ワンフィンガーナイト


「さようなら、クラサメくん…」


まっすぐ俺を見て別れを告げたあとに去っていく彼女ーーたった今"元"がついてしまったがーーは、恥ずかしそうに顔を赤く染めて決して目を合わせることなく、いつの日か俺に思いを告げてきた彼女とは別人なように思った。

これでいい、これでいいのだ。
そう自分に言い聞かせるが、いざ別れの時が来ると精神的にきつい。


もとはといえば自分が悪いのだ。最近は任務で忙しくロクにかまってやれていない。いや、付き合い始めたときからただ抱き合ってみたり、いたずらに唇を重ねてみたり、一緒の布団で寝たりしただけだ。自分で相手への好意を口に出したことなんてなかったと思う。

俺が悪い、それはそうなんだけど。
クラサメは心のどこかで"この俺がフられるなんて"とか思っているに違いない。


「……今言わなくてもよくないか、それ」


死ぬかと思った(前回比)果てしなくつらい任務から帰ってきてクタクタになっているところに、ふたりだけで話したいといわれ、体を叱咤してマクタイにつれてこられたと思ったらフラれた。
つらすぎる。

なにが「ここ、思い出の場所だよね、覚えてる?」だ。
フるだけならテラスでいいだろうが。

ああ、こんな時は酒でも入れて痛快愉快にテンションをブッ飛ばしたいものだ。
几帳面で真面目、成績優秀の期待の候補生などと上官たちにもてはやされ、それ以上に動機たちにももてはやされるが、残念ながら俺は噂ほどまじめでもないし期待の候補生でもないのだ。時には酒におぼれたい。

ブツブツと愚痴を吐きながらやるせない気持ちをどうにもできないでいたところ、ふと通りかかった店の看板が目に入った。

《薫る歌声と痺れる一口を、あなたにーーー》

クラサメは流行りに乗るタイプでもないし、自分から娯楽の店に入るような人間でもない。ただこのときだけは看板の文字に吸い寄せられ、店の中に入ったのである。




足元の暗い階段を下りて中に入ると、そこは小さなクラブのような店だった。若者を寄せ付けない印象の、重い雰囲気の内装。奥に小さなステージがあり、ピアノといくつかの楽器をそれぞれの奏者が演奏していた。

一つ踏み込むと、別世界に来たような気分だった。暗くゆったりと流れる乾いた弦に、しっとりとしたピアノの旋律が乗って、シンプルだけどそこから生み出される感情が複雑だった。一言で表すならば、子供が来てはいけない場所。


御年17歳のクラサメ・スサヤ。
初めての"オトナ"の雰囲気に、すでに酔いかけている。

独特の木の乾いたにおいを胸いっぱいに吸いながら、ふらふらとカウンターにこしかけた。
ふと改めて周りを見渡してみると、急に恥ずかしくなってしまった。
ただならぬ"オトナ"の雰囲気に、場違いのような気がして仕方ない。実際自分のほかの客は自分より一回りも二回りもオトナに見えるのだ。
なんて場所に来てしまったんだ。
しかも候補生の制服を着たまま。

うなだれていると、マスターらしき人にオーダーを取られた。

「ウイスキー…」

そう注文するも、いくつも種類があるそう。聞いたこともないような、魔法のようなウイスキーの名前らしき単語をつらつら並べられるも、現時点で違いがわからない俺は適当におすすめを頼むことにした。

「…これで、元気出しなよ」

なにかを察したのか暖かいことばをかけられて、俺の目の前にはウイスキーのボトルと氷の入ったグラスを一つおかれた。
察されたのがフラれた事実なのか、それとも"オトナ"の世界に溶け込めそうもなくて泣きたい少年の心なのか。


とりあえずワンフィンガー。グラスに注いで飲み干した。

こってりとした香りが鼻をくすぐりまわして抜け、においが消えるころには舌先がとろりとしびれた。これだ。
よくわからない銘柄のウイスキーが這った喉、食道、胃袋がじんわりと熱を孕んだ。


これはいい。
オトナ満喫中だ。

ちょっといい雰囲気の店で知らない銘柄のウイスキーを飲んだだけでオトナになった気分になった俺は、いつの間にか流れていた歌に耳をかたむけた。







今日もまた、人の血が流れたらしいーーー。
いつから始まったのかわからないような長い戦争は、毎日人を殺す。
この朱雀という国の兵はみな若い。というのも、魔力の恩恵を受けられるのが若い世代だから。
前線に立って直接魔力を使うのは若者、その若者を戦に遣わしてるのはたまたま今日まで生き残ってきた老人。
白虎や蒼龍だと、いろんな世代の兵士がいるとかいないとか。

