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どれくらい、時間が経っただろうか。私は幾度となく迫りくる痛みと恐怖と戦いながら、先ほどの軽率な行いを悔いていた。

剣を振るえど、その刃は巨大な鎌で相殺される。一太刀を振り終えた傍から、多方面から容赦なく鎌が振り下ろされる。四方八方を巨大虚に囲まれた私は、彼らの攻撃を躱すことで精一杯だった。

「こんなの、卑怯だ……!」

小さい死神一人に対して、巨大虚が五体。いくらなんでも理不尽すぎる。勝ち筋が全く見えない。私は体に痛ましい傷をいくつも作りながら、何とか致命傷となる攻撃は防いでいる。

こんな時に、始解ができれば。朽木隊長のように、多方面に渡る斬撃が可能だったら。阿散井副隊長のように、伸縮自在な刀を使用した遠距離攻撃が可能だったら。斬魄刀の解放もできない私は、刀一本で大量の虚の相手をしなければならない。いくら剣術を極めたところで、一太刀につき一匹の虚を斬ることしかできない。私は己の無力さを思い知らされ、唇を強く噛み締める。

こんな非常事態でも、斬魄刀が私に力を貸してくれる気配は全くなかった。私は、ここで死ぬのだろうか。斬魄刀の名を知ることもできず、婆様の意思を継ぐこともできず。私のしてきたことは、結局意味がなかった。極めた剣術が無駄になることはないと、我が隊の隊長は言っていた。全然、そんなことない。全て無駄じゃないか。――朽木隊長の、嘘つき。

こんな死に際になって、私の頭の中に思い浮かぶのは、隊長の姿だった。

闘いの最中に余計なことを考えるなと言わんばかりに、群れの中で一番大きな虚の爪が私の腹に僅かに触れる。咄嗟の判断で身を翻し、距離を取る。痛みを感じる腹に手を遣ると、そこにはべったりと血が付着していた。

くらり、眩暈を感じる。しまった、毒だ。銀九席は肩を抉り取られるようにして傷を受けていたが、私の傷はまだだいぶ浅いらしい。重い眩暈程度で済まされているのは、不幸中の幸いか。それでも視界が霞み、呼吸が乱れる。今の自分は、息を吸っているのか、吐いているのかすらわからない。意識が、飛びそうになる。あ、これ、思ったよりも、ヤバいかもしれない。

「朽木、隊長……」

朦朧とした意識の中で。私の口から、ほぼ無意識に零れる彼の名前。最初は怖くて、でもいつの間にかその姿に憧れていて。この人の下で働くことができて良かったと、そう思うようになっていて。私はいつだって、その背中を目で追っていた。住む世界が違うと思っていた彼の存在が、いつの間にか近くにあった。途中で幾度となく彼に対する心境の変化はあれど、私は彼の存在を常に意識して、この一年を過ごしてきた。

時には、憧れの上官として。
時には、趣味の合う仲間として。
時には、相談相手として。

時には、異性として。

「まだ……」

ごほ、と咳込む。塞いだ口からは、鮮血が溢れ出た。それでも、私はまだ、生きなければいけない。

こんな時、隊長だったら。私は彼との会話を逡巡する。数多の戦場で刃を交えてきた隊長だったら、どういう判断をするだろうか。私は斬魄刀の切先を左腕に添え、歯を食いしばる。それでも、歯がかたかたと震えているのがわかる。私は大きく息を吸い込み、その刃を一思いに振り下ろした。自分の肉を切る感覚と、眠気にも勝る確かな痛覚が同時に襲う。

「ぐっ……あ、あぁっ……!」

やだ、痛い、痛い、死ぬほど痛い。たすけて、いやだ。でも、死ぬのは、もっと嫌だ。その場にのた打ち回りたくなる激痛に耐え、私は自ら傷付けた左腕の傷口を手で塞ぐ。気休め程度の回道を使用し、傷口の広がりと出血を抑える。勿論、痛覚はそのままで。眠気覚ましには、かえって都合が良い。私は瞬時に噴き出した汗を拭い取り、目の前の巨大虚たちを睨みつける。私にはまだ、死ねない理由があるから。

