スロー・フロー・スタート | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

一年前。此処、現世にて藍染惣右介による侵攻があったことは、記憶に新しい。当時の私は真央霊術院の生徒であったためその戦に関与することはなかったが、世界の存続に関わるその闘いを、固唾を飲み込み見守っていた。現在の空座町には決戦の傷跡は見当たらず、長閑な街並みがどこまでも続いている。この街の元死神代行であり、空座町を護った黒崎一護という少年は、もう死神の力を失っているらしい。よって、空座町の駐在任務は車谷善之助という死神に一任されている。

そんな空座町の隣に位置する、鳴木市の外れ。任務の朝、私は銀九席と牧城さんという先輩隊士が率いる新米隊士五名の小部隊で現世に降り立った。今日の主な任務は、魂魄の魂葬と虚退治。虚もそうおいそれと出現する訳ではないため、こればかりは運とタイミングの問題だ。虚が出現した際は伝令神機で報せが来るため、それまでは魂葬の任務を淡々と熟すことになる。

魂葬も、大切な任務の一環だ。私たちは二手に分かれ、鳴木市内に散らばった。私は銀九席と一緒だったため、同じチームに女性がいることに少し安心した。

「彩蓮さんは、虚退治の任務はこれまでに経験あるの?」

「はい、一応……三回ほど、ですが。」

三回しかない、というニュアンスで言ったつもりが、銀九席は三回もあるのか、という反応。
私が担当した虚退治の任務は、いずれも先輩隊士の補佐としての参加だった。背中を見て学べ、とのことだった。実際に虚と刃を交えたことはあったが、通常の虚であれば斬魄刀の解放をするまでもなく倒すことが可能だ。簡単とは言えど、己の命を懸けて挑むべき任務。新米隊士に虚退治の仕事が回ってくる機会は、そう多くない。そう考えると、補佐とは言え三回も任務に就かせて貰えたのはラッキーだったのかもしれない。

「銀九席が斬魄刀の始解を取得されたのは、いつ頃だったのですか?」

長閑な昼下がり。虚の出現もなく、私たちは魂葬任務を着々と遂行していた。丁度小腹が空いたため、こうして屋根の上で銀九席と肩を並べておにぎりを食べている。下の公園では、昼食を食べ終えた同じチームの新米隊士三人が剣の稽古に精を出していた。
私が投げかけた質問に、銀九席は顎に手を当てて考える。遠い昔の記憶を、呼び起こしているのだろう。

「十年ぐらい前、だったかな。」

「そんなに前から……凄い、です。」

私の凄い、という言葉に、銀九席は苦笑する。私は何か変なことを言ってしまったかと、少しだけ後悔した。

「……私はね、父親が副隊長だったのよ、六番隊の。」

「え、それは、初耳です。」

「うん。阿散井副隊長の前の副隊長が、私の父親でね。」

阿散井副隊長が六番隊の副隊長になったのは、二年ほど前と聞いている。丁度、旅禍の事件が起きた少し前だっただろうか。

阿散井副隊長が後任ということは、銀元副隊長は、何かしらの理由でその座を退いたことになる。もしかしたら、戦死ということもある。私は気軽に理由を訊くこともできず、会話を続ける言葉を必死で模索する。そんな私の反応を見て察したのか、銀九席は朗らかに笑った。

「違う違う、そんな重い感じのことじゃないのよ。ただ、うちの家、眼鏡屋をしていてね。」

「め、めがね?」

「うん。そっちが軌道に乗っちゃったから、家業に専念するって。それで、副隊長辞めたの。」

「成程……。」

想像だにしていなかった軽い離隊理由を聞いて、私はほっと胸を撫で下ろす。聞けば、銀九席の父親は阿散井副隊長を後釜として可愛がっているらしく、個人的な付き合いもあるようだ。稀に隊長にド派手な眼鏡を贈っては、いらぬと送り返されたりもしているらしい。色々な事情で隊を離れた者の中にも、未だに隊との交流を持っている者もいるという事実に、温かい気持ちになる。……婆様は、そうはならなかったようだけれど。

銀九席は、昔に想いを馳せるように遠くに目を遣る。彼女は遠くを見たまま、穏やかに過去の話をする。

「私は副隊長の子供だからって、凄く期待されてね。確かに父親は才能もあって優秀な死神だったから、私もその期待に応えようと頑張った。でも、それだけじゃ駄目だった。」

「駄目だった……?」

「うん。無席時代の私はね、何のために、誰のために強くなりたいのか、きちんと考えたことがなかったんだと思う。あの頃の私は、とりあえず父親みたいになれば良いんだろうなって思っていて、自分の力と向き合うこともせず、彼の真似ばっかりしてた。それが駄目だったんだろうなって、今では思うのよ。」

過去の銀九席の姿が、私の姿に少しだけ重なる。彼女の言葉は、数か月前に朽木隊長の口から聞いた言葉にも似ている。婆様の背中を追い求め、彼女みたいになろうと、必死に手を伸ばす。きっとこのままでは、駄目なのだろう。