…まぁ、私にはもう関係のない話なんだけど。



今日も今日とて、太陽が床に入りはじめる夕暮れ時。
私はいつもの少し重くて乾いたにおいのドアを開ける。

「やぁ」

先に入っていた仲間やオーナーに軽く挨拶を済ませた後、店の奥で今夜のドレスを纏い、主張を嫌うような薄化粧の上に、主役はわたしよとでもいうように彩をのせて。
まつ毛ものばし、唇には艶のない少しマットな紅をひろげた。



「オリ、今日も頼む」
「はーい」


私は3年ほど前に前線を退いた。かくいう私も朱雀の名のもと、候補生として己を磨き、祖国のためにその身を削った。
今は兵役を捨て、ルブルムの魔導院からほど近いマクタイの、とあるクラブに身を置いている。

ーー私の今のお仕事は、ここを訪れる人に歌とお酒を楽しんでもらうこと。
猛火に飲み込まれながら血を流しあうあのころとは程遠い、ぬるいような幸せので暮らしている。


今日も薄暗くて少したばこくさいお店の中で、小さなステージのマイクスタンドのもとに立つのだ。




ちらりとテーブルをみると、3人組、4人組が一組ずつ、カウンターに一人。
カウンターの一人は魔道院の候補生のようだが、私がステージに立っているのに気づいていない。

一見さんかしら、と。
バックグラウンドの重苦しい弦の音にのせて、マイクに口づけた。










澄んではいないが、濃くてしっとりとした声。バックの音楽に乗せて、しつこく歌う。
さらりとではなく、ねっとりと旋律をさらっていく様に俺は魅入っていた。
マイクスタンドに指を絡めて、まるでナニかを愛撫するかのようにマイクに吐息を絡めて。

薄暗い店内とぬるい色の照明で照らされた歌姫は、触り心地のよさそうな藍のノースリーブのドレスを身に纏っていた。その藍色と対立するかのような赤い口紅、伏せられたまぶたの長いまつげがなんとも色っぽい。


ーーーなんて綺麗な人なんだろう。
舌先でウイスキーを転がしながら、俺は少し遠くの歌姫を終始ぼうっと眺めていた。
まどろみから目が覚めたのは、その歌姫と目が合ったからだ。


「!」

歌い終えてさらりと礼をし、拍手をもらう彼女が自分をみている。
かと思っていたら自分のほうに歩いてきたではないか。

えっ、ちょっ
マジで?

めちゃくちゃうれしいが内心困ったものである。さっきの姿、特にマイクと口元が"アレ"してるのを想像してしまったせいで、クラサメはちょっとした興奮状態なのだ。
初めて踏み込む、オトナの世界に体が戸惑っているのを感じた。







歌ってるうちにカウンターの候補生くんは私のことを凝視し始めた。
だんだん、目線がとろけてくるのがわかった。

ちょろいなぁ。

ぽかーんと口を開けたまま見てたり、お酒を口に含んで、またこちらを見て。
おまけに、私が思うよりも"オコチャマ"なのか、ズボンのある部分が微妙に膨らんでいる。
なんとなく、かわいいなぁ。


お客さんに興味を持つなんてあまりないんだけど、なんだか今日は話しかけてみたくなって、歌い終わってそのコのいるカウンターに向かった。



「……キミ、ここ来るの初めて?」
「え、あ、はい…」

私が話しかけると、明らかに動揺していた。
実はこちらも少し動揺した。

無造作で猫のようだけど綺麗な藍色の髪、わりとしっかりした体躯、そして端正すぎるその顔。
切れ長の目はアイスグリーンの光を湛え、高めで筋のとおった鼻、薄い唇。
多少アルコールが回っているようで、頬はほんのりと上気している。

これほど整った容姿ならさぞかし女の子にはモテモテなんだろうな〜とか思ったり。


「候補生くんがこんなところで何してるのかな〜?」

と問いかけると、ちょっとばつが悪そうにしていた。なにかあったみたいだ。


「…フラれたとか?」
「っ」

図星みたいだ。フラれてヤケ酒とか、若いねぇ。


「朱雀を守る候補生だって、こうしたいときもあるんです」

そういって彼はグラスを煽った。
私にも青い時期があったんだよなぁ…。もっとも、候補生時代は割とまじめにすごしていたのだが。

ボトルは3割ほど減っていた。なるほど、若い割にはイケるクチらしい。

「私もいただいていいかしら」











隣には歌姫。これほどかというほどの美女と同じボトルのウイスキーを口にしているのは非常にうれしいのだが傷心の原因を早々にえぐられてしまい、非常にやるせない気持ちでいっぱいだ。

