スロー・フロー・スタート | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

秋は少しだけ寂しい。瀞霊廷を取り巻く空気は一雨ごとに熱を失い、次第に落ち着きを取り戻していった。つい一週間前まで私を悩ませていた肌に貼りつくような汗もいつの間にかなくなり、しかしそれすらも少しだけ寂しいような気がして。少し風通しの良いこの薄手の死覇装も、今月末には用済みになってしまいそうだ。

そんなことを考えつつも、私は落ち着いた日々を送っていた。仕事は相変わらず忙しいが、その忙しさがとても心地よい。隊長の負担を少しでも減らしたい一心で求められる仕事量より少し多い仕事を熟すため、定時過ぎも仕事場にいることが多かった。そうすると決まって九席の美羽さんがお疲れ様、と声を掛けてくれるのだ。彼女は数少ない女性の席官である。

こうして少し長く職場にいることで、嬉しいことが少しずつ増えていった。静かな執務室はとっても心が落ち着くし、仕事も捗った。さらに、私よりも早めに帰る理吉さんに頑張ってるねと言ってもらえたり、この前なんて美羽さんに「彩蓮さんが無席なんて信じられない」という昇進を望むようなお声を掛けていただいた。そんなちょっとした言葉でやる気が溢れ出してくるのだから、単純な女である。さらには残業代も出るらしい。常に金欠に悩まされていた私としてはとても嬉しいことである。

最近少し頑張りすぎている。自分でも感じていたことではあったのだが。

「今週末、非番を取れ。」

午後九時。外は真っ暗。自分がする必要のなかった書類を隊長に提出しに隊首室へ顔を出した時、隊長は相変わらず小難しそうな表情で私にそう言い放った。
有無を言わせぬ命令口調だ。確かに私は最近働きすぎていたように思える。だが、隊長に心配していただくほどには疲れていないはずだ。実際に私の体調は万全で、一日三食取っているし、一日六時間は寝るようにしている。体調管理もできずに無理をして働いているような管理能力のない死神ではない。

「お気持ちはありがたいのですが、仕事は私が好き好んでしていることなので……」

「予定を開けておけ、と申しておる。今週末ならば仕事も一段落する。」

「……と、いいますと?」

「……私の字を見たいと言ったのは、お前であろう。」

隊長は呆れ顔でそう言った。私は首を傾げ、記憶を手繰り寄せる。ああそうだ、確か七月の花火大会の時に、酔いが回ってついついそんな図々しいお願いをしてしまったのだ。しかしあれは本当に酔いに任せて言っただけの発言であり、そんなおこがましいお願いなど隊長は軽く流してしまうだろうと思っていたので、私もなかったもののように扱っていたのだが。
夏は仕事ももちろんだがイベントごとも重なりそれなりに忙しかった。九月になって漸く仕事の方も落ち着いてきたのだろう。それでも隊長の貴重な一日を私のために割かせてしまうのは申し訳ないことのように思えていた。

「忘れていたのか。」

「い、いえ!とんでもございません!しかしあれは酔った勢いといいますか、わざわざお時間とらせてしまうのも申し訳ないといいますか、その……」

「……そうか。では、必要はない、ということか?」

言葉に詰まる私。本音を言ってしまえば、これ以上嬉しいことはない。隊長と文字を書きながら婆様の話や書道の話に花を咲かせ、心安らかで静かな休日を過ごすことができるのだ。最高の休日である。しかしただの隊士である私が、隊長とそのような仲になってしまっても良いのだろうか。

一か月前、隊長の奥様は実は亡くなられていたということを知った。それを知るまで腑に落ちないことが沢山あったが、奥様を亡くしていたとなると色々と合点が行く。四大貴族でもあろう彼の奥様の存在が世間に知られていないなど普通に考えてありえない話だ。たまちゃんたちが騒ぎ立てていたのだって、隊長の奥様の存在を知らなかった訳ではなく奥様が亡くなっているということを知っていたからだろう。
ただ、朽木隊長が私を好きだということに関してはありえない話だ。亡き奥様のお写真を持ち歩いているほどである。それに、プールのために隊長のお屋敷に忍び込んだあの日。たまたま撮ってしまった隊長の屋敷の仏壇には、桔梗の花が飾られていた。桔梗の花の花言葉は、変わらぬ愛、変わらぬ心。きっと隊長の心は今でも奥様のものだ。第一、隊長ともあろう方がこんな私を好きになる理由はない。私は婆様のこともあり隊長とは近しい中ではあるが、隊長は私のことを話の合う隊士としてしか思っていないだろう。身に余る光栄だ。

