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誰の計らいかはわからないが、私達が泊まった旅館はとても豪華だった。広い部屋丸々一室を予約したらしく、死神全員がそこに集められた。
予算がほぼ底を尽きたはずの女性死神協会。この経費はどこから出ているのか。まさか私たちの給料から天引きされているのでは、とも思ったが、男性死神協会の面々が軽くなった財布を物悲しげに見ていたあたり、その出所はだいたい予想が付いた。

一泊二日の慰安旅行。明日の朝には現世を出るというのに、案の定酒盛りが始まった。松本副隊長に巻き込まれるようにして飲みに参加していた私だったが、おかしなことに先ほどから京葭の姿が見当たらない。このような大人数の集まりがあると、京葭は決まって私と行動を共にしていた。まさかとは思って他のグループを見てみても、彼女の気配は感じなかった。それでは朽木隊長といるのか、と考えたが、阿散井副隊長の隣に朽木隊長を発見した。どうやらこの部屋にはいないようである。私はそっと席を立ち、自分の荷物から京葭の上着を取り出して部屋の外に出た。

今日はテンションが上がっていたとはいえ、京葭には少し悪いことをしてしまった。私も松本副隊長も朽木隊長が京葭に好意を抱いているということはわかっていた。それを知った上での行動だった。きっと朽木隊長も京葭の水着姿が見たいに決まっている、という京葭の気持ちを無視した軽薄な行いである。私は少しだけ後悔していた。
京葭に嫌われたらどうしよう。私は自分が思っているよりも京葭のことが大好きで、京葭に頼られるのがとても嬉しくて。彼女の友達は私しかいないのだから、少し羽目を外しても私のことは嫌いにならないだろう、と。そう思っていた。

京葭は部屋を出てすぐのところにあるラウンジで一人、缶ジュースを片手に宙を見つめながら座っていた。彼女に上着を返して、謝らなくては。そう思った私は、彼女の隣にそっと腰を下ろす。京葭は特に反応を示す訳でもなく、私が隣に座ったことを確認すると、何の前触れもなしに口を開いた。

「……朽木隊長の奥様のこと、知ってる?」

てっきり上着の恨み言を言われると思っていた私は、京葭の口から飛び出した言葉に一瞬反応し損ねてしまった。恐らく緋真という女性のことだろう。私は松本副隊長から聞いていて知ってはいたが、京葭は知らなかったのだろうか。てっきり知っているものだと思っていたのだが。

彼女がこんなにも落胆しているように見えるのは、恐らく緋真さんに原因があるらしい。奥様がいたことを知らなかったが、今日なんらかの拍子にその事実を知ってしまい、衝撃を受けているのだろう。もしかして、嫉妬とか。それなら話は早いのだけれども。

「私は知ってたけど、京葭は知らなかったの?」

「……ううん、結構前から知ってた。」

「え、じゃあ……」

「亡くなっていた奥様だとは知らなくて……てっきり今でもご存命の方だと……」

「え、ああ、確か五十年前に亡くなった、んだっけ?」

京葭はこくりと首を縦に振った。彼女は切羽詰ったような表情をしていた。

何故彼女はこんなに困っているのか。一度状況を整理してみよう。京葭は隊長を尊敬の対象としか見ていないはずだ。それに対し、隊長は少なからず彼女に好意を抱いている。京葭は今まで隊長には奥様がいらっしゃると思っていて、だから私たちが隊長が京葭に惚れていると言ってもそれを否定していたのだろう。しかし、その奥様は亡くなったのだということを知り、今に至る訳だ。と、いうことは。

「……朽木隊長と、何かあったの?」

何かあったのだろう。男心に鈍感な京葭に揺さぶりを掛ける、決定的な何かが。京葭はぎゅっと缶を握りしめ、私の方から顔を背けた。

「別に、何も。……隊長は私にすごく優しいし、今は奥様がいないって知って、もしかしたらって思った。……だけどやっぱり、隊長が私のこと好きだとは、思えない。」

京葭はそう言うと、キッと前を見た。これは、彼女の中での考えがまとまった時の顔だ。はたから見れば朽木隊長が京葭を好きなことは確定なのだが、彼女は何を根拠にこんなに自信満々な顔をしているのだろう。

