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嗚呼、なぜこんなにも愛してしまったのか。

消えないクレバスほど、罪深きものは無い。






―――クラサメ視点



ああ、まただ。
気づけば候補生オリを目で追う私がいる。


こんなにも1人の生徒に執着したことがあっただろうか。
オリを見る度、心臓が莫迦なくらい音を立て始める。
オリが声を発する度、鼓膜がしびれそうになる。

多分、私はオリの事が好きなんだろう。
それどころか愛してしまっているかもしれない。





「オイオリ!訓練の相手になれやコラァ!」
「もちろん。私でよければ。」


「オリ、ケーキ作ったんだが食べるか?」
「ありがとうセブン!」


日々、オリはいろいろな表情をする。
笑ったり、泣いたり、怒ったり。


0組のクラスメートの前ではの話だが。




これが私の前になると、淡々とした無駄のない話し方に変わり、完全に目上の者に対する態度になる。
本来ならばこれが望ましい態度なのだろうが、私はどうも気に入らない。


どうして他の0組の者にはいろんな表情を見せ、私の前だと無機質になるのか。


それだけが、彼女への不満だった。












講義がすべて終わり、0組の者はすべて自室に戻って行った。
だが私は課題の採点をするため、教室に残っていた。

はじめの10分くらいは黙々と作業していたものの、それからというものの、いつものごとく彼女が頭の中に浮かぶ。


(オリ……)


いったい私はどれほどオリに溺れているのであろう。

ふと隣を通り過ぎたときに香った髪の香り。雪のように白い肌。時折見せる可愛らしい笑顔。


ひとつひとつ頭の中のスペースが彼女で埋められていき、鼓動も早くなる。



(―――まるで初恋の少年のようだ)


内心、自分を莫迦にしてみてもまったく鼓動が収まる気配がない。




それにしても―――。


毎日の何気ない仕草が、いつも私を翻弄させている。

髪を耳にかける仕草、マントを直す仕草、疑問が浮かんだときに首を少し傾げる仕草。

ちょっとしたことが、私を乱すのだ。




そんな。
そんな可愛い、愛しい彼女が自分のものになったらどうなるのか。

採点のためだけに動かしていた羽根ペンを置き、物思いに耽る。



今よりもっと、愛しい姿を見せてくれるのだろうか。
0組の生徒に見せるような、たくさんの表情をみせてくれるのだろうか。


そして、どんな可愛い声で喘いでくれるのだろうか。


(……まるで変態だな)


そう思いながらも、少しだけ、少しだけ想像してみたのが莫迦だった。


『クラサメ隊長……好き…』
『ねぇ、今日は泊まってもいい、ですか?』
『…ん、っあ…クラサメさ…っん』

浮かんだ言葉が卑猥で、頭を横に振ってそれを流す。

『ぁ、ぁ、だめ、そこ……やっ、ん』
『なん、で……やめるの…?』
『っ、あ!くら…さ…め、さ…ぁ…っ!』


どれもこれも、近頃の欲望の果てばかりだ。
浮かぶ台詞にならい、頭の中のオリも卑猥な姿になる。

そう大きくない胸を露出させて喘ぐ姿、早くイかせてと懇願する姿、そして快楽におぼれながら私の名を呼ぶ姿。


いろんな姿を想像していたら、あることに気が付いた。


(嘘、だろう……?)


ベルトの多いボトムに隠された、自身の雄。
それがボトムの下でも分かるくらい主張していた。

自分の身体は素直に『オリが欲しい』と訴えている。その事実に顔が熱くなった。


「っ……、」


認識した途端に酷く疼き始める身体は本当に素直だった。






とりあえず教壇に寄りかかりベルトを解いて雄を取り出す。
既に大きく硬くなっていたソレ。触れもしていなかったのに僅かながら先走りがこぼれていた。

きゅ、と自身を握ってみると、無意識に腰が震えた。

(すごく、熱い……)


