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私の隣を歩く彩蓮は、先ほどと比べれば落ち着いた様子だった。

一時間前、道端にうずくまる彩蓮の姿を目にした時は動揺のあまり考えるより先に彼女の名前を呼んでいた。話を聞けば、どうやら志貴殿のことのようだった。体調が良くない、とは言っていたが、死と隣り合わせの状態であろうことは彼女の様子を見れば明らかだった。きっと、どうしようもない悲しみを振り払わんとすべく、この場所まで走ってきたのだろう。彼女の着物は汚れ、足も怪我をしているようだった。

六番隊隊舎の屋根から降り、足を怪我した彼女を労わる様に歩調を合わせる。隣の彼女は、ほぼ確実に私の気持ちに気付いている。それを知った上で、私がこうして隣を歩くことを許している。

精神的に弱っている想い人の心の隙間に付け込もうなどと、考えていた訳ではない。断じて、そのような姑息なことを考える男ではない。断じて。……しかし結果的に、一か月前から言葉を交わすことすらままならなかった関係が一時的にでも修復されている。その事実は、喜ばしいことだった。

「前から、薄々勘付いてはいたんです。」

そのような私の心の内を知らない彩蓮は、消え入りそうな声でぽつぽつと志貴殿の話をする。彼女の声に耳を傾けながら、私は失礼にも、この時間を手放したくないと感じてしまった。

「婆様は、現世で言えば齢百程の見た目なんです。」

「現世で百、か……。」

ふと、彩蓮の言葉に違和感を覚える。私が記憶している志貴殿は、齢五十程の初老の女性だった。会った回数はそれ程多い訳ではないが、最後に顔を合わせたのは、今から五十年程前の瀞霊廷内の書道展だった。それ以来、彼女は体調を崩したとのことで、公の場所に顔を出すことはなくなってしまった。

直感的な薄気味悪さを感じる。今彼女が話している彩蓮志貴の容姿と、かつて私と交流のあった彩蓮志希の容姿には、明らかなずれが発生している。

尸魂界での見た目の老化の速度は、現世の十倍近く遅い。この五十年間で、そこまで見た目が老化するだろうか。霊力が伸び盛りの子供ならまだしも、霊圧も安定したはずの成人女性である。

しかし、彩蓮はその点に関して特に疑問を感じているように思えなかった。以前の彩蓮の話によれば、彼女が志貴殿と共に暮らすようになったのは、私が志貴殿と最後に会った頃――今から五十年程前と言っていた。幼い頃から共に育った女性だ。容姿の老化には個人差があるものなのだと、そう思っているだけかもしれないが。

疑問に思ったところで、この話を彩蓮にしても何も生まれないだろう。容姿の老化は、恐らく志貴殿の病状に関係しているのだろう。この状態で容姿に関する話を掘り下げることも悪いと感じた私は、本能で感じた違和感を胸の内に押し留める。

思案する私を余所に、彩蓮は自分のすべきことについて結論を出したようだった。

「だから私は、一刻も早く斬魄刀の声を聞けるようにならないといけないんです。」

婆様のために、と彩蓮は付け足す。

――彩蓮、それが駄目なのだと、何故わからぬ。

彼女が刃を振り下ろすのは、誰のためなのか。彼女にとっては、志貴殿のためだった。それがいけないこととは言わないが、彼女には最も根本的なものが欠けている。彼女は一瞬でも、自分の意志のために斬魄刀と向き合ったことはあったのだろうか。彼女が強くなりたいと願う気持ちの根底には、常に彩蓮志貴の存在があった。彼女は彩蓮志貴という枷に囚われ、自分が死神として生きる上で、本当に手に入れたいものがわからなくなっている。

こればかりは、私が言葉で教えたところで無意味だろう。彼女の心構えを根底から変えるには、彼女自身で気付くしかない。

「……彩蓮。お前は、何のために強くなる?」

「何のためって、それは……」

「斬魄刀の名を知りたいのであれば、よく考えることだ。」

私にできることは、彼女の背中を押し、誘導してやることだ。私の問いかけに対し、彩蓮は考え込んでしまったようだった。彼女と私の間に、暫しの沈黙が続く。思案する彩蓮の表情を横目で見遣ると、彼女は稀に見せる大人の表情をしていた。

彼女はごく稀に、普段の弱気な性格からは想像できないような、真剣な表情を見せることがある。初めて彼女のこの表情を目にしたのは、いつだっただろう。確か、屋敷で剣を交えた時。そして、共に書道をした時。私はその彼女の真剣な表情を、とても力強く、美しいものだと感じていた。