「わたし、は――朽木隊長に、まだ言えていない言葉が、あるんです。」

――私との関係も、ずっとこのままが良いと。お前はそう思っているのか。

いつかの彼の言葉が、思い出される。ずっと、このまま。心のどこかで、とっくの昔に、答えは出ていたというのに。

良くないですよ、隊長。私がこのままじゃ、弱いままじゃ、言いたいことも言えないんです。だからまだ、死ぬわけには、いかない。私は死にたくない。強くならないといけないんだ。何のためかって、それは、私が隊長の隣に立ち続けるため。それは、隊長に釣り合う女性になりたいという、身勝手な自分のため。そんなエゴのためだけに、私は強くなりたい。

……斬魄刀の名前?私の声に応えてくれないポンコツのことなんて、知るもんか。貴方がいなくたって、私は生き延びてやるんだ。でも、それでも。私の声が聞こえるなら、力を貸して欲しい。私はなんとしてでも、生きて隊長に会いたいんだ。

左手は、使えない。私は右手で斬魄刀をぎゅっと握り直す。これまでの戦いを見ていた感じだと、私の腹を裂いたあの一番でかい巨大虚が親玉だろう。あの親玉を中心として、他の四匹が動いているように見える。銀九席が毒で倒れた時に受けた一撃も、私が毒を受けた一撃も、その親玉のものだった。他の虚の攻撃では毒が回らなかったことを考えると、厄介なのは親玉の攻撃だけだろう。だとすれば、まずはアイツを片付ける。私は指先に素早く霊圧を巡らせる。

「縛道の三十、嘴突三閃!」

親玉の巨大虚に向かって、縛道を放つ。まずは、一匹。的確に足止めをして、一匹ずつ相手をしよう。大丈夫、私ならできる。

私の予想通り、親玉の動きを封じられた取り巻き四匹たちは、司令塔を失い動揺しているように見えた。こいつらに理性とか、考える脳みそなんてないはずだ。動揺のように見えているが、恐らく彼らに刷り込まれた本能によるものだろう。逆に、御しやすい。瞬歩を使い、四匹の隙間を縫うようにして親玉に向かって刃を振り下ろす。

取った、そう思ったのと、目の前の虚が私の縛道を解いたのは、ほぼ同時だった。受け止められた私の刃は、弾き返される。がら空きになった腹に、虚の一撃がのめり込む。そのまま後方に吹き飛ばされ、建物の壁に全身を打ち付ける。

ぐったりとして動かない私を、五つの白い顔が覗き込む。いよいよ、終わりだろうか。否、終わる訳にはいかないと、私はさっき、誓ったはずだ。他でもない、私自身に。

「まだ、死ねないんだ……」

瓦礫の山から這い出る。腹の底から、煮えくり返るような感情。これは、怒りだろうか。

「まだ、朽木隊長に、好きって、言えてないのに……!」

自分でも驚くほど、腹の底からおぞましいほど低い声が出る。強く想う相手に対する告白とは、到底思えないようなおぞましい声色。その言葉は、生きたいという言葉と同義の意味を孕んでいる。

途端、周囲を包む音が消えたような気がした。目の前の虚も、瓦礫の山も、自分の体の一部である掌さえも。薄い膜を一枚隔てた場所にあるような、そんな感覚だった。

――貴方にも漸く、大切に想い合える人ができたのね。

「だ、れ……?」

心の中から、声が聞こえる。誰、と問いかけておきながら、私はこの声の主を知っていた。

――貴方は、私を良く知っているはずですよ。

――私の名前は――

斬魄刀は、自らの名を、私の意識に語り掛ける。私は刀を構え、唾を飲み込む。

「――五行抑制せよ、相剋桔梗」

誘われる様に、解号を唱える。その声は、自分でもわかる程には震えていた。
解号の言葉を唱えると、頭の中に何者かの記憶が流れ込んだ。同時に、私は全てを知った。涙が、止まらなかった。

逆様桔梗の声を、初めて聞いた瞬間。それはとても、聞き覚えのある声だった。かつて、毎日のように耳にしていた声。何よりも大好きで、大切で、私にきっかけを与えてくれた人。

紛れもなく、婆様の――彩蓮志貴の声だった。



(執筆)20200620
(公開)20200628