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パチン、パチン――

白哉の部屋から爪を切る音がすると、私はひとりでに思う。嗚呼、今日彼は、妻を抱くのか、と。

今宵汚されることになるであろう洗い立てほやほやの布団を持ったまま、無遠慮に彼の部屋に押し入る。白哉は少しだけ肩を揺らし、こちらを振り向いた。

「……唄か。」

「お布団、お持ちしましたよ。」

私は身に余る大きさの布団の横からひょっこり顔を出し、にんまりとした顔で白哉を見た。白哉はその笑みの真意を理解できなかったのか、私から目を逸らして爪を切り続けている。私は慣れた手つきで少し大きめの布団を部屋の真ん中に敷き、真っ白いシーツを皺ひとつなく、ぴんと綺麗に貼る。……どうせ数時間後には、ぐしゃぐしゃにされるんだろうけれど。

白哉と私は、所謂幼馴染というやつだ。とは言え、この家では当主と使用人。桜倉家は代々朽木家の使用人として遣える使命があり、それは私にも課された任務だった。朽木家の腕利きの使用人として名高い母上の後釜として私がこの家に来たのは、つい三年ほど前。白哉が、緋真と結婚した直後だった。

使用人である以前に元々白哉と仲の良かった私は緋真とも直ぐに打ち解け、緋真が心を許した女性として、つい数か月前に有難くも彼らのお付きの使用人の一人となった。朝の声掛けから夜の布団の用意まで、ようは夫婦の雑用係である。昼間の緋真の護衛や話し相手も年の近い私が担当することが多く、彼女も私を信頼してくれているようだった。緋真に頼られるのは嬉しかったし、白哉にも褒められるから悪い気はしなかった。

でも、なんだろう。空虚だ。すごく、虚しい人生だ。私はこのまま、幼馴染とその妻のために身を削り働き、そして天寿を全うして死ぬのだろうか。時々そんなことを思うが、こればかりは桜倉家の者として生を受けた時点で定められた運命である。私はそれを受け入れ、今日も今日とてせこせこと二人の愛の巣をメイキングしてやるのだ。白哉は愛する女性を抱く時、どんな顔をするのだろうか。どういう風にして抱くのだろうか。爪を切るぐらいなんだから、手淫が得意なのだろう。そんな下世話なことを、考えながら。

白哉が爪を切る日の翌日、大抵布団が乱れていた。私がそのことに気付いたのは、二人の布団を変えるようになってから二週間ほど経った頃だった。緋真が湯浴みに行っている一時間の間に、白哉はいそいそと爪切りを取り出し、自分の爪を切った。その間隔が一週間に一度のこともあれば、二日と開けずに再度ということもあった。一日でそんな伸びないだろう、とツッコミを入れたくもなるが、彼にとっては習慣という感じなのだろう。元々体が弱い緋真のために、極力負担も痛みも減らして抱いてやりたいと、そう思っているのだろうか。とんだ愛されガールだ。ヒュウ、妬けてしまうね。

「……唄。」

「はい、何か?」

「……もしや、声が聞こえている、のか?」

「は?声?」

何の話だ。私は彼の言わんとしていることの意味がわからず、首を捻る。彼はいつの間にか爪切りを棚にしまい、私の元に歩み寄った。少し、決まり悪そうな表情だ。

「朝餉の声掛けの際、頑なに襖を開けない時があるだろう。」

「えっ?あ、はい。」

私は思わず言葉を詰まらせる。ここ最近、二人の部屋に朝餉を持って行くのは私の役目だった。緋真は体が弱いためあまり歩き回ることはせず、こうして白哉と二人で私室で食事をとるのだ。

しかし、私は襖を開けず、外から声を掛けて廊下に食事を置いて立ち去ることがあった。言わずもがな、彼が爪を切った翌日――つまりまぐわいが行われたであろう翌朝は、私は部屋に入ることを拒んだ。理由は至って簡単。襖を開けたら一糸纏わぬ姿の白哉と緋真が布団の中で眠り呆けていた、なんてことがあっては私の首は物理的に飛ぶだろう。それは勘弁願いたい。

