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仕事を終えて屋敷に帰ってきた私は、その光景に目を疑った。兄様が今日非番を取ったということも、屋敷に兄様の門下生の方がいらっしゃるということも知らされていたことだ。

「えっと、兄様、その方は……」

兄様の私室には、小奇麗な着物を着た小柄な女性がいた。彼女の隣の兄様は私の声に反応して顔を上げ、その女性に目配せをした。彼女は手に持っていた筆を慌てて置き、正座し直して頭を下げる。彼女の亜麻色の髪を一つにまとめている簪の鈴が心地よく鳴った。

「始めまして、朽木副隊長。六番隊隊士の彩蓮京葭と申します。」

「え、あ、ああ……十三番隊副隊長の朽木ルキアだ。」

私は柄にもなくどもってしまった。兄様がお招きする程の方だ、外見は私と同じ程に見えてもとても有名な書道家の方なのだと思い、敬語での挨拶を用意していたのだが、どうやら彩蓮京葭と名乗る女性は、只の隊士――兄様の部下のようだ。彼女を目の当たりのする前まで、てっきりもっとお年を召された方だと思っていたのだが、とんだ検討違いだったようだ。

それにしても、あの兄様が女性の方を、しかもよりにもよって自分の部下を屋敷にお招きするとは。よく見れば彼女は、八月の海水浴の時に兄様と一緒に荷物番をしていた者ではないか。松本副隊長が良い雰囲気だと騒いでいたような気がするが、まさか本当だったとは。あの時はあまり気に留めなかったが、今私が目の当たりにしているこの光景は、その証言を裏付ける徹底的な証拠である。あの堅物の兄様が、何の特別な感情も抱いていない女性を屋敷に上げる訳がない。いくら門下生と言えど、部下である。

「彩蓮は私の部下だ。歳もお前と同じほどだろう。」

「……えっと、兄様の部下で、門下生ということでしょうか……?」

「ああ、門下生というのは嘘だ。」

「ええ!?」

「屋敷の者が煩い為、便宜上そのように言ってある。くれぐれも口外しはするな。」

「あ、はい……。」

どうやら正真正銘只の部下だったらしい。確かに朽木家の者は、何の位も持たぬ者を家に招くことを嫌う。以前流魂街の出である姉様を妻に迎え、さらに私を妹として引き取った。それは貴族の掟に反するものであり、勿論風当たりも強かった。そのためか、兄様が流魂街の出の者、とりわけ女性を屋敷に招くことは滅多になかった。

わざわざ門下生だという嘘を付いてまでして、彩蓮を屋敷に招きたい理由があったのだろう。これはもう、兄様と彼女は只ならぬ関係だということに違いないだろう。交際中だと考えるのが自然である。

「朽木副隊長も、一筆いかがですか?」

「ああ、私は仕事が残っている故……」

「そうですか……。」

残念そうにしゅんと下を向く彩蓮。恐らく兄様の交際相手だ、どのような女性なのか少し興味はあったが、二人の時間を邪魔する訳にも行かないだろう。ここは大人しく引いておいた方が身のためだ。
彩蓮の手元の半紙に目をやると、成程、素人の私にも理解出来る程には彼女の書く字は綺麗だった。あの兄様が一目惚れ……はありえないだろうから、恐らく書道の話で馬が合い仲良くなったのだろう。

何はともあれ、兄様にも春到来の兆しである。長い間人を寄せ付けることのなかった、あの兄様が再び恋をした。私としても喜ばしいことである。兄様のような四大貴族の当主ともなると、愛のない政略結婚で相手と結ばれることが多い。一応貴族の身である私がこのようなことを言うのもおかしな話だが、兄様には心から愛する人と結ばれてほしいと思っていた。兄様のためにも、姉様のためにも。
結婚と恋愛を別物と考えることができないあの不器用な兄様のことだ、彼女が将来私の姉となる可能性だってあるはずだ。……彼女が兄様との結婚をどう思うかどうかはまた別の話だが。

