

「選曲は任せる。好きな曲を歌ってくれ」

「えっ……あっ、はい」

オリは頭の中で曲の組み合わせを探す。ゆったりとした曲や明るい曲、暗く悲しい曲など、頭の中はフル回転させる。しばらくして、あまり時間もかけられないため、オリは2・3曲で終わらせようと決めた。

立ち上がったオリは、ソファーから少し離れた場所に立つ。聞いてくれるクラサメとトンベリにお辞儀をする。

オリの声は良く通る。教員寮ともあって、防音設備はしっかりしているから歌声が外に漏れることはないだろう。

澄んだ歌声が部屋に響き渡り、小さなコンサートにクラサメとトンベリは大満足だ。
オリは立て続けに歌い、ちらりと2人を見た。聴いてくれる人がいる、ということは嬉しい。
歌い終われば、クラサメとトンベリは大きな拍手をくれた。照れ臭くて、オリは頬を赤く染める。

「オリ。礼を言う」

「いえ。聴いて頂きありがとうございます」

すべての歌を歌い終えると、クラサメが笑う。オリは少し驚いた顔を見せる。

「……隊長も笑うんですね」

「私とて人間だ。笑うこともあるさ」

「そうですね、失礼致しました」

「オリ」

クラサメはオリの腕を掴み、ぐいっと引き寄せた。倒れるようにオリはクラサメに引き寄せられ、ソファーの上に組み敷かれる。

「たっ……たたたたた……隊…長?」

彼の緑色の瞳の中に、自分自身がいる。心拍数があがり、慌ててしまう。

「オリ。私は君を愛しいと思う」

「はい?」

突然の告白に目を瞬かせる。

「この歳になって、しかも10歳年下の教え子に恋をするなど笑えるな。オリが好きだ」

「えっ?あっ……あの?」

「私だけ一方的に想いを伝えてもな。オリは好きな奴がいるのか?」

「……あっ、えっ……と、はい」

オリは頷く。

「…あっ…あの…。私も隊長が……好きです」

今日で何回目となる赤面だろうか。
オリは本当に赤い顔で、クラサメに告げた。

クラサメは何も言わず、オリへキスを送る。ゆっくり、ゆっくりとオリのペースに合わせて、舌を絡ましていく。

唇が離れて、クラサメはオリの耳元で囁く。


「私の愛しい人だ、オリ」




End