そうか、と合点が行く。私は爪を切った日に夜の営みが行われていることを知っているが、白哉は私がそんな推理を働かせているだなんて露とも知らないはずだ。ただ単に、緋真のよがる声が私の寝室まで聞こえていて、それを聞いて察した私がその翌日に襖を開けないようにしている、と思っているのだろう。そもそも二人の寝室と私の寝室は、大分距離があるというのに。

「……仲がよろしくて、大変微笑ましいことです。」

「では、やはり……」

「夫婦であれば、当たり前のことです。何も恥じらう必要はありませんよ。」

「……そうか。唄、お前の寝室の場所を移させてもらう。」

「はぁ!?白哉そういうの気にするタイプじゃないでしょ!」

「私が気にせずとも、緋真が気にする。」

「あー出た出た!これだから妻にだけ優しい愛妻家くんは!」

むかつきすぎて、タメ口になってしまった。何故、お盛んな夫婦のために私が部屋を移さねばならんのか。割と気に入っていた部屋だったということもあり、私は白哉に噛みついた。しかし当主のご命令は絶対である。私の必死の抵抗も虚しく、白哉に言い渡された私の新しい部屋は、今の部屋よりも大分広い、庭付きの優良物件だった。……でも、だからって、良いって訳じゃない。むかつく。まあ、私が大人しく白哉の爪切りのタイミングで推理していたということを伝えれば部屋の移動は免れたのかもしれないが、正直、部屋の移動とかしてもしなくてもどうでも良い。私は自分が何に苛ついているのかも理解できず、その感情もまた私を苛つかせる原因の一つとなってしまった。

「……白哉様、唄さん。」

すすす、と襖が開く。弾かれるように振り返ると、そこには白哉の最愛の女性、緋真が立っていた。私が遣える女性でもある。いつもであれば丁寧にお辞儀をし、体調を労う言葉を掛けるのだが、今日はとてもそんな気分ではなかった。私は軽く一礼をし、緋真と入れ違いになるように部屋の外へ出た。去り際、私は悪戯な笑みを作って二人の方へ振り向いた。

「どうぞ、今夜はごゆっくり。」

白哉の表情を見る間もなく、私は襖をぴしゃりと閉じた。正体不明のもやもやを抱えたまま、私は二人の部屋を後にした。その日の夜。私は聞こえない筈の二人の愛し合う声に怯えながら、布団を頭まで被って眠れぬ夜を過ごした。


* * *


パチン、パチン――

寝室から爪を切る音がして、私は思わず部屋に踏み入ろうとした一歩を止めた。嗚呼、もしや今日彼は、私を抱くつもりなのか。私は廊下にへたり込み、膝を抱えて顔を埋める。

人生とは、何が起こるかわからないものである。私はこの身をもって、それを思い知った。

私が白哉に遣えてから五年後の早春。緋真が亡くなった。私はその日のことを、今でも鮮明に思い出すことが出来る。五年寄り添った女性の早すぎた死を悼み、一番辛いはずの白哉に縋りつくようにして夜通し泣いた。泣き止んだ後、私は何故か、ほっとした。その安堵の正体もわからず、遣えた立場でありながら安堵してしまった罪悪感を振り払うように、私は自分の気持ちの正体について考えることを放棄した。

私は白哉を支えた。白哉が緋真を想い涙を流す日があれば、それに寄り添った。緋真の妹であるルキアを見つける為に、あの手この手で捜索活動を続けた。見合いの話が来るたびに乗り気ではない様子の白哉を見れば、私は必ずその姫君の粗探しをしては、それを理由に見合いを跳ね除けるようにと助言した。

緋真の妹であり白哉の義妹である朽木ルキアは、同じ犬吊出身の幼馴染である阿散井恋次と結婚した。幼馴染婚、なんて素敵な響きなんだろう。私とは一生ご縁がない言葉だ。ルキアが白哉の元から離れる日。私は白哉と肩を並べ、共にルキアの背中を見送った。白哉と緋真の間に交わされた約束は、ここに果たされた。私はまるで我が事のように、誇らしい気持ちになった。きっと彼の中でも、一区切りついたんじゃなかろうか。私は自分が遣える男でありながら幼馴染でもある白哉が、漸く新たな一歩を踏み出す時が来たのではないかと、彼の横顔からそんな気配をなんとなく感じ取っていた。

