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朽木隊長とキスをしてしまった。普通に生きていて彼とキスする確率なんて、宝くじ一等当てる確率より低いんじゃないだろうか。こんなことに運を使うなら、宝くじを当てたかった。

「では問一!キスしたい男性死神は?」

「…… え、突然何なんですか?」

昼休み。隊舎の窓際でぼんやり弁当を食べながら物思いに耽っていた私に、後から声がかかる。後は壁のはずだけど……と思い振り向けば、がらりと開かれた窓から松本副隊長が現れた。私は思わず棘のある言葉で彼女を出迎えてしまった。

「アンケートよ、アンケート!ほら、今月末に納会があるじゃない?」

「あ、もしかして忘年会のですか?」

「そうそう、それの出し物よ!女性死神に訊く、〇〇な男性死神ランキング的な!盛り上がるのよ〜!」

「はは、このタイミングで何の嫌がらせかと思いましたよ。」

そう言えば、もうそんな季節か。あと一か月もしないうちに年を跨ぐ。現世で行われるような一年の区切りのどんちゃん騒ぎは護廷十三隊でも行われるらしく、その規模は一年で一番だとか。参加は任意ではあるが、五割以上の護廷十三隊の隊士が参加するらしい。流石に一か所に集まることは不可能なので、飲み屋街の区画の何十店舗かを貸し切って出入り自由にするだとか、そんな話を聞いたことがある。

おそらく、その飲み会の際に行われる出し物の一環だろう。男性死神協会の方でも同じようなアンケートを取っているらしく、今朝から六番隊の男性死神たちが付き合うなら雛森副隊長だとか妹にするなら雛森副隊長だとかビンタしてもらえるなら雛森副隊長だとか噂しているのを小耳にはさみながら、雛森副隊長の人気の凄さを実感していたところだった。

女性死神協会でも、それと同じことをしているらしい。松本副隊長はアンケート用紙と思しき紙の束を抱えている。私はそれを一枚抜き取り、ざっと目を通す。

「これ、全員に配るんですか?」

「そうなのよー。だからこれ、お願いね!六番隊の女の子たちに配っておいてほしくて!」

「わかりました、期限は今週一杯ですね。」

私は六番隊の女性の人数分の用紙を受け取る。父親にしたい男性死神は?弟にしたい男性死神は?付き合いたい男性死神は?結婚したい男性死神は?キスしたい男性死神は?抱きたい男性死神は?……この、抱きたいっていうのがよくわからないけれど。ぽつぽつと、セクハラになるんじゃないかと思えるような質問も見受けられる。空欄で提出も認められているらしいので、まともな質問以外は空欄で出してやろうと心に誓う。

「回答率はどれくらいなんですか?」

「まだ十番隊の女の子たちからしか集まってないけど、ちゃんと書いてくれる人が少なくて困ってるのよ〜。」

「そりゃそうですよ、書きづらい項目ばっかりじゃないですか!」

たとえ匿名だとしても、答えにくい質問が後半にちらほら見受けられる。これでは、無難な解答欄しか埋まらないだろう。

「付き合いたい死神一位は、十番隊の中だと修平に票が集まってたわねぇ。」

「ちょっとわかります。彼女のこと大切にしてくれそうですよね。」

「で、結婚したい死神一位は今のところダントツで朽木隊長ね。」

「え、なんで!?」

「お金あるから?」

「なんて現金な……。」

確かに、お金はあるかもしれないけど。もし隊長と結婚したら、四大貴族の妻としてやるべきことは恐らく今の倍以上になるだろう。最悪、死神を辞める決断を強いられるかもしれない。皆、金持ちと結婚できればそれは良いのだろうか。

「朽木隊長と結婚したらプレッシャー凄そうだし、自由な時間も心の余裕もなくなっちゃいそうですけどね……。庶民と貴族じゃ、見てきたものも背負うものも、次元が違いすぎますよ。」

「ふーん?」

「……なんですか、その顔。」

「そこまで具体的に考えてるの、たぶん京葭だけよ?」

しまった、乗せられた。恐らくこのアンケートを回答している女性死神たちは、私ほど隊長との結婚生活について考えて頭を悩ませるなんて経験をしていないだろう。私がなんとか言い訳をひねり出そうとしていると、松本副隊長は窓から身を乗り出して耳打ちする。

「で?」

「で、とは?」

「京葭がキスしたい男性死神は?」

「…………。」

松本副隊長は、目をキラキラさせている。ほらみろ、やっぱり嫌がらせじゃないか。このタイミングでこの質問を投げかけられた私は、考えるふりをして彼女から目を逸らす。

キス、と言えば。私はつい数日前、朽木隊長にキスされた。あまりにも突然だったため、その時は避けたり抵抗したりすることができなかった。私はあの日、彼の告白に対して予てより用意していた「釣り合わないから」という言葉を突き返した。正直なところ、その答えを返すことが正解なのか、自分の中でまだ答えが出せていなかった。それでもその時の私は、頭の中がパンクしてしまいそうな程考えるべきことが多く、余裕がなかったのだろう。私の答えは、隊長を怒らせてしまった。

思い返してみれば、彼にとって私の答えは逃げていると捉えられても仕方ない。でも、だからと言って、キスをして良い理由にはならない。私はその時の隊長を思い返すたびに、自分でもわかる程顔に血液が集まっていくのを感じる。あんなに強引な隊長を、私は見たことがなかった。引き寄せる力は抗えない程強く、その癖送られた口付けはとても優しくて。今でもその感覚は、私の唇に残っている。私は両手で顔を覆いたくなる衝動をなんとか堪える。ここでその態度を取れば、松本副隊長の思うつぼだろう。

