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もう既に黒く染まり切った空を、分厚い雲が覆っている。今日は雨だろうか。困ったな、傘持ってきてないや。私はぼーっとそんなことを考えながら、窓の外を眺めていた。店内の喧騒もどこか遠く、意識は既にここにはない。私の頭はずっと、二つの考え事と迫りくる眠気の間をぐるぐるしていた。

一つ目は、自分の斬魄刀のこと。あと数日で年も明けるというのに、斬魄刀の名前に関してはほとんど進捗がない。剣術に関しては元々自信はあったが、さらに磨きをかけるために短い期間内でも鍛錬を重ねた。自身が得意とする突き技を極める鍛錬も積んだ。それでも斬魄刀は、私に声を聴かせてはくれなかった。正直、これ以上何をすれば良いのかわからず途方に暮れている。

二つ目は、朽木隊長のこと。彼は私に気持ちを伝え、心に余裕が出来たら自分との今後のことを考えてくれと言った。それ以来彼と会話はしていない。落ち着いたら、と言われても。想いを告げられてしまった以上、嫌でも考えてしまうのが人というもの。仕事をしていると嫌でも視界に入ってしまう隊長は、驚くほどいつも通りで常に堂々としている。隊長がしがない平隊員の彩蓮京葭に好意を寄せており、ましてや告白まで済ませているということは、皆想像だにしていないだろう。
地位も立場も、全て考えないものとして。私は、隊長のことを好きなのだろうか。少なくとも、付き合ってくれと言われたらとりあえず付き合ってみることはするだろう。それでもやはり、彼の立場を完全に度外視してその点について深く考えることはできなかった。だってそれこそが、私が一番気にしていて、コンプレックスを感じている部分だから。

私はこっそりため息をつく。納会の真っ最中の店内は誰のものかもわからない奇声歓声で埋め尽くされていて、私のため息を拾う人もいない。
私が窓の外から視線を店内に戻すと、向かいの席の阿散井副隊長と目が合った。

「おう彩蓮、飲んでるか〜?」

「あっ、飲んでます飲んでます!」

「それ烏龍茶じゃねーのか?」

「これ、ウーロンハイなんですよ〜。あ、おかわり持ってこようかな……。」

本日何度目かのどうでもいい嘘を吐く。私は烏龍茶のグラスを持って立ち上がり、その場を後にする。間違っても酒だけは入れてはいけない。私は酒を飲むとろくでもない酔い方をしてしまうから。以前その件で、隊長にも迷惑をかてしまった。

噂に聞いていた通り、護廷十三隊の納会は自分史上最大規模の飲み会だった。真王区の一画の飲み屋数十店舗を貸し切っており、参加している死神の数は千人を超えているとか。そんな中での飲み会である。話したい人と話せるか、会いたい人と会えるかは完全に運だろう。現に私は、今日の納会でたまちゃんや松本副隊長を見かけていない。

私は烏龍茶のグラスを手に持ったまま、店の外に出る。貸し切っている一画の中であれば、どの店で注文した品でも持ち出しが可能らしい。私はとりあえず、落ち着いて話が出来そうな六番隊のメンバーがいる店を探そうとした。理吉さんとか、先週まで同じ班だった隊士の人たちとであれば、平和な時を過ごすことができそうだ。たまちゃんの傍に行きたいのはやまやまだったが、恐らく十番隊のメンバーで固まっているだろう。そこに飛び込んでいける程勇者ではない。

「彩蓮京葭ちゃんって、君のことかな?」

後から声がかかる。耳馴染みのない声に振り向けば、隊長羽織の上から派手な着物を羽織った男と優し気な表情を浮かべた長い白髪の男が、飲み屋の外に併設された立ち飲み席からこっちこっちと手招きをしている。机代わりのドラム缶の上に置かれた日本酒の徳利の数を見る限り、相当な量の酒が入っていることに違いはない。

八番隊隊長京楽春水と、十三番隊隊長の浮竹十四郎。書類を届けた時に一言二言言葉を交わしたことはあるが、私的な会話をしたことはなかった。ましてや私は、ただの新米隊士。彼らに名前を覚えられるようなことをした記憶がない。
もしかして、隊長とのことが噂になっているのかもしれない。瞬時に想像力を働かせた私は、嫌な汗が背筋を伝っていくのを感じる。

隊長二人を前にして、私は一体何の話をすれば良いのだろうか。それでも私は、彼らが私を呼び留めた理由を確かめるためにも、彼らと話さないといけない。私はぎこちない笑顔を浮かべ、二人が囲むドラム缶の前まで歩み寄る。

「ああ、君が噂の!」

「あの……噂って、なんの噂ですか?」

恐る恐る尋ねる私とは対照的に、浮竹隊長は朗らかな笑顔を浮かべていた。京楽隊長は、お店の人を呼んでお猪口を一つ追加していた。私、飲みませんよ?

