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「――今年も、綺麗な桔梗が咲きますように。」

もう誰も住んでいない家の庭。かつて婆様と種を撒いた桔梗の花壇に水をやる。隣の花壇には、色とりどりの春の花が咲き乱れている。桔梗の花が咲くのは、もう少し先だろうか。少しずつ芽吹いている緑のつぼみを、つんと指で突く。

去年の冬以降、婆様――彩蓮志貴の姿を見た者はいない。彼女は帰るべき場所に還った。

あれから、相剋桔梗の声を聞くことはなかった。それもそのはずである。私はあの現世任務で重傷を負い、一か月近く綜合救護詰所で治療を受けていた。斬魄刀との対話どころではなかった。慣れない始解で、霊力が枯渇するまで戦ったためだろう。完全回復にはかなりの時間を要した。初めの数週間は毎日のように様子を見に来てくれていた隊長だったが、ある日突然姿を見せなくなった。不安になった私が治療担当の山田七席にそれとなく事情を訊くと、どうやら隊長も現世任務で腕を大怪我したらしく、同じく綜合救護詰所の違う階で治療を受けているらしいとのことだった。隊長が怪我をする程の戦闘任務、と聞いて不安に駆られたが、どうやら黒崎一護絡みのいざこざがあったようだ。その後も後始末に追われていたらしい隊長とリハビリに追われていた私は、数週間もの間すれ違いが続いていた。

季節は一周する。気付けば今日は、入隊式の日だった。自分の、ではない。自分の下に、漸く後輩ができるのだ。そして、私が退院した日でもあった。私は退院した後、今すぐにでも隊長に会いに行きたいという衝動を押さえ、流魂街の婆様の家に向かった。彼女に会うためではない。彼女はもう、この世にいないということを理解しているから。私はただ、花に水をやるためだけにその場へと急いだ。

定期的に雨が降っていたということもあり、花は元気な姿を見せている。私はほっと胸を撫で下ろした。花たちに水をやりながら、この花園は私が守っていこうと、人知れず心に決める。

伝令神機が鳴る。私ははっとして着物の懐に手を入れ、それを取り出した。画面には、我が隊の隊長、朽木白哉の名前が映し出されている。どうやらお呼び出しらしい。気付けば時刻は朝の八時過ぎ。あと一時間ほどで、入隊式が始まる頃だろう。私は今日から隊に復帰すると言ってあるため、その件の確認の連絡だった。最後に、式の前に一度顔を見せるようにという一言が添えられていた。

「……久しぶりの、隊長直々のお呼び出しだ。」

私は少し怖いような、照れ臭いような、妙な期待感を胸に抱く。私は腰に手をやり、長年連れ添った斬魄刀にそっと手を添える。手に持ったじょうろを物置に戻し、私は花園を後にした。


* * *


「失礼致します、朽木隊長。」

隊主室のドアをノックし、中から声がかかるのを待つこの瞬間は、いつになっても慣れない。私は何度目かわからない緊張感を携え、中にいる彼の返事を待つ。

「……入れ。」

隊長のいつもよりも少しだけ低い声に、恐る恐る扉を開ける。隊長はいつも通り椅子に腰かけ、本日入隊の新米隊士の名簿に目を通している。いつも通りの光景に見えるが、その声が示した通り、彼は不機嫌な表情をしている。彼は私が隊主室に入り扉を閉めたことを確認すると、その切れ長の目に僅かな怒りの感情を湛え、私をじっと見つめた。

「……退院したら、直ぐに顔を見せるようにと申したはずだが。」

「え、ええと……」

「何処へ行っていた。」

先日、退院の日取りが決まった際。確かに隊長からそのような言伝をいただいていた。朝に退院したとしても、どの道数時間後には入隊式で彼と会えるのだ。だからこそ私は、隊舎に行く前に流魂街に寄った。しかし隊長的に、私のその行いがお気に召さなかったらしい。私は慌てて業務モードの謝罪の礼をする。

「も、申し訳ございません……流魂街の、婆様の家へ……」

「……。」

「花に、水をやりに行っていました……。」

婆様、という言葉を聞き、思うところがあったのだろう。私は隊長に、彩蓮志貴の、相剋桔梗の全てを話していた。どうやら隊長や私が会っていたのは桔梗だったが、浮竹隊長や京楽隊長がかつて共に戦っていたのは、彩蓮志貴だったのだということが判明した。隊長に最初にその話をした時は状況が呑み込めていないようだったが、彼はどうやら自らの足で流魂街に向かい、婆様の家を確かめたらしい。そしてその場から完全に彩蓮志貴が消滅したことを悟り、漸く納得のいったような表情を見せた。