性行為の経験はあるが、自慰をしたことがない。
自慰をすることに抵抗があったが、今はそれどころではなかった。
早く鎮めなければ。

「……っ、…」

ゆっくり握った手を上下させて自身を擦れば、ぞくぞくと背を這う快感。
次第に吐息を荒くさせていく。

先走りが先ほどよりも出ていて、手を動かす度にぬちぬちと卑猥な音をたてた。


空いている片方の手でマスクを取って、口を解放する。

自身を扱く手の動きが無意識に速くなっていく。


「オリ……っ、…オリ……ッ」


ただうわ言のように愛しい者の名前を呟いた。
ああ、好きすぎて、愛しすぎておかしくなりそうだ。

好いているのだけれども、愛しているのだけれども。

立場という段差の所為で生まれた「許されない想いなのだ」という考えと、愛しさが螺旋になって、どこまでも渦を巻いていく。

この気持ちを伝えるのは許されないこと。だから、こうやって自分を慰めることしかできない。


「…っは、オリ……好きだ、…好きだ……!」


気づけば、かなり大きい声で喘いでいたかもしれない。
ぶつけられない想いを、この冷えた空間にぶちまけた。



「…オリ、オリッ―――!!」

最後に1段と強く自身を扱いた。
愛する人の名前を呼びながら、私は自分の手の中で果てた。

どろり、と手を伝う熱い液体。

それを見た瞬間、なんて莫迦なことをしてしまったんだ、と後悔した。



―――ここは放課後の教室だ。誰も入ってこないだろう。

そう思っていた私も莫迦だった。



愛しい人の名前を呼び続ける私を、ただ一人見ている人がいたことを、私は知る由もなかった。






―――オリ視点



「……あ…」


いま、私が通り過ぎた所にクラサメ隊長がいた。
横を通り過ぎたときに香った、大人の香り。

私はこの香りが大好きだ。






クラサメ隊長は、かっこよくて、頼もしくて、強くて、とにかくすごい人だと思っている。
それに私はクラサメ隊長の事が好きなんだと、こないだ自覚した。

気づけば目で追っている私。
気づけば鼓動を早くしている私。

完全に彼に溺れている。



凛とした立ち振る舞いも好き、あの心地良い低い声が好き、無造作な髪形も好き、マスクに隠された端正な顔も好き。
全部全部、好き。

だけど、私は恥ずかしがり屋だった。

任務の報告をするときはせっかく話すチャンスなのに、どうも緊張してしまい無機質な話し方になってしまう。



そんな自分が嫌になる。









はぁ、とため息をつきながら、私は0組教室へ続く廊下を歩いていた。

忘れものだ。今日の講義では使う資料がいっぱいあって、帰るときに取り残したんだろうか。


いまいちシャキっとしない体を引きずり、教室への扉に手をかけた。

――その時。



『オリ……っ、…オリ……ッ』

「!?」


誰かが、私の名前を呼んでいた。思わず、肩を強張らせていた。


名前を呼んでいる声に耳を澄ませば、あのクラサメ隊長の声だった。

(なんで、私の名前を呼んでるのかな……。)


その時、気づいた。

隊長の声は、僅かだが熱を孕んでいることに。



どくん、と心臓が音をたてて鳴り始める。

(何してるんだろう……)

教室から聞こえるその声。
内心、教室の中の光景は予想できたし、入ってはいけないと思った。

でも、中を見てみたい、という気持ちのほうが強かった。




―――だから。


「………っ、」


息をのみ込み、音を立てぬようにゆっくりと扉を開けた。
僅かな隙間から、中をのぞいてみる。


私は、固まった。




夕焼けの所為で紅く染まった教室、そこに彼はいた。



「…っは、オリ……好きだ、…好きだ……!」


ただ、私を呼びながら。「好き」という言語を発しながら。自分を慰めている隊長がいた。

夕焼けに照らされたその顔はとても色っぽくて、聴こえてくる僅かな喘ぎもまた、酷く艶やかだった。



ありえないぐらいの速さで心臓が脈打っている。


(うそ……、私の事、好き、なの…?)


扉をまたゆっくり閉め、廊下に蹲る。

顔が熱い。すんごく熱い。
よりにもよって、大好きな人の自慰現場をみてしまうなんて。しかも、その人は私の名前をよんでいた。
好きって、私が好きって。

―――私も、クラサメ隊長の事が好き。

そう言いたかった。だけど、私と隊長の間には、越えられない壁があった。


(立場…、か……)


生徒と教官、候補生と指揮隊長。身分が、あまりにも違いすぎる。

もし、仮に想いが通じ合ったとしても。
きっと、身分の所為で一緒にいることはできないだろう。

それに、戦場でそのような関係を持つなど、不謹慎極まりない。



(許されないんだ。許されないんだよ―――。)


膝の上に、ぽたりと涙が落ちた。