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「お先に失礼します!」

今日は月見祭りの日である。時刻は十七時。阿散井副隊長や理吉さんをはじめとした男性隊士たちが、足早に隊舎を出ていった。他の隊士たちも、どことなく浮足立った様子で帰り支度を始めている。我が隊の隊長は今日は非番で不在のため、心なしか雰囲気が緩い。

私も松本副隊長主催の飲みに誘われているため、今日は定時で帰ることができるようにと、仕事を前倒しで片付けていた。お陰様で、私も今日は久しぶりに定時退社である。

指定された待ち合わせの時刻は十九時、まだ少し時間がある。私は足早に自分の寮へと急ぐ。時間に余裕もあるため、秋の空気を楽しみつつ、のんびり帰路につく。六番区公園のススキがあたり一面を黄金色に染め上げ、秋も深まりつつあることを実感する。個人的に、一番好きな季節だ。
昨日たまちゃんから、浴衣に着替えて参加しよう、との提案があった。花火大会の時も浴衣を着なかったため、ちょうど良い機会かもしれない。日に日に寒さが増してくる季節のため、今週を逃せば、今年はもう浴衣は厳しいだろう。

六番隊隊舎から寮までは、ゆっくり歩いても、ものの十分で到着した。私は自室に入り、昨日の夜のうちにアイロンを掛けてハンガーに吊るしておいた浴衣を手に取る。紺色の生地に桔梗の模様があしらわれたデザインの浴衣だ。夏用の浴衣のようにも見えるが、桔梗は秋の花なので問題ないだろう。寒さ対策の肌着を身に着け、浴衣の袖に腕を通す。長く着られていなかった浴衣の埃っぽい匂いが、仄かに鼻孔をくすぐる。

この浴衣は、婆様が昔使っていたものだった。私が流魂街を離れて真央霊術院に入る時に、彼女から譲り受けたものだった。どうやら相当の値打ちのものらしいことは、着物に詳しくない私にもわかる。
勿体なくて着ることができていなかったが、昨日秋に合う浴衣を探していたところ、箪笥の奥からこの浴衣を発掘した。ずっと箪笥の肥やしにしておくのも婆様に申し訳ないので、今日はこの浴衣を着ようと思い至った。

せっかくなので、髪型もいじってみよう。両サイドを縛っている髪紐を解き、髪をまとめて後ろに流し、ゆるく三つ編みにする。鏡の中の自分の姿が新鮮に思えた。

「変じゃない、よね?」

姿見を前に、ぐるりと回ってみる。浴衣を着るのも髪をいじるのも慣れないため、少し気恥ずかしい。たまちゃんも、ちゃんと浴衣で来るだろうか。これで自分だけ浴衣だったら恥ずかしすぎる。……まあ、イベントごとの大好きな彼女なら、今日は確実に定時退社だろう。

時計を見ると、時刻は十八時半を指していた。思っていた以上に、準備に手間取ってしまったみたいだ。寮から十番図書館までは、徒歩で二十分はかかるだろう。瞬歩を使うとなると汗だくになってしまうので、余裕を持って早目に出発しよう。巾着袋に必要最低限の持ち物を入れ、寮を後にした。

* * *

十八時四十五分。事件は起こった。

私はゆっくりした足取りで、十番図書館へ向かっていた。もう祭りが始まっている時間帯である。寮を出てすぐの大通りは、祭りの会場からは少し離れているというのに、とても混み合っていた。人混みが嫌いな私は、護廷十三隊隊士専用区域に足を進める。護廷十三隊の死神のみ通行が許可されているため、門番に通行証を見せさえすれば、比較的空いた道を行くことができる。
今日の専用区域は、祭りが開催されているためか大通りに人を奪われ、とても空いていた。この道は十番図書館に通じる道でもあるので、近道にもなる。

「彩蓮。」

苗字を呼ばれ、どきっとする。耳馴染みのあるその声は、間違えるはずもなく、朽木隊長の声である。柄にもなくおめかしした自分の姿を自隊の上官に見られるのは、自分と隊長が今微妙な関係であるということを差し置いたとしても、気恥ずかしいものである。
冷静に考えてみれば、待ち合わせ場所が隊舎から近いというのに、わざわざ一旦帰って浴衣に着替えてくるなんて普通しないだろう。皆が黒い死覇装を着ている中に、こんな浮ついた格好の女がいたら間違いなく悪目立ちする。急に冷静になった私は、浴衣を着てきたことを無性に後悔した。

それでも、隊長の声を無視する訳にはいかない。意を決して振り向けば、そこには案の定、朽木隊長が――隊長、が……?