それならば仕方がない、とでも言うように、隊長は小さくため息を吐く。隊長は、婆様絡みになると相変わらず甘かった。これまで彩蓮志貴だと思われていた存在が実は彩蓮志貴ではなかったのだとしても、彼がその女性――桔梗に憧憬の念を向けていたという事実に変わりはない。隊長が焦がれたのは、桔梗の書く字だったのだから。

「私は一刻一秒でも早く彩蓮の顔を見たいと思い、こうして朝の六時からここで待機していた。」

「六時!?」

隊長はゆらりと立ち上がる。入隊二年目の平隊士のためだけに、三時間もここでこうして待ちぼうけを食らっていた隊長は、相変わらずご機嫌斜めのようだ。こちらに歩み寄る隊長に気圧され、私は思わず後退りする。

隊長の手が、私に延ばされる。そのまま背中に回る温もりと当時に、私は隊長の腕の中にいた。突然の抱擁に、私はひっと息を呑む。

「た、隊長!?」

隊長に呼びかけるが、返事はない。隊主室で隊長と平隊士が抱き合っているところを他の死神にでも見られたら、一大事である。かといって隊長の体を押し返すなどと無礼なことが私にできるはずもなく、私は行き場を失った手をおずおずと隊長の背中に添える。隊長からの反応はない。どくり、どくり、心臓が脈打つ音を感じる。

「あの……お言葉ですが、任務中にこのようなことは……」

「始業まであと五分ある。」

「……。」

少しだけ視線をずらして時計を見れば、成程、時計は九時の五分前を指し示している。でも、だからと言って、万が一始業前に隊長に用のある隊士が入ってきて見られでもしたら言い逃れできない光景だろう。私は名残惜しさを感じながらも、隊長の背中を宥めるようにぽんぽんと叩く。

「見られたら、まずいです。」

「そう、だろうか。」

「私たちが、その、こういう関係だっていうことは、あまり周りに言わない方が良いと思うので……」

隊長と私の関係が公になれば、何かと面倒なことになるだろう。それは、隊長も同じはずである。六番隊の隊長ともあろうお方が入隊二年目の女性に手を出した、などと噂が流れでもしたら大変だ。こういうことは、公表するにしても私が席官クラスの力を身に着けてからが良いと、隊長には予めお願いしている。

私の言わんとしていることが伝わったのだろう。隊長は渋々私を解放してくれた。それでも何かを言いたそうに、隊長の手は私の手を握ったままだった。

「……今宵、時間を作れるか?」

「今夜、ですか?」

今日は入隊式がメインのため、急ぎの業務が入ることもないだろう。……休隊中の仕事の溜まり具合は心配だが。

「共に、食事でもどうだろうか。」

隊長は、目を伏せてそう言った。彼が照れているのであろうことは、なんとなくわかった。この隊長でも、照れることがあるのか。隊長を可愛いと思う日が来ようとは、一年前の私からすれば、想像できないだろう。

「では……是非、ご一緒させてください。」

ご丁寧な逢引のお誘いにこちらまで気恥ずかしくなり、私は前髪をいじりながら返事をする。何だかんだで去年と同じ長さのままの前髪は、私の赤くなった顔を少しも隠してくれない。隊長はそんな私の様子を面白がるように、前髪を触る私の手を取る。

「お前は、変わらないな。」

「え……」

「人が話している時に髪を弄るというのは、人として恥ずべき行動だと、教えたであろう。」

「……申し訳、ございません……。」

一年前の今日の日に彼から言われた言葉を、もう一度聞くことになろうとは。私が真っ赤になった顔をふいっと背けると、私の前髪を掻き上げた隊長が、私の額に口付けを落とした。

ぎゅっと閉じた瞼の裏で、私は一年前の自分に想いを馳せる。隊長に叱られ、消沈していた自分を。自信を失くし、泣きそうになっていた自分を。大丈夫。一年後の貴方は、自分が誇れる死神になっているから。

隊長と肩を並べることも、隊長の愛を受けることすらも、今はいっぱいいっぱいの私だけれど。これから先は、隊長の隣を歩いていきたいと思う。一年後の私が、今日の初々しい私の姿を思い返して頬を綻ばせるような、そんな一年間にしたい。私はこっそりと、この一年の目標を掲げるのだった。




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(執筆)20200621
(公開)20200629