そうは知っていても、私はその好意が少しだけ恐ろしかった。隊長を知ってしまえば知ってしまうほど、隊長は私に優しかった。この前だって、私が婆様の見舞いに行く日はさり気なく気を回して残業の仕事量をなくしてくださった。まるで私の心など、元から見透かしているかのようだ。

私は人に頼るのが苦手だ。これ以上隊長に関われば、私はきっと隊長に甘えてしまう。ただの隊士である私が隊長に甘えるなど言語道断である。そんな私の気持ちも知らずに、隊長は私に隊士にするものとは思えぬほどの気遣いをしてくださるのだ。嬉しいけれど、申し訳ない気持ちになってしまう。
だから、隊長が私の言葉を覚えていてくれたのはとても嬉しかった。その反面、恐縮してしまうのだ。

「彩蓮さえ良ければ、と思ったのだが……」

「あ、えっと……」

「無理にとは言わぬ。」

「……た、隊長がご迷惑でなければ……」

私の心は正直である。おこがましいとは思っていても、行きたいものは行きたい。それに折角の隊長のお誘いである。断るのも申し訳ないというものだ。

私がそう言えば、隊長は満足げな顔を見せた。表情はあまり変わらないが、今の隊長は少しだけ機嫌が良い時の表情をしている。この数か月間隊長の近くで隊長を見てきて、ほんの些細な心の変化を読み取れるようになった。

「では、昼過ぎには支度を整えておこう。」

「はい、では昼頃にお伺いします。十二時頃で宜しいでしょうか?」

「ああ。勿論だが、私服で構わぬ。」

「え……、死覇装では、駄目でしょうか……。」

「……何故?」

隊長の私服は一度だけ見たことがあるけど、私が私服の状態で隊長と会うのは初めてかもしれない。私の持っている着物はどれも安物で、一番高いものでも精々一か月分のお給料の半分程度のものだ。そんな安物の着物で朽木隊長のお屋敷に上り込んでも良いのだろうか。
以前、朽木隊長の部下として隊長のお屋敷に足を運んだことは何度かあった。しかし私服ともなると、朽木隊長の家の方たちはその着物を見ただけで恐らく私の育ちを知ってしまうだろう。仕事としてではなく個人的な理由で流魂街の者を屋敷に挙げるということ自体、あまり好ましくないのではないだろうか。

私がなんとも言えずに答えに詰まっていると、私の心をくみ取ったかのように隊長が口を開いた。

「……そのようなことを気にする必要はない。」

「え、そのような、とは……」

「私の家の者が着物の善し悪しで人を分けると思ったのか。」

やはり隊長はすごい。私の言葉の詰まり方一つで、私の心の内全てを読んでしまうのだから。あの花火大会の日だってそうだ。婆様のことを少し話しただけで、私が心の底で一番欲していた一言をくれた。

隊長はすごい、だけどそれが少しだけ怖い。私を知ろうとする隊長は、私を追い詰めているようにも見えた。隊長に、甘えてしまいたい。だけどそれはいけないことで。私にもどうしたら良いのかわからないので、ついつい隊長のお言葉に甘えてしまう。

「……では、私服でお邪魔させていただきますね。楽しみにしております。」

「ああ、前日にまた詳細を伝えよう。」

「はい、ありがとうございます。……では私は、これでお先に失礼致しますね。」

「彩蓮。」

机を挟んだ隊長が、ゆっくりと席を立つ。私に影を落としてしまうほどの長身、透き通るような白い肌。薄い灰色の瞳が、優しげに私を捕らえる。

「丁度任務が終わった所だ。共に帰らぬか。」

私はこのまま底なしの沼にはまっていってしまうのだろうか。それとも私はもう、その中にいるのだろうか。
私は心のどこかで気付いていたのかもしれない。朽木隊長が手招きする、その先にあるものの正体に。それでも私は、心の中で無意識に否定し続けていた。




(執筆)130324
(公開)130326