私はこの話を、松本副隊長にもたまちゃんにもしていない。彼に告白めいたことを言われたことも、勿論キスをされたことも、誰にも話していない。私が平常心を保っていれば、バレる要素は皆無なのだ。

「……特に、思いつきませんね。」

「あらー?本当に?」

「いやほんと、私職場の人たちをそんな目で見たことないですし!?」

「えー?じゃあ、今京葭の席の前にいる人とかはー?」

「席のま……!?」

松本副隊長から目線を前に戻すと、そこには我が隊の隊長が無言で立っていた。あの事件以来隊長と顔を合わせていなかった私からすれば、数日ぶりに見る隊長のご尊顔である。私は机の上に置いたままのアンケート用紙を咄嗟に裏返した。

「松本乱菊。お前に客だ。」

「客?」

「松本ぉーーー!!!」

隊長の背後から出てきたのは、日番谷隊長だった。彼が滅茶滅茶怒っていることは一目見てわかる。

「朝からどこをほっつき歩いてるのかと思えば……やっと見つけたぞ。」

「あらやだ、見つかっちゃった。じゃ、よろしくね京葭!」

松本副隊長は私の肩をぽんと叩き、五番隊隊舎の方角へ消えていった。どうやら、朝から仕事そっちのけでアンケート用紙を配り歩いていたらしい。仕事で六番隊隊舎を訪れた日番谷隊長が、彼女の気配を察知して中に入ってきたのだろう。日番谷隊長は開け放たれたままの窓から、逃亡を図った松本副隊長を追いかけて出て行ってしまった。この組み合わせで何十年も一緒だなんてある意味凄いコンビだな、とつい感動してしまう。

「……。」

「…………。」

その場に取り残されてしまった隊長と私の間を、妙な空気が流れる。隊長に言いたいことは山ほどあるが、ここで数日前のキスのことを掘り下げるほど空気の読めない女ではない。一応昼休みということもあり閑散としているが、会話の内容を聞かれる可能性だってある。

隊長は一歩、私の方に歩み寄る。私は何をされるのかと咄嗟に身構えた。

「……もう、大丈夫か。」

「ええと……」

それは、何に対しての大丈夫なのだろうか。ここ数日大丈夫ではない案件が立て続けに起こりすぎている。

「志貴殿の件だ。」

心がずきんと痛む。ここ数日間悩みは尽きなかったが、婆様の容態に関しては、考えても変えようのない、向き合わなければならない現実だった。考えれば考えるほど、この件は自分の力ではどうしようもないことだと、痛いほど思い知らされるだけだった。

「大丈夫、ではないですけど……。なんとか、復活しました。」

たった一人の身内である彼女の死期が近いという事実を、完全に受け入れられた訳ではないけれど。それでも、逃れることができないというのなら、私がするべきことは決まっている。婆様が未練なく、己の一生に満足して旅立つことができるように、全力を尽くそうと思う。肝心の斬魄刀絡みについては、全く進展がないのがもどかしいところだけれど。

「……そうか。」

隊長はきっと緋真様以外にも、大切な人の死を何度も乗り越えてきているのだろう。彼の表情を見て、なんとなく悟る。

彼はその件について言及することもなく、くるりと向きを変え、私に背中を向けた。これ以上私と話すことは何もない、という意思表示だろうか。キスの件について言及されずに助かった、と思ったのも束の間。隊長は背中越しに、私にしか聞き取れない程の小さな声で呟く。

「落ち着いた頃に、もう一度考えてほしい。」

「……え?」

「確かに私とお前では、見てきたものも、背負うものも、違うかもしれない。」

一瞬何の話題かわからずに反応できなかったが、隊長のその一言で、彼の言わんとしていることを察する。

それは先ほど、私が松本副隊長に言った言葉だった。どうやら会話の内容を聞かれていたらしい。一体、どこから?結婚の話は聞かれていたらしいので、恐らくキスのくだりでの下手なしらばっくれ方も見られていたのだろう。私は顔が熱くなるのを感じる。

隊長も私も、暫しの間沈黙していた。隊長の表情は見えないが、言葉を選んでいるようだった。
考えるとは何を、と訊くまでもない。先日の告白のことを指しているのだろう。もう一度、と言われても。私は何か月もかけてこの答えを出したつもりだった。今の状況で考え直しても、私は恐らく、同じ答えに辿り着いてしまうだろう。

「私を、一人の男として見ることができないのか。それとも……」

隊長が、僅かに顔をこちらに向ける。その目は全てを見透かしているように見えて、私にはそれが、酷く恐ろしく感じた。

「私を異性として認識している上で、身分を理由に拒否しているのか。それを、聞かせて欲しい。」

隊長はそれだけ言い残し、その場を去っていった。解決すべき無理難題をさらりと増やされた私は、頭を抱えて困惑する。何のために強くなりたいのかも、斬魄刀のことも、隊長のことも。全てが中途半端で考えがまとまらず、答えを出せていないというのに。私の一つしかない脳みそはパンク寸前だった。

隊長にそもそも好意がなくて付き合えないのか、隊長のことが好きだけど付き合うことができないのか。それを考えろと、隊長は言った。
彼は私に、沢山の気付きを与えてくれるけれど。最近の隊長は、対価を払えと言わんばかりに難しい質問ばかり投げかけてくる。

「身勝手さ、かぁ……。」

隊長が唯一残してくれたヒントを独り言つ。きっと大切なことなんだろうけれど、イマイチピンとこない。と言うか、付き合っていない女性に勝手にキスするのは、身勝手過ぎるのではないだろうか。

そんなこんなで、結局その日の私は一日中隊長のことを考えて過ごした。



(執筆)20200527
(公開)20200625