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少し、浅はかすぎただろうか。

「あれ、朽木隊長じゃない……?」

「朽木隊長の普段着、初めて見たかも……」

「隣にいる方はどなた?奥様は他界されたと聞いていますが……」

これでは、祭を見て回るどころではない。大通りでは、遠巻きに私たちを噂する声がちらほらと聞こえた。普通の街に繰り出すのとは訳が違った。月見祭りには護廷十三隊の死神たちも数多く参加しており、その組織の隊長ともあろう者が私服でふらりと現れ、その横に女性がいるとなれば、騒ぎにもなるだろう。このような祭り事参加するのは数十年ぶりのため、この死神の参加率は予想できていなかった。

騒ぎになることの危険性をいち早く察知した彩蓮は、通りの入り口の屋台で購入した妙なお面を付けたままである。どうやら現世で流行っている、耳の長い黄色い動物のキャラクターのお面らしい。幸いなことに、今日の彼女は普段と髪型も装いも違う。顔を隠せば、六番隊所属の彩蓮京葭であることは周囲にバレないだろう。

「隊長、隊長。」

彩蓮が小声で私を呼び、屋台を指差す。

「私、あそこでりんご飴買ってくるので、隊長は隣の通りで待っていてください。ぱぱっと買って、どこか空いてる場所に退散しましょう。」

彩蓮はそれだけ言い残し、一人で人混みを掻き分け、りんご飴を購入するための待機列に並んだ。小さい背丈の彼女が、人混みに揉まれて見え隠れしている。かわりに私が並ぼうかとも思ったが、私がりんご飴を購入していたらそれはそれで瀞霊廷通信とやらの見出しにされ兼ねないだろう。
私は大人しく大通りを抜け、裏通りへ移動する。若干人は減ったが、大通りと比べて混雑度は二割減といったところだろう。ここでもチラチラと、私に目を向ける死神たちの姿がある。

思い返してみれば。今日は六番隊の隊士の多くが、神輿担ぎに参加すると聞かされていた。恐らく六番隊だけではなく、普段から力仕事の多い七番隊や十一番隊も参加者は多いだろう。そうとなれば、それを一目見ようと多くの死神たちが集まる。今日の祭りは、瀞霊廷内の死神の大多数が参加しているのだろう。

あれやこれやと考えているうちに、十分ほど経過する。あの屋台の列は二、三人程だったが、何をそんなに時間を食うことがあるのか。嫌な予感がした私が大通りに戻ろうと考えていた時、彩蓮がりんご飴と焼きそばとたこ焼きを持って現れた。

「……絞り込みに失敗しまして。」

それでも人混みを掻き分けながら頑張った、と得意げな様子の彩蓮。いつも通りに自分と接している彼女の姿に安心したような、少し寂しいような、複雑な気持ちだった。

特別な感情は抱いていない――そう彼女に伝えたのは、つい先週のことである。彼女の好意が自分に向いていないと知り、それでも諦めきれず、しかし恋愛感情がないと口にしてしまった以上は彼女にアプローチすることはできない。
彼女とどう接すれば良いか悩んでいたところに、今日の祭りの誘いが舞い込んできた。正気か、と多少面食らいはしたものの、彼女に嫌われた訳ではないらしいと安堵したこともまた事実。彼女なりの思惑があるのだろうと、今日という日を迎えた。――結果、思惑など一切存在せず、単なる情報伝達ミスであることが発覚した訳だが。

それでも、彼女の友人である鹿野枝が分かりやすい嘘までついてこの状況を作り出してくれたのだ。今日は純粋に、二人の時間を楽しませて貰うとしよう。

「彩蓮。ここでは面を外すことすら、ままならないであろう。」

「ですよね……どこか、人が少ない場所があるといいのですが。」

彩蓮はきょろきょろと辺りを見渡す。四方八方、どこを見ても人だかりができている。この辺りでは、ゆっくり腰を下ろすことすらできないだろう。

屋敷に彼女を招くことも考えた。しかし、先週あのようなことがあったからこそ、彼女としてはあまり好ましくはないだろう。それに、祭りの会場から離れた屋敷でわざわざ屋台の食べ物を食べるために立ち寄るのも妙な話である。