ふいに、情動が込み上げる。この大切な人を、この手で抱きしめたい。彼女に踏み込みたい。しかし、今の状態の彼女にそうしたところで拒絶されて終わるであろうことは理解している。そのような行為は、互いの気持ちを伝え合った男女が行うものだ。

私がこうして彼女に助言することは、上官としての義務感からではない。既に己の中で出した答えだった。彼女の力になりたいと、彼女の行く道を照らしてやりたいと、そう思うからだ。そして私には、その下心を隠す必要はもうない。上官と部下の垣根を越えたいと、遠回しではあるが、そう伝えたのだから。

「お前はもう、私の気持ちに気付いていると思うが。」

自分の好意に、とは言わない。彩蓮は私の言葉に答えることはなかったが、ほんの僅かに彼女の肩が揺らいだ。突然の私の言葉に、動揺しているのだろう。私は構わず続ける。

「私が今お前を気に掛けていることも、特別扱いすることも。私が上官だから、ではない。」

「……は、はい。」

今一度、己の意思を明示しておく必要がある。お前を特別扱いするのは、私が一人の男として、彩蓮に好意を抱いているからなのだと。

志貴殿のことで頭が一杯だったであろう彩蓮は、突然の私の告白に混乱したらしい。頭を抱え、うう、と小さく唸り声を漏らす。申し訳ないとは思いつつも、自分とのこともそろそろ考えて欲しいという、己のエゴによる言葉だった。

「今の私と隊長じゃ、釣り合わないです。」

彩蓮はやっとのことで絞り出した言葉を、小声で呟く。

大方、隊長であり四大貴族の当主である朽木白哉と一隊士の彩蓮京葭では、身分が違いすぎると言ったところだろう。私はため息をつく。やはり、それは枷となってしまうのか。無論、朽木家の者としても緋真に続き流魂街出身の者と恋に落ちることは、許されたことではない。しかし、それは彩蓮が気にするべき事柄ではない。全て己の責任として、私が解決すべき問題である。少なくとも私はそのように考え、今こうして彼女との今後に対しての答えを出している。

「お前の気持ちは、どうなのだ。」

彼女の出した答えに、恐らく彼女自身の気持ちは含まれていない。一人の男として、私はお前の目に、どのように映っているのか。

彼女が私を一人の男として考え、只の趣味の合う上官としてしか見れないという答えを出すのならば、仕方のないことだ。潔く身を引く――かどうかはわからないが、己の気持ちに一区切りつけることも可能だろう。私は、彼女自身の言葉を聞きたかった。

隣の彩蓮の表情は、苛立っているようにも、混乱しているようにも見て取れる。志貴殿のことで精神的に追い詰められ、何故強くなりたいのか理解しろという課題を課せられ、追い打ちのような目の前の男をどう思っているかという問いかけ。実際、彼女は混乱していたのだろう。それを加味した上でも、彼女の出した答えに、私は納得できなかった。

「……私の気持ちとか、関係ないです。」

ふつふつと、静かに湧き上がる怒りの感情。自分に恋愛感情を向けていない彩蓮に、ではない。彩蓮が自分自身の気持ちを理解することすら拒もうとしたことに、猛烈に腹が立った。

彼女は、いつもそうだった。彼女にとっての一番は、自分自身ではなかった。周りを見渡し、世間の顔色を伺い、空気を読みながら生きる。恋愛だけに言えることではない。彼女の斬魄刀の名前を知るという死神としての目標でさえ、自分のためではない。私の知る彼女はとことん、骨の髄まで利他主義だった。

「身分を言い訳に、私を拒むというのか。」

自分でも、大人げないことをしたと思っている。この行動により、彼女に嫌われたとしても文句は言えないだろう。

何故、こうも噛み合わない。

「私はこんなにも――」

お前を、想っているというのに。

私は衝動的に彼女の頭の後ろに手を回し、そのまま抱え込むようにしてこちらを向かせる。彩蓮は目を真ん丸に開き、怯えた目で私を見た。そのような目をしたところで、もう遅い。ここで止められるほど、私は聞き分けの良い男ではなかった。

「お前に足りないものを教えてやろう。」

彩蓮が息を呑むのがわかる。私は彼女の身長に合わせて屈み、唇を奪う。こうして強引に奪っておきながらも触れるだけの口付けだったのは、私の理性がなんとか機能した証拠だろう。……それでも、強引に彼女の唇を奪ったことには変わりないが。

「死神としても、恋愛においても言えることだ。お前はもう少し、身勝手に生きるべきだ。」

あまりにも身勝手な自分の行いに、後悔の念がない訳ではない。それでも、彼女の意識を少しでも変えることができたのだろうか。今まで見たことのない彩蓮の茹蛸のような顔を見て、私の頬が僅かに緩んだ。



(執筆)20200524
(公開)20200622