「銀九席――」

何か、大切なことに気付こうとしていた、その時だった。死覇装の懐に入れたままの伝令神機が、けたたましい警報音を上げた。この音は、確認するまでもない。虚の出現を知らせる警報である。

銀九席は、伝令神機の画面を確認する。一際大きく点滅する点は、私がこれまでの三回の虚討伐任務で見た物とは異なっていた。禍々しい大きな赤いその点は、今まさに、私たちの上空を示している。

私たち死神の体の二十倍ほど、だろうか。巨大虚が、一、二、……五体。真昼の太陽を遮るような大きな体に、そこら辺一帯に陰が落ちる。私たちを見据えた巨大虚のうちの一匹が、大きな鎌のような爪を振り上げた。咄嗟のことに反応が出来なかった私は、ぎゅっと目を瞑る。

キィン、と刃が交わる音がする。銀九席の斬魄刀が、振り下ろされた大きな鎌を受け止めた。私はその場にへたり込む。もし、彼女が咄嗟の判断で私をかばっていなければ、私は今頃あの爪に引き裂かれていただろう。剣術でいくら腕を磨こうと、それを実践で生かすには、場数を踏んで恐怖に打ち勝つ術を身につけるしかない。私は戦場において命を散らすことはとても容易いことなのだと、強く思い知らされる。己の足ががくがくと震えるのを堪え、力を入れて立ち上がった。

「……私が様子見で相手をします。貴方たちは、ひとまず下がっていて!」

「し、しかし――」

「彩蓮さん!牧城くんの部隊に、連絡をお願い!」

「はい、承知しました!」

私は彼女の声ではっとする。銀九席はこんな状況でも落ち着いていた。私は震える手で伝令神機を取り出し、今も鳴木市内のどこかにいるはずの牧城さん率いる部隊に連絡を取る。震える声でこちらの状況を伝えると、彼らの伝令神機でも反応が確認できていたらしい。応援に駆け付けると言う彼らだったが、正直、席官でもない死神が集まっても意味があるのだろうか。銀九席でも、このレベルの巨大虚を五匹相手にするのは危ないかもしれない。下がっていて、とは言われても。私は未だに名も知らぬままの斬魄刀に手を掛け、彼女の指示を待つ。

銀九席は斬魄刀を構え、もう片方の手で自分の伝令神機を操作する。この場にいる全員の力を以てしても太刀打ちできないと判断し、応援要請を出すのだろう。

「こちら六番隊九席、銀美羽!尸魂界へ救援要請!現世定点は――」

「銀さん!」

私は、名前を呼ぶことしかできなかった。咄嗟に踏み込んだ一歩は、銀九席の真横に位置する巨大虚が振り下ろした爪の衝撃でかき消される。そのまま後方十メートルに吹き飛ばされた私は、慌てて体勢を立て直す。そこには、肩に傷を負った彼女の姿があった。あの爪に、やられたのだろう。銀九席は、浅い呼吸を繰り返す。

「逃げ、なさい……」

「え、」

「奴の爪には、睡眠性の、毒、が……」

彼女は掠れた声でそう言うと、その場に倒れ伏す。攻撃を受けた傷から、毒が回っているのだろう。銀九席には最早、肩口を押さえたまま迫りくる虚たちを睨み返す力すら残されていない。その意識は、朦朧としているように見える。

睡眠性の毒を放つ虚なんて、聞いたことがない。九席という実力を持った彼女でさえ、その毒には抗えないらしい。攻撃を受けたら、ほぼ戦闘不能ということじゃないか。それでも何かの対抗策を考えるよりも先に、私の体が動いた。瞬歩を使い、抗えない睡魔に襲われた銀九席を取り囲む五体の巨大虚の間をすり抜け、彼女の横たわった体を攫う。私は公園の階段下で体を震え上がらせて待機する隊士たちの元に駆け寄り、銀九席の体を預けた。

「銀九席を連れて、安全なところに避難してください!」

「彩蓮さんは……」

「応援要請は出しました。助けが来るまでは、私が時間を稼ぎます。」

斬魄刀の名前すらわからない私のことだ。どこまでの時間稼ぎが有効かはわからない。それでも、なんとか持ちこたえるしかないだろう。大丈夫だ、私には、瞬歩がある。鬼道も、剣術もある。斬魄刀の名前などわからなくても、この状況を何とか乗り越えることはできるはずだ。隊士たちは銀九席の体を担ぎ、商店街の方向に消えていった。私はその背中を見届ける。

「破道の三十一、赤火砲!」

彼らを追おうとする巨大虚の群れに向かい、私は鬼道を打ち込む。のそり、と向きを変えた五匹は、焦点が合っているのかすらわからないその真っ黒い目で、私の姿を捕らえる。

「君たちの相手は、私が引き受けさせてもらいます!」

私は震える足を踏み締め、目の前の敵の群れに飛び込んだ。



(執筆)20200620
(公開)20200628