ほどよくアルコールが回ってきたおかげで、舌が勝手に動いてしまう。



忙しいのを支えたいって言ったくせに、構ってくれないとか。
キスもしてやって、俺もよくわからないなりに愛情表現しようとして、慣れない行為にシーツをしわくちゃにして。
がんばったのに伝わらない。
がんばったのに、よくわからない振り回され方をして。
任務で疲れてるんだ。



隣で歌姫は、おおー出てくる出てくると、俺の愚痴を楽しんでいた。
カラカラとグラスの氷を鳴らしながら、うんうんと聞いてくれていた。

正直話してる途中でどこまで話したのか把握できてないので、多分俺は何度も同じ話をしたと思う。
おそらく途中から呂律もあいまいだ。

それでも彼女はうんうんと聞いてくれた。
商売だからな、と頭の中では納得していたのだが、彼女の地声、つい触れたくなるような肌、暗い照明の中でもはっきりと彩られたのがわかる端正な顔…。
いろいろあいまって頭の中でアルコールが注入され、とろとろに溶けた末に「ひょっとして俺に気があるのでは?」とかアホなことを考える。
疑似恋愛とはこういうことなのだろう。


「結構きみ、がんばってるんじゃない?酔っぱらってるとこ…ってか今の候補生くんしかしらないからあれだけど、その顔立ちと聞いてる限りじゃかなりもてはやされそうだし」

彼女は酔っぱらってる俺に対して、真剣に話をしてくれた。

「女の子は構ってほしい生き物よ。みんな自覚はしてる。でもいい女とそうでない女の違いは、その願望を抑制できるかできないかってところでもあるのよ?」

つまりは、元彼女はいい女ではない。そう言いたいらしい。
じゃあいい女ってどこにいるんだよ…。酔いが回った思考回路でぼそりとつぶやいてしまう。

ああ、どんどん俺の意識が戻れないところに。


「でも自分にとってのいい女っていうのはね、理屈じゃわからないのよ。ビビっとキミのココにくる人じゃないと…」

といって歌姫は俺の足の付け根あたりを一撫でした。
オトナはやっぱり違うなぁ…、と謎の感心をした。

「エロい女だな、あんたは」
「あら、ほめ言葉かしら」

クスクスと笑う彼女は天使のようだ。

「いい女ってあんたか?」
「なんでそう思うの?」
「あんたが言うように、股間にビビッときたから」

俺はいったい何を言ってるんだ。言ってることに対して眩暈を覚える。
院内の知り合いとかにこの手の冗談を言ったところで悲鳴をあげられるか心配されるかだろうが、この人は違った。



「そうかもしれないよ?」

そう小悪魔的にほほ笑む姿に、また股間がビビっときた。

「やっぱりそうだ、股間がビビっとしてる」
「もうー、酔っぱらってるんだから」

オコチャマは帰る時間ですよ、と、さすがにこの酔っ払いが心配なのか会計を促される。

「それに、早く帰らないと院の門限だよ?反省文5枚とお手伝い2週間、したいの?」
「やだー…」

重たくて火照った体を引きずって店を出ようとしたところで、はっと気づく。


「なんで門限違反の罰を…」

門限違反の罰は学内の者しか知りえない。はずなのだが。
何故彼女が知っているのだろう。

「いいからいいからー、また来てね、候補生くん」
「俺の名前はクラサメだ、覚えろ」
「私の名前も覚えてよね、クラサメくん」

オリです、よろしく。
そう言って俺の右ほおにキスをして、彼女は店の中に戻っていった。






オリ…、オリ、どこかで聞いたことがある名前だ。
そんなことを考えながら、偶然にも出会った女神の名を心に刻み付け、鼻歌を歌いながら院へ帰るのであった。






END





オリさんは、3年前まで四天王並みに強くて伝説に残ってる人でした〜的な。
強いのすきそうなコホサメさん、そういうの知ってそう。

今は引退、院からも出て下町のクラブで歌うたってるとか。
とにかくかっこいい年上主がかきたかったけどうまくまとまらなかった…。

オトナのちょっとエッチな雰囲気を楽しんでもらえればいいかなと。
おそまつさまでした。