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花の咲かなくなった庭の花壇に、桔梗の種を撒く。久しぶりの土いじりは、意外と楽しく感じた。それもきっと、婆様と一緒にしているからなのだろう。体の悪い婆様に作業をさせる訳にもいかないので、実際の作業は私一人だけれども。それでも久しぶりの婆様との庭造りは、童心に還ったような気分にさせられる。

婆様に会うたびに、彼女の顔を刻む皺が増えているように感じる。昨年の暮れに浮竹隊長が言っていた「別人のようだ」という言葉が脳裏をちらついたが、私はブンブンと頭を振ってその考えを遠ざけた。彼の言葉を聞いたとき、私は婆様のことを、何か得体の知れないもののように感じてしまった。婆様は婆様だ。彼女と共に生きて、一番傍に居て、支え合ってきたのは私なのだから。その唯一の家族である私がそんなことを思ってはいけない。

「最近ずっと来てもらっちゃって、申し訳ないねぇ。」

「ううん、私が婆様に会いたいから来てるんだよ。」

スコップで土を掘り返す私の背後から、婆様の声がかかる。いつ、会えなくなるかわからないから。そんな言葉を押し込めて、私は会話を繋げた。

婆様も、もう先は長くない。それを悟ってからというもの、私は一週間に一回は婆様の家に来るようになった。私が今婆様にできることはそれぐらいだし、何よりも自分のためでもある。私が今まで生きてきた時間の中には、ずっと婆様がいた。彼女のいない世界のことなんて、考えたくもない。それでも受け入れなければいけない残酷な現実は、刻一刻と迫ってきている。それこそ、一秒後には彼女の魂はこの世に存在しないものになっているかもしれない。

だから私は、彼女の大好きな花の種を撒く。この瞬間、婆様と共に生み出した生命が、これから先も生き続けることを祈って。

「早くて今年の六月頃、かな?」

私は種を撒き終え、手に付いた土をパンパンと払う。花壇の隣に備え付けられた水道で手を洗うと、水の冷たさにキンとなる程手の神経が痛んだ。今はまだ、年も明けて間もない真冬だ。これから暦を半周して、やっと彼女の大好きな桔梗の花が開花する。せめてそれまでは彼女に生きていて欲しいと、心の中だけで思う。

婆様は満足げに、今はまだ空っぽの花壇を眺めている。実は桔梗以外にも、様々な花の種を撒いている。きっと春頃には、色とりどりの花が咲き乱れる庭を見ることが出来る。花が大好きな婆様は、庭をいじれなかったこの一年、きっともどかしい思いをしてきたのだろう。春を想い、心をときめかせているように見えた。

「婆様は三席時代、桔梗の花を六番隊の隊舎に飾ってたって話を聞いたよ。」

「そんなこともあったわねぇ。誰に聞いたの?」

「……朽木隊長だよ。」

おやまあ、と婆様の表情がひとりでに色めく。恋バナを聞く少女のような顔である。婆様は私が隊長の話を出すたびにこの表情をするので、少しやりにくい。

「朽木くんとは、最近どうなの?」

「どうって……どうもしないよ。」

そう言っておきながらついつい婆様から目を逸らしてしまったのは、気恥ずかしかったからだろうか。私が隊長のことを異性として意識してしまっているのは、もう誤魔化し切れない事実だった。あれだけストレートに好意を伝えられて、心を動かされない方がどうかしている。

あの、初雪の日。私は結局、隊長に差し伸べられた手を取ることが出来なかった。隊長の隣に立つ自分を、私自身が許せないと感じたから。今のままではまだ、彼の手を取ることはできない。私はどうしても、自分の本能に従って恋愛に身を投じることができない女らしい。この世界で生きてきて五十年弱、漸く自分の面倒臭さと必要以上の自制心の強さに気付いたという訳だ。

私の選択を見届けた隊長は、「気長に待つ」と言ってくれた。……恐らく、もう一押しで私が落ちそうなところまで来ている、ということは読まれていたのだろう。告白を断られたにも関わらず、彼が余裕そうな表情をしていたのがたまらなく悔しい。

思い出しただけで、様々な感情が押し寄せる。私はコホンと咳払いして、話題を変えようとした。

「……そう言えば明日、現世に行くんだ。」

「あら。任務かしら?」

「うん。久しぶりの現世任務なの!」

新米隊士のうちは、現世に出向いて虚の退治をする機会は少ない。明日の任務は、先輩隊士二名に新米隊士五名がチームとなって一日現世に出向き、その日に出没した虚を退治するというものだ。一か月使って毎日交代で新米隊士を現世に送るという任務内容を見る限り、恐らく上官が隊士の実力を測ると言う意味での任務でもあるのだろう。表立って言われた訳ではないが、新米隊士の中ではそのように囁かれていた。確かにこれは、自分の力を見せるまたとないチャンスだろう。そう解釈しているのは、私も例外ではない。彼らの中には、席官入りを目論む者もいるという。

実際のところ、新米隊士の席官入りなど滅多にないケースだ。タイミングや隊の風潮が味方したというのもあるかもしれないが、たまちゃんの卒業後即席官入りは近年稀にみる功績だと言えるだろう。例え席官相当の実力があっても、新人のうちは無席のポジションで業務に慣れた上で、数年後に昇進というのが普通である。
私は今すぐ席官入りとまでは行かずとも、隊長に強くなったと認めてもらいたかった。この一年、さらに血の滲むような努力を続けてきたのだ。剣術の演習とはまた違う、実業務ベースでの実力を示し、隊長のお眼鏡に叶うような成果を出したい。

「あまり、無理はしないでね。」

「大丈夫だよ。私、結構楽しみなんだ!」

「京葭――」

心配そうな表情の婆様の目の前に、ブイサインを作って突き出す。己の力を存分に振るうことのできる、数少ない機会である。そんな自信満々な様子の私を見た婆様は、何かを言いかけたところで小さくくしゃみをした。

冬のため、日が落ちるのも早い。周囲はいつの間にか暗くなっていた。吹きさらしの屋外に長い時間身を置いていたため、体が冷え切ってしまった。私はともかく、婆様の体には猛毒だろう。

「そろそろ、お暇しようかな。」

明日の任務の準備もある。丸一日動き回ることになるため、出来れば少しでも長く睡眠をとっておきたい。今から帰って、お風呂に入って、ご飯を食べて、上手く行けば九時には寝ることができそうだ。

私は婆様を家の中まで送り、ついでに囲炉裏で少しだけ温まった。これから寮まで歩いて帰らなければならない。寒空に晒されることとなる我が身を案じるともう少し温まっていたい気もするが、今日に限ってはあまり時間に余裕がない。私は名残惜しい気持ちに蓋をして、座敷を立った。

家の玄関まで来たところで、婆様がふと歩みを止める。

「京葭。」

「なあに?」

婆様の小さなしわしわの手が、私の頬に伸びる。彼女は慈しむ様に私の頬を撫でて、優しく微笑んだ。

「気を付けて、いってらっしゃい。」

「……うん。いってきます!」

お土産、楽しみにしててね。そう言って私は、夜の寒空の下に飛び込んだ。数十秒程道を行き曲がり角に差し掛かる。何ともなしに家の方を振り返ると、豆粒みたいに小さい婆様が、まだ家の前で私を見送っているのが見えた。



(執筆)20200603
(公開)20200627