私の予感は、思いもよらぬ形で的中した。挙式から二週間後。桜倉家に、結婚を申し込む手紙が持ち込まれた。差出人は朽木白哉、宛先は桜倉唄様となっていた。これ、私か?私はその手紙を母上から受け取り、「宛先間違ってるよ」とご丁寧に白哉に突き返そうとしたが、その手は何をどうトチ狂ったのかわからない白哉によって絡め捕られた。身を固くする私に告げられた彼の言葉。それが「私と結婚して欲しい」だった。

最初、彼の言葉の意味が理解できなかった。私が黙っていると、白哉は「嫌か」と訊いてきた。嫌か嫌じゃないかと言われれば嫌ではなかったため、「嫌ではない」と答えた。私のその回答を皮切りに、結婚話は両家の当主間でとんとん拍子に決まっていった。桜倉家の者からしても、仮に白哉が血迷って持ち込んだ縁談だとしても、この機会を逃すまいと必死だったのだろう。私の気持ちは?と問う暇すら与えず、あれよあれよと面倒な手続きが進み、ついに本日の午後、白哉と私の間に婚姻が結ばれた。めでたい。……めでたいのか?

私はまだこの結婚を自分事とは思えぬまま、無駄に広い浴室で一人、白哉からプロポーズを受けてからの一か月間の出来事を思い出していた。この一か月で使用人を辞めさせられ、白哉と元同僚の使用人と共に婚姻の準備に明け暮れていたため、ゆっくり白哉と会話をする時間も、考える時間もなかったのだ。私は今後白哉とどう接したら良いのか、頭を悩ませた。

今更白哉の妻と言われても、あまりピンとこない。白哉は私の幼馴染で、遣えるべき主で、緋真の夫だった。私にとっての白哉の妻は緋真だったし、私にその代わりが務まるかと言われれば無理である。そもそも何故、白哉は私を好きになったのか。自分の行いを踏まえて考えれば思い当たる節がない訳ではないが、彼の方から一切アプローチを受けてこなかったため、今更言われても、という感じである。

そんなことを考えながら湯浴みを終え、私は寝室へと向かった。慌ただしかった結婚の手続きも、漸くひと段落したのだ。白哉とゆっくり話が出来る良い機会だろう。私は色々と問いただしてやろうと、襖に指を掛ける。そして、気付いてしまった。襖の僅かな隙間から洩れる、爪を切る音。私は五十年以上も前の、あの日を思い出していた。

「……まじ、かぁ。」

五十年前は、完全に傍観者だったと言うのに。今彼が爪を切っているのは、まさに私のためである。ここ一か月間、白哉と寝食を共にしながらも、日中の結婚手続きに追われていた私は早寝早起きを繰り返していた。一方白哉は護廷十三隊の隊長の身。遅寝早起きの彼と生活リズムが合う筈もなく、すれ違いの日々が続いていた。

ひと段落した今日と言う日ほど、彼が私を抱くに相応しい日はないだろう。私は体中の血液が顔に集まっていくのを感じ、漸く白哉の妻になるということがどういうことであるのかを理解した。部屋の前に来たものの、中に入る勇気が出ない。私は膝を抱えたまま、どうしたものかと考えを巡らせる。

「唄、そのようなところで何をしている。」

「びっ……くりしたぁ!?」

中から襖を開けられ、白哉が顔を出す。爪切りはもう終わったらしい。彼は相変わらずのすまし顔で、私を見下ろしていた。そんななんともないような顔してても、私は知っている。この男、今夜私を抱く気である。その爪が短くなった指でなんか色々弄る気満々である。私は熱くなる下半身にぎゅっと力を入れ、その場から立ち上がった。白哉はさり気なく私の腰に手を回し、部屋の中に引き入れる。彼の一挙一動に込められている下心を知っている私は、自然と体を固くした。

