スロー・フロー・スタート | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

「この霊圧は……!」

私の隣を並走する恋次が、弾かれるようにして顔を上げる。見知ったはずの彩蓮の霊圧が、何倍にも膨れ上がるのを肌で感じる。斬魄刀を解放したのだろう。彩蓮、遂にその名を知ったか。ならば、と私は速度を上げる。

先刻、銀美羽率いる七名の部隊が現世の鳴木市で巨大虚の群れと遭遇したとの報告が入った。銀による救援要請だった。彼女は優秀な九席だ。彼女一人で事足りないとの判断が下されたということは、敵は相当の手練れらしい。彼女一人であれば何とかなったとしても、新米隊士を護りながら戦うことは難しいだろう。万一のことも考慮し、隊長と副隊長両名での出撃となった。

――任務に私事を挟むようなことはしたくないと思いつつも、私は考えてしまう。今日の現世任務の名簿には、彩蓮の名前があった。彼女は、無事だろうか。新米隊士の手に負える相手ではない。どこかに身を隠して救援を待っていれば良いが、強さを求めるあまり躍起になっていた彼女のことだ。血迷って、勝てない相手に挑むようなことをしていないと良いが。

しかし、私のその願いも虚しく、虚の群れの中で一つだけ感知された霊圧は彩蓮の物だった。私は恋次と共にその場へと急ぐ。どうか、無事でいてくれ。

跳ね上がる霊圧を感じてからもなお、私は不安に駆られていた。彼女の斬魄刀の能力を、私は知っている。中途半端な状態で使用すれば、命を落とすこともあるだろう。

「隊長、あそこです!」

恋次が指を差した場所に、土煙が舞い上がっている。私がその場に駆け付けた時には、彩蓮は既に斬魄刀の力の中に――結界の中にいた。

彼女の斬魄刀、相剋桔梗は解合者を中心とし、木火土金水を元とした五芒星の形の結界を生み出す。斬魄刀の形状は一見変わらないように見えるが、彼女を囲う結界こそが、解放された斬魄刀の真の姿である。

「彼女の斬魄刀、相剋桔梗は、彼女が育て親から受け継いだ物だ。」

「育て親って――彩蓮が婆様って言ってた奴ですか?」

「……ああ。」

私は実際に彩蓮の斬魄刀を――志貴殿の斬魄刀を見たことがある訳ではない。私が六番隊に入隊した際、祖父である朽木銀嶺より聞かされた話だった。

相剋桔梗は始解の間、結界の中に自身と相手を閉じ込める。その結界は外部干渉では絶対に壊れず、結界を構成する霊力が切れるか、所持者の意志によってのみ解くことができる。

その所有者は斬魄刀に自身の霊力を全て注ぎ込み、斬魄刀は所有者の霊力を消費して結界を維持する。その際一時的にではあるが、所有者は一切の霊力を失う。それを代償として、結界内に存在する対象の意識から、自身の存在を無にして気配を消すことができるのだ。

「じゃあ、今あの虚たちには、彩蓮の姿が見えていない……?」

「そうだ。奴らの中では、そこに何かがいた、何かと闘っていた、という感覚のみが残る。」

「圧倒的有利な立場での戦闘舞台を作り出せる、ってことじゃないすか!」

「……しかし、相手の攻撃が当たらない訳ではない。広範囲攻撃や無差別攻撃を受けることがあれば、彩蓮は痛手を負うことになる。」

所有者はその戦いの間霊力を失うため、白打、鬼道の類を使用することも出来なくなり、生身の人間と近い状態となる。そのため、純粋に剣術を極めた者のみが真価を発揮出来る斬魄刀である。

――斬魄刀の始解すらできないんじゃ、いくら剣術を極めても、無駄なんじゃないかって思うんです。

彼女はいつだったか、己の無力さをこう嘆いていたことがあった。斬魄刀の始解の能力があれば、剣術の腕など無意味なのではないか、と。私はその言葉を否定した。それは基礎あっての戦いだという意味でもあったが、彼女の剣術の腕と相剋桔梗の能力は、とても相性が良い。そしてその力を遺憾なく発揮している彼女の姿を目にし、一人の部下として、とても誇らしく思う。

「恋次。彩蓮の結界が解かれたら、虚の討伐を頼む。」

「隊長は……」

「私は、彩蓮の救命措置を行う。銀の容態も危ないだろう。今のうちに、四番隊に連絡を。」

「はい!」

私は握り拳を作り、彼女の戦闘の様子を見守る。相剋桔梗の結界は、所有者の意志もしくは所有者の霊力の枯渇によってのみ解かれる。いくら外部から干渉しようにも、彼女を結界の中から救い出すことは不可能だろう。そして彼女は恐らく、この状況を一人で戦い抜く心持でいる。結界によって自身の霊力が喰らい尽くされる前に、早期決着するのが望ましいが、この戦況では難しいだろう。