「し、私服だ……」

灰色の着物に、紺色の羽織。いつも見ている隊長と、少し色合いが違う。私の後ろに立っていたのは、私服を着た隊長だった。
よく考えてみれば、今日の隊長は非番なので死覇装を着ている訳がないのだが。仕事のあったその日に、彼の家以外で私服姿を見るのが、新鮮な気分だった。

「兄も私服のように見受けられるが。」

隊長からすれば、今日仕事があったはずの私が浴衣を着ていることの方が謎だろう。

私が隊長の私服姿を目にするのは三度目だが、死覇装の時とは全く違う印象になる。髪を下ろしているせいだろうか。どことなく柔らかな雰囲気が加わり、戦闘部隊のトップを務める男とは思えない風貌だ。隊長のこの姿を彼のファンの女性たちが見たら、卒倒するだろう。

以前、何度か目にしているはずなのに。今まで以上にまぶしく見える彼のプライベートの姿に、心臓が高鳴り、体温が上昇する。これも全て、たまちゃんが彼を意識させるようなことを言ったせいだ。いけないいけない、いつも通り、いつも通り。

「私は、その……十番隊の、鹿野枝さんと浴衣着ようって話をしていて……」

「……鹿野枝?」

「はい。今日は彼女も参加するみたいで……」

隊長の眉がピクリと動く。暫く固まった状態の隊長を見て、何かまずいことを言ってしまったかと焦るが、この約三十秒間の会話に失言があったとは思えない。

「あの、隊長……?」

「今日は……二人で祭りを回るという話では、ないのか?」

空気が凍り付くのを感じる。秋の風が、妙に冷たく感じる。隊長は一見無表情に見えるが、内心穏やかではないことは僅かに上がった彼の霊圧が物語っていた。かく言う私も、予期せぬ彼の一言に、先ほどから冷や汗が止まらない。

状況を整理しよう。彼は、二人で回るという話ではないのか、と言った。つまり私は、彼を月見祭りデートに誘ったことになっていたらしい。何ということだ。それ、確実に私が隊長のことを好きみたいじゃないか。私から誘うなど、そんな恐れ多いことができる訳がない。
私は確かに、十番隊のイベントだと言ったはずだ。……言ったはずだけど、絶対に言ったかと言われると自信がない。あの時は、とても緊張していたから。

「私……松本副隊長主催の集まりって話、してませんでしたっけ……?」

「聞いていない。」

「十番図書館の前で皆と落ち合うって……」

「私の認識では、十九時に十番図書館前でお前と待ち合わせる、ということになっている。」

気まずい空気が流れる。思い返してみれば、私は彼にチラシを見せた時、松本副隊長にいただいた物とは言ったが、彼女主催の集まりという話はしていなかった気がする。というか、話そうとしたタイミングで遮られた記憶がある。おそらくあの時の自分は、焦りのあまり、正確な情報共有が出来ていなかったのだろう。思えば彼が松本副隊長主催の集まりへの参加を快諾した時点で、怪しむ必要があった。

「……。」

「…………。」

「あ、あの……」

「おっ、京葭〜!」

とりあえず弁明しよう、と思っていたところで、後ろから声がかかる。最悪のタイミングである。たまちゃんの声だ。私は事がややこしくなるのを覚悟した。

「……って、え、朽木隊長!?死覇装じゃない!?」

約束通り浴衣で参上したたまちゃんは、隊長と私の姿を交互に見遣る。この状況、どうしたものか。私は隊長とたまちゃんの間にさり気なく立ち入る。

「ええとたまちゃん、ごめん。……ちょっとした情報伝達ミスが発覚しまして……」

「鹿野枝。今日の集まりというのは、他に誰が参加する予定なのだ?」

「あれ、京葭から何も聞いてない感じですか?」

「私が、十番隊の集まりだってこと、隊長に言うの忘れてたみたいで……」

彼女は私の泣きそうな表情を見て何かを察したのか、閃いた顔をした。たまちゃんの表情がみるみるうちににんまり顔へと変化する。彼女の察しの良さは尊敬に値するが、この表情は、お節介を焼く時の顔である。あまり望ましくない展開になってしまいそうだ。