「疲れたであろう。今宵は、もう休むと良い。」

「……本当に休ませる気ある?」

「何か言ったか?」

「いいえ、なんにも。」

私は小声でぼそりと呟き、丁寧に二組敷かれた布団の横に正座をした。私に構わず布団に入り部屋の灯りを消そうとする白哉に、私は慌てて待ったをかける。

「ね、ねえ、白哉。」

「どうした。」

「いつから、なの?」

一番気になっていたことだった。私が彼に寄り添い続けたことで彼の心を動かしていたのだとすれば、一体いつから彼は私を女性として意識するようになったのか。白哉は枕元に置かれた灯りに手を伸ばしたまま、少しだけ思案した。

「……意識し始めたのは、三十年程前であろうか。」

「へえ……結構前なのね。」

彼はそんなにも前から、私を恋い慕ってくれていたというのか。それを表に出さずにいたのは、義妹を守るという緋真との約束を果たすまではと、その想いを封じていたからだろう。あまりの生真面目さに、私は不覚にもくらりときてしまった。背負う物は何よりも大きく、守るべきものもとても多いのに、愛する女性のために交わされた約束も律儀に守り通す。私は彼の、こういうところが好きだ。

そして三十年も前から私を恋い慕い、緋真との約束を果たしたのと同時に私を迎えに来てくれた。白哉に想いを打ち明けられ、私の胸の内から湧き上がる懐かしい気持ちに気付く。私がかつて白哉に抱いていて、五十年も前に封じ込めた、もやもやとしたもの。私がかつて白哉に抱いていた感情は、もしかしたら恋心というものだったのかもしれない。昔から私は白哉の一番で、白哉は私の一番だった。そう思っていた。だけど、違った。五十年以上も前のあの日、些細なことで部屋の移動を言い渡された日。私はあの時、白哉が一番大事なのは私ではなくて緋真なんだということを思い知った気がして、苛ついてたんだ。緋真が亡くなってほっとしたのも、自分が白哉の一番に戻れるかもと、そう思ったからなんだ。二人の情事の痕跡が残る部屋に入りたくないと思っていたのも、二人の仲を見せつけられるのが嫌だったんだ。かつて蓋をして、なかったことにしてしまった自分の気持ちを再び思い返せば、あの後何度か恋をした今の自分であれば理解できる。白哉はきっと、私の初恋だった。

そう認識した瞬間、目の前の幼馴染が突然一人の男に見えた。彼は私が好きで、私も彼が好き。深く考える必要など全くない。愛し合う男女がそこにいるという事実だけで、充分だ。

「唄は、どうなのだ。」

「は?何が?」

「お前の気持ちを、訊いていない。唄は、私をどう思っている。」

「……私、白哉のこと、男の人として好きだよ。」

「そうか。いつからだ。」

「それは秘密だけど。」

たった今気付いた気持ちを、白哉に告白する。ずっと、彼の二倍以上も前に彼を好きだったなんて、悔しくて言えるはずがない。私の曖昧な答えに、白哉は顔を顰める。しつこく食い下がられても面倒だ。私は白哉が消し損ねた枕元の灯りに手を伸ばし、スイッチを切った。ふっと視界が暗くなり、夜の帳が下りる。私は自分用の布団の上を素通りし、白哉が身を沈める布団の中に足を滑り込ませた。

「私、まどろっこしいの、嫌いなのよね。」

「何の話だ。」

「白哉、今から私を抱くつもりでしょ。」

ぴたりと体をくっつけてそう問えば、彼は決まり悪そうに目を逸らす。私はにんまりと笑い、彼の指に手を絡める。こっそり指先に触れれば、綺麗に切り揃えられた爪は、ご丁寧にやすりまでかけられているようだ。私は大切にされているのだと思い知り、喜びに体の奥がきゅっとなる。

「……何故わかる。」

「超能力。」

「……。」

「う、そ。私が何年間、白哉を見てきたと思っているの?」

幼馴染、なんだから。そう言おうとした唇は、白哉によって塞がれた。白哉は愛する女性を抱く時、どんな顔をするのか。どういう風にして抱くのか。果たして本当に上手いのだろうか。長年解き明かされることなく、そして今後も明かされることはないのだろうと思っていた謎が、今宵私の手によりまさに解明されようとしていた。




……因みに手淫も何もかも滅茶苦茶に上手かった。なんかもう、色々と凄すぎた。これは声が外の者に聞こえる心配もするな、と約五十年ぶりに緋真と同じ不安を抱える羽目になった。



(執筆)20200717