「元六番隊三席、志貴さんの“お子さん”って噂だよ。」

「あ、婆様の……そうです、一緒に生活していました。」

今まさに私を悩ませている婆様の名前を聞き、少しだけ胸が痛む。それでも、隊長と噂になっている訳ではなかったことに胸を撫で下ろす。
確か、京楽隊長と浮竹隊長は、何百年も前から隊長を務めていたはずだ。六番隊の三席ともなると、交流もあったのだろう。その彼女と同じ姓を持つ者が、彼女の斬魄刀を携えて六番隊に入隊したのだ。彼らからしてみれば、語りたい思い出もあるのだろう。

「志貴さん、ここ何十年かは瀞霊廷に顔を出さないなあと思っていたんだよ。そしたら彩蓮さんの噂を聞いてね。彼女、今は潤林安に住んでるんだね。」

「志貴さんは、本当に綺麗な方だったなぁ。京葭ちゃんも、面影あるよ。あと何年かしたら、さぞ別嬪さんになるんだろうねぇ。」

「そんな、私なんてまだまだです、血の繋がりもありませんし……。」

京楽隊長は、女性の扱いが上手いと聞いている。唐突に容姿を褒められ、照れ臭くなって思わず前髪をいじってごまかした。反応が若いなぁ、と浮竹隊長には子ども扱いされているようだった。……確かに、こちらで生きている年数は約五十年といったところ。彼らからすれば、十分子供なのだろう。

そんなことを考えている私を余所に、京楽隊長は少し首を傾げた。私の言葉に、何か失礼があっただろうか。

「婆様って、志貴さんはそんな年じゃないだろう。」

京楽隊長は自分の顎に手をやり、ひげを撫でながら言った。今度は、私が首を傾げる番だ。

「婆様は……齢百ほどの見た目です。もう、どこからどう見ても婆様ですよ。」

「百……?それはおかしい。」

「おかしい、とは?」

「七十年前の――三席を降りられた時の志貴さんは、とてもお若かった。三十といったところだろうか?」

成程、二人は容姿の老化のことを言っているのだろう。疑問に思うのも当然である。尸魂界で暮らす人々の容姿の老化は、平均して現世と比べると十分の一程である。霊力や死神としての能力が伸び盛りであれば容姿は成長するが、力が安定すると容姿も安定すると言われている。一方、婆様は霊力が安定した状態なのにも関わらず、見た目は千年以上生きている山本総隊長と変わらないぐらいだった。
婆様は自分の老化について、深く語ろうとしなかった。ただ、病気のせいだとだけ言っていた。個人差もあるということで、私はその件に関しては深く突っ込むことはしなかった。

「婆様は、病気持ちでして……容姿の老化も、そのせいだと聞きました。」

「志貴殿は、体が上手く動かなくなるご病気だと聞いていたが……容姿の老化に影響があるなんて、聞いたことないけどなぁ。」

浮竹隊長は、先ほどとは打って変わって神妙な表情を見せた。
私が、婆様の病気について知っていること。体が悪く、思うように戦えないということ。そして、そのせいで斬魄刀を始解することすらできなくなってしまったということ。容姿の老化が早まるということ。

私は懐から、一枚の写真を取り出す。数か月前に撮った、婆様の写真だ。最近はお守りのようにこの写真を持ち歩いている。底の見えない穴を、覗こうとしているような感覚。何か知ってはいけないことを知ってしまいそうで、とても恐ろしいけれど。私はその写真を、二人の前に差し出した。彼女の写真を見た二人は、驚きの表情を見せる。きっと、彼らの頭の中にいる彩蓮志貴の姿と大きくかけ離れているのだろう。私は思わず、二人から目を背けた。

「……一命を取り留めた、とは聞いていたけれど。容姿の老化も、その代償ってことなのかねぇ。」

しんみりと呟く京楽隊長。それから二言三言、婆様に関する神妙なやり取りを交わした。私の暗い表情を見た二人は私の気持ちを察したのか、さり気なく話題を変えてくれた。納会用の死神アンケートに誰を書いたかという話。男性死神協会の写真集の話。数年前の旅禍の事件の話。話題は瞬く間に移り変わっていく。

そんな話に相槌を打ちながらも、私は上の空だった。婆様の話題の中で、浮竹隊長が何気なしに言った言葉が、私の頭の中でずっとぐるぐると回っていた。

「まるで、別人みたいだ。」



(執筆)20200531
(公開)20200625