「やだなぁ、京葭。十番隊の集まりは、今日じゃなくて明日だよ?」

「……え?」

「私は今から、霊術院時代の友達と待ち合わせがあるの。」

たまちゃんは私に目配せする。ちょっとこっちに、の合図だろう。私はたまちゃんの耳元で、隊長に聞こえないよう小さな声で彼女の真意を問いただす。

「……どういうこと?今日だよね?」

「まあ、そうだけど。もしかして朽木隊長、京葭と二人で見て回るつもりだったんじゃない?」

「う、うん。そうみたい。」

改めて自分の置かれた状況を客観視して、恥ずかしさで消えたくなる。自分は、隊長をデートに誘った身の程知らずな女である。隊長が本当は自分をどう思っているかはさておき、「特別な感情はない」と言った翌週にデートに誘ってくる女、という面の皮の厚い女だと思われているに違いない。これでもし隊長が自分に好意があるのだとしたら、私は期待だけさせて最後に突き落として彼の心を弄んだ鬼である。

「せっかくなら、朽木隊長と色々見て回ってきなよ。」

「でも、松本副隊長が……」

「乱菊さんには、こっちから適当に言っておくから。」

お節介とも言えるが、今はこうするのが得策のように思えた。隊長があまり乗り気ではなさそうなこの状況で十番隊の方に引っ張っていくのも申し訳ないし、彼女の咄嗟のフォローによって結果的に助かったことには間違いない。――隊長と私が、本当にデートをすることになってしまう、という一点を除けば。

たまちゃんはくるりと隊長の方に振り返る。

「申し訳ないです、朽木隊長。この子、日にち間違えてたみたいです。」

「……そうか。では、今日は――」

「でも、せっかく京葭も浴衣着てるので、一緒にお祭りまわってあげてください!……あ。私はもう行かなくちゃ、なので!」

たまちゃんはそう言うと、では!と一礼して足早に去っていった。残された隊長と私は、体は向かい合わせの状態で、視線は彼女の背中を見送る。

その姿が見えなくなった頃、漸く隊長は私の方に向き直った。つられて私も、隊長の方を見る。

「誠に、申し訳ございませんでした!」

最敬礼。体を90度に折り曲げ、精一杯の謝罪の意を表明する。上から隊長のため息と、もう良い、という短い言葉が聞こえた。

「妙な話だとは、思っていた。」

「何が、ですか?」

「彩蓮の方から私を誘うなど、有り得ない話であろう。」

どうやら隊長も、違和感はあったみたいだ。いくら趣味の合う仲の良い上官と部下であっても、先週からの流れで二人きりで遊びましょうという話にはならない。
私は顔を上げるが、気まずさから隊長の顔が見れない。たまちゃんは二人で回ってきなよとは言ったが、隊長はどう思っているのだろうか。

「折角の休暇だ。少し、見て回るとするか。」

隊長は私の同意を求めるように、そう呟く。隊長は、祭を見て回る方に一票らしい。
そもそも私は、朽木隊長の家にも行ったぐらいだ。今更二人で祭りを回ったぐらいで、何も起きないだろう。彼にあまり踏み込むなと、そう思っていたはずなのに。不思議と浮足立つ気持ちが勝っている。

「私、りんご飴が食べられれば満足です。」

「では、屋台を探すか。」

隊長は、十番図書館とは反対の方向へ歩き出した。今日は、純粋に祭りを楽しもう。私は整理のつかない感情に蓋をして、隊長の背中を追いかけた。



(執筆)20200508
(公開)20200524