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空を見ると、まだ青さの残る空にはうっすらと白い満月があった。十五夜祭りの日も、こんな満月だったな。私は木枯らしから身を守る様にして羽織に身を包み、舗装された道を歩いていた。

十五夜月見祭り――あれからおよそ一か月が経過していた。隊長の言葉を聞いて以来、隊長と私が以前のような会話をすることはなくなった。任務中に言葉を交わすことはあれど、他の隊士ともするような、どうということもない業務連絡のみだった。
寂しいという気持ちは勿論あった。しかしそれ以上に、隊長と自分の関係が噂になることの方が恐ろしかった。隊長と仲が良いことが知れ渡った場合、六番隊に自分の居場所はなくなる。ほとぼりが冷めるまでは隊長と距離を置いた方が良いのではないかと、自分に言い聞かせた。

人の噂も七十五日……とは言うが、それほど日の経っていない一か月後の今でも、隊長の噂話は聞かなくなった。ほとぼりは冷めただろう。私はそろそろ、隊長に返事をしなくてはならない。
隊長と自分とでは格が違いすぎる。こんな凡庸な自分は、隊長にふさわしくない。だから、恋仲になることはきっとできないと、結論を出したはずだった。そうだとしたら、私は隊長に、その答えを告げるべきたというのに。

胸が、ぎゅっと締め付けられる。涙が出そうになる。本当に?それがあなたの本心なの?何者かが、私の心に問いかける。私はその言葉から逃げるように、足早に目的地へと急ぐ。

西流魂街一地区、潤林安。その一角に門を構える、婆様の――彩蓮志貴の家。季節のせいもあり、庭には花が一輪も咲いていなかった。私は家の前につくと、大きく深呼吸をする。たった一人の、心の拠り所。その彼女に会うことが、なぜか今は、とても恐ろしく感じていた。

「婆様、ただいま!元気にしてた?」

私は玄関を抜け、土間に足を踏み入れる。婆様の姿はない。間もなくして、奥の部屋から物音がして、彼女が姿を現した。恐らく、寝室にいたのだろう。

「あら、京葭。帰ってきたのね。」

久しぶりに見た婆様は、見違えるほど痩せていた。人間に例えるなら、齢百といったところだろう。婆様、こんなに小さかったっけ。次会いに来たら、もう消えてなくなっちゃうんじゃないだろうか。私は喉の奥がじんと痛むのを感じた。

私は自分の気持ちを悟られぬよう、精一杯の笑顔を作る。

「婆様、おやつ食べる?寮の近くの美味しい和菓子屋さんで、月餅買ってきたんだ!」

和菓子屋の袋から、一口サイズの月餅を二つ出して机に並べる。本当はみたらし団子が美味しいことで有名な店だったが、婆様ももう年だからと、餅ではないお菓子を選んで買ってきたのだ。
婆様の家の台所を見たところ、今日婆様が食事をした形跡はなかった。きっと、おなかが空いているに違いない。

「京葭が二つ食べなさいな。」

「え、お腹すいてないの?」

「私も、もう年だからねぇ。」

婆様は、月餅に手を付けようとしなかった。食欲がないのは、年のせいか、それとも。
私はそっか、と小さく頷き、机に出したばかりの月餅を袋にしまった。

* * *

それから一時間ほど、とりとめのない話をした。婆様の浴衣を着てみたことや、現世で行った虚討伐任務のこと、理吉さんのこと。たまちゃんのこと。……隊長に関連する話は、なんとなく避けて話した。婆様は興味深そうに、その話を聞いていた。私は話してみてから、隊長に関する話題を避けて話すと、自分の心に残ったことの半分も伝えきれないということに気付いた。

「……朽木くんは、元気?」

婆様からその人の名前を聞いた途端、私の心臓がどくんと跳ねた。あえて避けていた話題だったのに。私はどこまで話をすれば良いものか悩む。少なくとも、彼から告白……のようなものをされたことは言わない方が良いだろう。

「うん、相変わらずだよ。一緒に字を書かせていただいたり、色々お世話になりました。」

本当に、色々あったのだけれど。文字通り、色々の部分に全てを押し込み、字を一緒に書いたという事実のみを伝える。しかし婆様は、私の言葉で何かを察したようだった。私の心を推し量るように、少し悪戯っぽい表情を浮かべている。

「あら……あの朽木くんと、六番隊の任務以外でも交流があるのね……」

「そんな、大した交流ってわけじゃ……」

昔から、勘だけは良い人だった。私は婆様のにやにや顔に耐えかねて、思わず顔を背ける。これは、バレただろう。

婆様に相談しようかとも考えた。しかし、自分を取り巻く今の状況は自分の口から語るのもおこがましいと感じたし、自分を実の孫のように育ててくれた婆様に、こんな話をするのは照れ臭かった。婆様は、私のことも、隊長のことも、よく知っているから尚更である。