「では、私はこれにて失礼致します。……彩蓮殿、今後とも兄様を宜しくお願い致します。」

「え!?朽木副隊長!?」

「今度是非ともお話を聞かせていただきたいです!」

「……ルキア、何を勘違いしているのかは知らぬが、彩蓮は私の部下だ。それ以上、それ以下の何でもない。」

「え、えええ!?私はてっきり……」

恋人なのかと、と言いそうになった私は慌てて口を押さえた。彩蓮はとても居づらそうな表情で俯いてしまった。これ以上気まずい雰囲気にさせてしまうのも申し訳ない。

と、いうことは、どうやら今は兄様の片想いらしい。彩蓮は兄様の気持ちに気付いているのか、兄様は想いを伝えたのか、当の彼女は兄様をどう思っているのか。色々と訊きたいことは山ほどあるが、今ここでそれらを訪ねる勇気は流石にない。

この状況をどうしたものかと悩んでいると、彩蓮が徐に立ち上がった。彼女はとんとんと痺れた自分の足を叩き、兄様の方に向き直った。

「私も、そろそろお暇させていただきますね。」

「……もう暫くゆっくりして行け。今茶を淹れさせる。」

「いえ、明日も早いので……。」

もしかして、いや、もしかしなくても、私はやらかしてしまったらしい。彩蓮は兄様の方を向いていながらも目を合わせてはいないし、今すぐにでもここから逃げ出したくなるような表情をしている。兄様には悪いが、これは脈なしの可能性が大きい。

しかしこの、兄様の残念そうな表情といったら。折角取った非番である、少しでも長く想い人と時間を共にしたかったのだろう。私は兄様を応援したいし、この恋が上手く行って欲しいと思っている。そしてこれは私が壊してしまった雰囲気だ、私がなんとかしてこの場を取り持たなくては。

「……そうだ、兄様!もう外も暗いですし、送って行って差し上げたらいかがでしょう?」

「いえ、そんな!私一人で帰れますので……」

「そうだな……彩蓮、隊舎寮まで送って行こう。」

「そうです!是非そうしてください!」

最初は頑なに拒んでいた彩蓮だったが、自隊の隊長とその妹に迫られている訳である。彼女はやがて力なく首を縦に振った。満足げに小さく微笑んだ兄様の表情は、長い間兄様と共にいた私でさえ滅多に目にしたことのないものだ。兄様がどれ程彼女に夢中なのかは、兄様が彼女に向ける眼差しを見れば明らかである。優しげに緩んだ目は、恐らく彩蓮にしか向けられないものである。見ているこちらが恥ずかしくなる光景だ。

「お前の着物は後日洗って返そう。」

「あ、ではこのお着物も……」

「安物だ、返さずとも良い。」

「しかし……」

「良いと言っておるだろう。」

驚いたことに、今彼女が着ている着物は兄様が与えた物らしい。会話からはどのような経緯でそのような事が起きたのかはよくわからないが、上司と部下の関係を超えたような行き過ぎた気遣いに思わず笑いそうになってしまった。にやにやしてしまいたくなる気持ちを抑え、そんな二人の会話を見守る。私もこのような兄様を見るのは初めてなのだ。

「朽木副隊長、私はこれにて失礼致します。」

「ああ、今度は是非もっとゆっくりして行ってくれ!」

少し興奮気味にそう言えば、彩蓮は愛想笑いで誤魔化した。どうやらあまり気を許されてはいないらしい。言葉を交わして数分である、当たり前と言ってしまえば当たり前なのだが。

「彩蓮、行くぞ。」

「は、はい、気を遣わせてしまい申し訳ございません……。」

兄様の背中を追いかける彩蓮は、恋愛感情はなくとも兄様に良い感情を抱いているのは明らかだ。これは兄様の努力次第でどうにでもできるのではないだろうか。兄様の約五十年ぶりの恋のためだ、私も全力で応援しよう。兄様と彼女がこれからどうなって行くのかを想像しては、少しくすぐったい気持ちになった。



(執筆)130402
(公開)131222

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