「何を根拠に、そう思ってるの?」

「うーん……だって、朽木隊長、奥様のお写真を今でも大切に持ち歩いてるぐらいだし。それに私、プールの日に隊長が奥様の仏壇の前にいたの見たし……今でも大切になさってるんだなあ、って。」

「仏壇の前?」

「うん。偶然写真に写っちゃって。今思えばあれは、たぶん奥様のお仏壇だったんだと思う。」

朽木隊長が、奥様のお写真を。素敵な話である。それはともかくとして、夫が亡き妻の仏壇に参るのは大切にするもなにも当然のことのように思えるが。本当に、それだけだろうか。この子のことだ。どうせ、あの朽木隊長が私のことを好きになるはずがない、とでも思っているのだろう。

「それに、朽木隊長が私なんかを好きになる訳がない。」

ああ、やっぱり。思春期の女の子は、だいたいこのような言葉で自分に対する異性の好意を踏みにじるのだ。どう見たって、好きなのに。まあ、当の本人は今まで人からアプローチを受けたことすらない恋愛初心者だ。仕方のないことかもしれないが。あまりにも予想通りなその答えに、私は思わず笑ってしまった。

「……私は、京葭はすごく魅力的だと思うよ。」

「えっ、たまちゃんどうしたのいきなり!?」

「京葭はすごく頑張り屋さんだよね。誰よりも努力して、強くなろうとしてる。……だけど、そう思うあまり人に上手に甘えられない。」

「…………。」

「強いけど、実はすごく弱い。そういう脆さに、守ってあげたくなるって思う男の人はいると思うんだ。」

「……私はそんな、守ってもらおうなんて、思ってないし……」

「そういう風に虚勢はっちゃうところがすごく健気で、傍にいてあげたいって思っちゃうんだよなぁ。」

朽木隊長がどうして彼女に惹かれたのかはわからない。話のそりが合うからだとか、朽木隊長が憧れる彼女の婆様に字がとても似ているからだとか、同じ桔梗の花が好きだからとか、色々な理由があるかもしれない。だけどきっと彼も、彼女のその弱さを見せようとしない健気さに胸を打たれたに違いない。

私にはなかなか見せようとしなかった涙を、朽木隊長の前で見せた京葭。恋愛感情ではなくとも、京葭は朽木隊長に心を開いている。恐らく、私と同じか、それ以上には。京葭の心の拠り所はきっと私だけだと、そう思っていた。だけど、彼女はそれを望まなかった。悔しいけれど、きっとこれが親友としてしてあげられることの限界なのだと思った。

「もし私が男に生まれてたら、京葭を好きになってたと思うんだー。」

「へっ!?な、何!?どうしたの!?」

「もっと自信持ってよ。京葭は自分が思ってるよりも、ずっと素敵な女の子だよ。」

私は知っている。朽木隊長が京葭に向ける眼差しが他に比べてとても優しいということだって、遊びごとを嫌う彼が京葭の参加する行事にはいつも参加していることだって、いつも京葭を見ていた私にはわかる。そんな朽木隊長は、そんな私よりもずっとずっと、京葭のことを見ていた。私が目にする朽木隊長の視線の先には常に京葭がいて、あからさますぎるその視線に見ているこちらが恥ずかしくなったりもした。

こんなことを言ったって、京葭がすんなりと朽木隊長の気持ちを受け入れることが出来るとは思えない。彼女は自分を過小評価しすぎているところがあるから。だから私は、その全てを彼女に言うことはないだろう。京葭は私から与えられたヒントの意味を、存分に悩めば良い。そして長い時間を掛けて、知っていけばいい。朽木隊長の、指先に至るまでの京葭への気遣いと、その一挙一動に込められた彼なりの愛情表現に。




(執筆)130322
(公開)130325