数分の後、結界が解かれる。これは、彼女が戦闘不能状態となったことと同義である。恋次と私は、前線に飛び出した。


* * *


結界が、解かれる。

それは、自身の霊力の枯渇を意味する。私は地面に伏し、目の前の虚を睨みつける。あと、二体だったのに。最早、刀の柄を握る事すら苦痛だった。指一本を動かすだけでも、体がひび割れていくような激痛が走る。

相剋桔梗――婆様の力を借りてもなお、私はこの戦いに勝利することが出来なかった。初めての斬魄刀解放だ、慣れないこともあった。それでも、自分に次の戦いなどないのだとしたら、ここで死ぬのだとしたら。この刀を使いこなすために強くなろうという目標を持つことすら、不可能となってしまう。

漸く、強くなる目的を見つけたというのに。今度こそ、私は死ぬのか。

私の狭まった視界に、何者かの足が映り込む。これは、死神の足だ。何故、ここに。

「おう、よく頑張ったな!お前は下がって隊長に介抱されてろ!」

「阿散井、副隊長……」

地面に伏している私に、彼の顔を見ることは叶わない。最早、首を動かすことすら難しい。それでも聞こえてきた彼の声に、私はどれだけ救われた気持ちになったことか。無意識のうちに、ずっと堪えていた涙がはらはらと地面に零れ落ちていく。

「彩蓮、無事か。」

「……隊、長?」

「あとは、恋次に任せろ。」

自分の真横に、気配を感じる。この戦いの最中、心の中でずっと、私を支えてくれた人。もう一度会いたいと、強く願った人。私に、力をくれた人。その人の顔が見たくて、私は首を動かす。体が悲鳴を上げる。痛い、痛い、体が裂けそうに痛い。それでも、私は貴方の姿を、一刻一秒でも早く、瞳に宿したい。

「隊長、隊長……!」

「彩蓮、あまり無理をするな。救護班が到着するまで、暫し――」

骨まで焼かれるような痛みに耐え、私は隊長に右手を伸ばす。隊長は私の宙ぶらりんの手を取り、労わる様に優しく握り返してくれた。

「……私、もうだめだって思った瞬間に、隊長のことを思い出しました。」

「……。」

「隊長に、まだ返事をしていないなって、思って。それで、頑張れたんだと思います。」

最早留まることを知らない涙と共に、口から零れ落ちるのは、自分の溢れんばかりの隊長への焦がれる想いだった。

隊長への気持ちがあったからこそ、私は戦いの中で大切なことに気付くことができた。何のために戦うのか。身勝手に考えろという隊長の言葉。私が戦いの中で見つけた答えは、隊長にもう一度会いたいという願いと、隊長の隣に立てる女になりたいという、あまりにも身勝手な願い。自分のエゴのために振るう刃など、護廷十三隊の死神としては失格なのだろう。けれど私の斬魄刀は、それで良いと言った。私はあの瞬間、婆様の為でもない、ただ一人、我儘にひたむきに強さを求める自分のためだけに、斬魄刀の名前を知りたいと強く願ったのだ。

戦禍の中で強く恋い慕った、一人の男の手を、全身の力を振り絞って握り返す。

「隊長と私じゃ、住む世界が全然違うことも、わかっています。釣り合わないのも、わかっています。まだ、隊長の隣に立てるほど強い死神じゃないことも。でも、それでも――」

弱い自分が嫌いで、どうせそんな自分と釣り合わないからと、認めないようにしていた。欠けることのない満月のような彼が、自分のような中途半端な存在によって陰ってしまうのが嫌だった。

だとすれば、私は。月に並ぼうだなんて、そんな大それたことは思わない。せめて月が照らすに相応しい存在になろう。彼の隣に、あり続けられるように。

「彩蓮、もう一度、問おう。」

隊長は、私の言葉を遮る様に言う。隊長の目が、優し気に細められた。

「今でもお前は、私との関係が、ずっとこのままで良いと思っているのか?」

ずっと、このまま。上官と部下の関係で良いのか。彼はきっと、私にそう問いたいのだろう。私は、ふっと悪戯に笑う。

「私は、ずっと、このままがいいです。」

目の前の彼の目が、大きく開かれる。会話の流れからして、男女の関係になりたいという返事を貰えると思っていたのだろう。彼は思わぬ返事に面食らったかのような表情を見せた。不意打ちのキスの仕返しぐらいはできただろう。私はそんな彼の様子に満足し、数秒の後に言葉を重ねた。

「ずっと……ずっと、このまま……隊長の傍にいたいです。私、隊長のことが、大好きです。」

四番隊の救護班が、到着したのだろう。こちらに近付く喧騒の中、隊長と私は無言で視線を交わし、二人だけの秘密を分け合うように繋いだ手の指を絡め合った。



(執筆)20200620
(公開)20200628