そうであれば。一か所だけ、心当たりのある場所がある。

「隊舎の方に戻れば、人も少なかろう。」

「え、隊舎って……六番隊の隊舎ですか?」

「今であれば、皆出払っているはずだ。」

時刻は、そろそろ二十時を過ぎようとしている。祭りごとのある今日であれば、まだ隊舎に残っている者も少ないだろう。六番隊の隊舎であれば、ここから遠くない。十分とかからずに到着するだろう。
私は彩蓮の塞がった両手から焼きそばとたこ焼きの容器を取り、隊舎の方へ足を進めた。

* * *

この時間の六番隊隊舎は、案の定閑散としており、部屋の明かりは全て消えていた。残っている者はいない。
少し遠くで、祭囃子の音が聞こえる。神輿担ぎの真っ最中のようだ。

「わぁ、とても良い眺めですね。」

六番隊隊舎の屋根の上。あまり行儀の良いことではないが、私と共にいるところを誰かに見られて勘違いされることを恐れた彼女は、隊舎の中ではなく屋根の上から祭りの景色を楽しむことを提案した。私は少し渋い顔をしながらも、それを了承した。どうしても、彼女への甘さが出てしまう。

彩蓮は屋根の上につくと、漸くお面を外した。久しぶりに彼女の顔を見た気がする。彼女は少し土埃を被った瓦屋根の上にハンカチを敷き、その上に座る。私は手に持っていた容器を彼女に渡し、隣に腰を下ろした。

遠くの方で、神輿が運ばれていくのが見える。この尸魂界に神は存在しないが、この祭は霊王を祭るためのものである。霊王が存在するのは霊王宮――遥か上空に位置する場所のため、そこに直接神輿を運び込むことはできない。よって、尸魂界の中心地でもある中央一番区へと運ばれることとなっている。――この速度だと、終着点まであと三十分はかかるだろう。

隣の彩蓮に視線を戻す。彼女は四つ目のたこ焼きを頬張っており、目は祭りの会場へと向いていた。

「彩蓮。その浴衣は――」

桔梗の模様が美しく映えるその浴衣に、私は何となく見覚えがあった。彩蓮はこちらに視線を向け、目を丸く開く。

「私の婆様の物を譲り受けました。ご存じでしたか?」

「ああ……桔梗の花の模様に、見覚えがあった。」

彼女の言う婆様、志貴殿は、桔梗の花を題材にした物を身に着けていることが多かった。話によれば、彼女の家の庭も桔梗の花が綺麗なことで有名なようだ。三席だった当時は、庭に咲く桔梗の花を隊舎に持ってきては、男だらけの六番隊に花を添えていたという話も耳にした記憶がある。
私が何気なしにその話をすると、彩蓮は少しだけ、寂し気に笑う。

「知らなかった婆様の話を聞くたびに、私は追い付けないんだなぁと、思ってしまうんです。」

彩蓮はそのままの体勢で、自分の膝を抱え込む。膝と膝の間に顎を乗せ、視線は遠くを見ていた。

「私、剣術には、特に自信があったんです。」

彩蓮は、死神の能力自体は下位の席官に並ぶ程の実力があった。真央霊術院でも一目置かれていた訳だ。その中でも飛び抜けて、剣術の才があった。剣術のみの話をすれば、十席と並ぶ実力だろう。それは、直接手合わせをした私が、身をもって実感している。

「でも、結局……斬魄刀の始解すらできないんじゃ、いくら剣術を極めても、無駄なんじゃないかって思うんです。地道に剣一本で剣道を極めたって、始解が使えるようになれば、絶対そっちの方が――」