「良かったわねぇ。」

私の必死の否定の言葉も虚しく、婆様は嬉しそうな表情で呟く。何も良くはない。私は今まさに、その隊長への気持ちがわからくて困っているというのに。私の心を悩ませる最大の要因である。きっと婆様は、私が隊長とお付き合いを始めたらとても喜ぶだろう。でも、申し訳ないことに彼女が期待しているようなことにはならない。だからこそ、余計な期待はさせたくなかった。

「貴方にも漸く、大切に想い合える人ができたのね。」

「何それやめてよ、そんな大げさな――」

「これでもう、安心ね。」

どこか寂し気な、安心したような婆様の言葉に、私ははっとして顔を上げる。心がざわつき、背筋が凍るような感覚。
私が一番大切に想っているのは、私が一番心を許しているのは、婆様なのに。なんで、そんなことを言うの。なんで、自分の存在が今後の私の人生に含まれないような言い方をするの。私は縋りつきたくなる衝動を抑え込む。ここで彼女に縋りつけば、それを認めてしまいそうで怖かった。そう、彼女の言葉は、まるで――

「そうそう、京葭。貴方に渡したいものがあってねぇ。」

私の焦りとは裏腹に、婆様はよっこいしょ、の声と共に暢気に立ち上がる。彼女は洋服箪笥を開き、何やらごそごそと中を漁っている。恐らく、彼女のお気に入りの着物か何かだろう。私は見られていないうちにと、熱くなった目頭を押さえて涙を拭きとる。
あった、と小さい声が聞こえる。どうやら相当長い間使用していなかった着物らしい。振り向いた婆様は、小さく折り畳まれた白い着物のようなものを持っていた。

「これを貴方に、と思っていたのよ。」

「これは……?」

手渡された白い着物を広げると、それは着物の半分にも満たない大きさだった。見たところ、白いマントのような、外套のようなものらしい。所々に金色の刺繍が施されており、上質さが感じられる生地だった。まるで、貴族が身に着けていそうな羽織だった。

「三席時代に、着ていた物よ。」

「婆様が三席の時に?」

彼女の口から直接死神時代の話を聞くのは、はじめてだった。そもそも彼女が三席だったことを最近知った私からすれば、こうして彼女が自ら三席だった頃の話を聞くことに違和感を感じてしまう程には、今の婆様は普通ではない。
先程からの婆様の行動一つ一つが、私に心の準備をしろと、そう言っているように見えてしまう。

「……なんで、これを今私に?」

私は、恐る恐る疑問を口にする。

「私が尸魂界に来たばかりの頃に、一緒に住んでいた方に貰ったものなのよ。」

「婆様の、親っていうこと……?」

「親、と言うよりも……」

婆様は、そこで口をつぐんだ。私は息をつめて、彼女の言葉の続きを待つ。

「大切な人、よ。私を遺して、亡くなってしまったけれどねぇ。」

婆様の目が、過去を尊ぶように細められる。婆様が流魂街に来たばかりの時のことを聞くのも、はじめてのことだった。私は返す言葉を失う。きっと、婆様はその人のことを愛していたのだろう。

「昔のことよ。貴方にそれを、託します。」

託すって、何よそれ。恐れていた憶測は、やがて確信に変わる。彼女の言動はまるで、己の死期を悟っての行動のように思えた。

これからは、貴方の傍にはいられないから。貴方を支えてやれないから。だから、新しい心の拠り所を見つけて欲しいと。ご丁寧に、自分の一番の形見まで用意して。
婆様は、優しい笑みを浮かべている。その表情は全てを――自らの死期すらも、悟っているようだった。私は唇を噛み締める。そんなの、受け入れるものか。婆様が受け入れても、私は受け入れない。やっと、婆様のいた舞台に立てる日が来たというのに。漸くこれからだというのに。いつか婆様と同じくらい強くなってやろうと思っていたのに、私はまだ斬魄刀の名前を聞くことすら出来ていない。私にはまだ、婆様に見せたいものも聞かせたいことも、沢山あるのに。

「受け取れない……」

誰が、受け取ってやるものか。まだ婆様を、逝かせてやるものか。私はガタンと音を立てて椅子から立ち上がる。婆様は目を丸くして私を見上げていた。

「私、まだ強くないから。だから、まだ受け取れないよ。」

私が受け取ってしまったら、婆様はいなくなってしまうのでしょう?そう言いたくなる気持ちを抑え、私は力なく笑った。



(執筆)20200523
(後悔)20200620