「彩蓮、それは違う。」

大人しく彼女の話を聞いていた私だったが、徐に口を挟む。

「断言しよう。お前が極めた剣術が無駄になることは、決してない。基礎無くしての始解など、ないと思え。今まで通り、鍛錬に励むと良い。」

定時過ぎた後も、隊舎の中庭で鍛錬に励む彼女の姿を見るのが好きだった。彩蓮の斬魄刀は、志貴殿の持ち物である。彼女自身の物ではないからこそ、その名を知るのは容易いことではないのだろう。恐らく、斬魄刀はまだ持ち主を認めるに至っていない、と結論付けるのが妥当だろう。
だからこそ彼女は、斬魄刀に新しい持ち主と認識される様、己の精神も死神としての力も、磨き上げていかなくてはいけない。きっと、元三席――彩蓮志貴ほどの力を身に着けるまでは。

「……はい。早く婆様に追い付ける様、精進致します。」

「……。」

彼女の返答に続けるように何かを言いかけて、口を閉ざす。恐らく彼女は、強さ以前に大切なことに気付くことが出来ていない。それが何がという問題は、彼女自身が戦いの中で気付いていくべきだ。私は敢えて、黙っておくことにした。

その話題は、それっきり広げられることはなかった。私たちは剣術の話から離れつつも、ぽつりぽつりと会話を繋げる。志貴殿の容態といった深刻な話から、とりとめのない話まで、話題は尽きなかった。私はそれらの会話を聞きながら、横目に彩蓮の姿を見ていた。少し大人びた装いの彩蓮は、とても美しく見えた。

そうしたまま、夢のような時間が三十分ほど過ぎた。夜の冷気が、じんわりと足先を冷やしていく。遮る物のない屋根の上では、その冷気に悪意を感じる程に、風が容赦なく襲ってくる。隣の彼女が、小さくくしゃみをする。

「少し、寒いですね。」

「そろそろ、帰るか。」

私が立ち上がり、彩蓮も立ち上がる。私は寒そうにしている彩蓮の肩に、自分の上着を掛けてやる。肩に重みを感じた彩蓮は、びっくりしたような表情でこちらを見上げた。

その時だった。地響きのような歓声が、こちらまで聞こえてくる。神輿は今まさに、中央一番区に到着したようだ。同時に、打ち上げられる花火。尸魂界の、現世の平和を祈り、霊王に捧げられる灯である。

彩蓮は打ち上げ花火を見上げながら、手を合わせ、小さく呟く。彼女の物憂げな顔を、夜空が眩く照らす。

「どうか、尸魂界が、ずっと平和でありますように。」

旅禍の襲来からの、空座町での戦い。数百年に一度と言えるであろう大戦争を終え、平穏が訪れた尸魂界。彩蓮が死神となったのは、その一連の戦が終息した後だ。彼女は、今自分が立っているこの場所が、数多の犠牲を払い、苦難を乗り越えた上で存在している世界なのだということを知っている。

「ずっと……このままがいいですね。」

ずっと、このまま。彼女の言葉は、まるで喉の奥につっかえた小骨のように、上手く飲み込むことができない。彼女の言葉に、平和な時代がずっと続くように、という願い以上のものは含まれていないのだとわかっている。ましてや、彼女と私の関係についての言及などでは、決してないのだ。

それでも、彼女の口からその言葉を聞いて、はっきりと自覚してしまう。私はこのままで、良いのだろうか。好意の真意を問われ、己の心に嘘をついて、上官と部下という関係性の中に彼女を繋ぎ止めた。あの時は、それで良いと感じていた。しかしこの先、私は彼女と、ずっとこのままの関係ではいられないだろう。

「ずっと、このまま、か。」

わかっていたとしても。私の理性とは裏腹に、言葉は口を衝いて出た。ああ。今の私の顔は、彼女の目に、どんなに情けなく映っているだろうか。

「私との関係も、ずっとこのままが良いと。お前はそう思っているのか。」

私は、上官と部下という垣根の中でしか、お前を繋ぎ止めることが出来ないのか。



(執筆)20200508
(公開)20200602