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太陽の日差しが煩い。むせかえるような人混みの中、私たち死神一行は現世の海水浴場に来ていた。今回は人の寄り付かない海岸を選ぶことはせず、出店も客も多い現世の人気の海に来ている。海目掛けて一目散に散っていく者たち。私と彩蓮はその場に取り残された。荷物番をしていろ、とのことだった。

元より泳ぐつもりはない。浮竹が持ってきたビーチパラソルの下で休める故、荷物番自体はあまり苦にはならない。問題は、隣の彩蓮にある。彩蓮は上着を羽織っているものの、白くてすらりとした足を砂の上に投げ出していた。普段は体中を死覇装で覆っている故、肌を見る機会などほとんど存在しない。更には普段下ろされている髪が今は少し高めの位置で一つに結ばれており、さらけ出されたうなじには一筋の汗が伝っている。足とうなじにちらちらと視線を流しては、普段は見ることのできない彼女の姿に少しだけ胸が高鳴った。

認めてしまえば、楽になるのか。自分の中のどっちつかずの感情に、名前を付けかねていた。
あの夜、無防備に涙を流す彩蓮の姿を見た時。その感情は唐突に私の中に湧き上がってきた。彼女に触れたい、彼女が愛おしい。衝動的に彼女の手に自分の手を重ねた。ほんの少し、小指を握る程度に。後々手を振り払われた時にこれは事故で当たってしまっただけだと言えるよう、偶然を装うように、予防線を張った。彩蓮は意外にもその手を振り払うことはしなかった。酔っていて気付いていないだけかもしれない。それ以前に、彼女は私のことをそのような目で見ていないということは十二分に理解している。

どうやら私は相当彩蓮が気になっているようだ。その程度はわからないが、私は出会って間もないただの新米隊士の女が気になって仕方がない。しかし私は、そう易々とその事実を受け入れることができなかった。
私は緋真を亡くしてからというもの、数々の女性に出会ってきた。良家の娘であったり、私と同じ程の力を持つ死神であったり、絶世の美女であったり。そのような女性を目にしてきても、私の心は全く揺るぐことはなかった。

「朽木隊長、あの……」

それに対し、彩蓮は本当にただの新米隊士である。新米にしては中々の実力の持ち主ではあるが、護廷十三隊の中では飛びぬけて優れているという訳でもない。容姿もそれなりに可憐ではあるが、彼女よりも優れた容姿の者などいくらでも目にしてきた。

「あの!朽木隊長!」

「…………あ、ああ、彩蓮か。どうした。」

「何か考え事ですか?先ほどからずっと心ここに非ずな状態でしたが……。」

お前のことを考えていた、などとは口が滑っても言えない。もしそのようなことを口にすれば、彼女はどのような顔を私に向けるだろうか。彼女に私を異性として意識させるのはとても容易いことだ。たった一言を口にすれば、それは叶ってしまうだろう。それが報われるかどうかは、また別の話になってしまうのだが。

私の心は露知らず、今日も今日とて尊敬の眼差しを向ける彩蓮。その目は、それ以上の感情も、それ以下の感情も孕んでいない。

「済まない、仕事の件だ。……どうした。」

「お腹空いたのでそこの屋台で何か買ってこようと思ったんですが、隊長は何か食べたいものとかありますか?」

「ああ、適当な物を頼む。」

「わかりました!行ってきますね!」

そう言って彼女を送り出す。私の視線は自然と彼女の背中を追いかけていて、それに気付いた私はそっと視線を海の方へ戻した。

何故。私は何故こんなにも彼女に気を掛けているのだろうか。彼女は志貴殿の孫であり、彼女の意思を継いで死神を目指した彩蓮。私と趣味や話が合い、価値観も似ている。その小さな体に一人で数々の難題を背負い込んでしまう癖がある。甘え下手で、その癖メンタルが弱い。人と距離を取りたがるため人付き合いが悪く、なかなか友人を作ろうとしない。その癖寂しがり屋である。人一倍傷付きやすく、人一倍甘え下手で、人一倍努力家で、人一倍一生懸命。彼女の生き方は、人一倍泥臭かった。自分に置かれた状況に文句を言いつつもその決められた人生の中で人一倍もがき、傷付きながらもただひたすらに上を目指していた。

多くの物を一人で背負い込み過ぎた彼女が、いつか壊れてしまうのではないかと思えるほどには脆く見えた。私はそんな彼女を、一番近くで見守ってやりたいと、そう思っているのだろうか。甘ったれた話である。流魂街出身の死神など皆泥臭い生き物である。恋次もルキアも、元から才能はあったが、泥臭く生きてこうして今の地位に就いている。彩蓮は周りに比べれば努力家ではあるが、彼女よりも血の滲むような努力をしている者は沢山いるだろう。探せばどこにでもいそうな女だ。彼女が気になるのは、きっと一時の気の迷いに違いない。時が経てば、いずれこの胸の中で燻る気持ちも消えてなくなるだろう。

私がこうして悶々と考え事をしている間にも時は過ぎていった。彩蓮が席を離れてから十分は経過しただろう。屋台が混んでいるのだろうか。私の視線は、再び彼女の姿を探し始めた。それにしてもすごい人である。この中から彩蓮を探し出すなど……

「……彩蓮?」

見つかる訳がない。そう思っていた彼女は、意外にも早く見つかった。こうも早く見つけ出すことができてしまうと、自分の彩蓮に対する想いを裏付けているようで少し苦い気持ちになった。
しかしそのような感想を抱いているような状況でもないらしい。彼女は背の高い柄の悪そうな男三人組に囲まれていた。小さな背をさらに縮めておどおどと男たちと接している彩蓮は、可哀想になるほど惨めに見えた。これは恐らくナンパというものだろう。私は考えるより先に腰を浮かせた。

このような場合はどのようにしたら良いか、松本が出発前に対処法を言っていた。彼女の言った通りに動くのは癪だがこうなってしまっては仕方がない。

「お嬢ちゃん、小さくて可愛いね?どこからきたのかぐらい教えてよー。」

「だっ、だから、遠いところ、です……」

「遠いってどこ?県外?」

「教えてくれないと道開けないよー?俺たちと遊ばない?」

「い、いやです……。」

「意地悪だなー、仲良くしよう、ね?」

「いやっ……」

「京葭。」

低俗な会話に一石を投じる。その場に居た男三人がぽかんと口を開いてこちらを見ている。しかし一番驚いた様子なのは、名前を呼ばれた彩蓮本人だった。

女がナンパをされたら、下の名前で呼べば良い。そう松本に言われた。名前一言発するだけで彼氏持ちだと思われ、男避けになるという。それが一番労力を使わずにナンパを撃退する方法であると。私は彩蓮の細い腕を掴むと、そのまま荷物番の傘の下まで引っ張って行った。本当に世話の焼ける女だ。

「あ、あの、お手を煩わせてしまい、申し訳ございませんでした……。」

「あのような輩を一々相手にするな。」

「いえ、男の方にあのように声を掛けられるのは初めてだったので、どう対応すれば良いのかわからなくて……助けてくださりありがとうございました。」

彩蓮は深々と頭を下げた。恐らく今まで男とはあまり関わらずに生きてきたのだろう。恋人はいたことがないようだ。買ってきた焼きそば二パックに手を付けることもなく、体育座りで膝に顔を預けた彩蓮は、それっきり無言になってしまった。

京葭。初めて彼女を下の名前で呼んだ。演技だったとしても、その名前を口にした瞬間、自然と動悸が早くなったことを覚えている。下の名前で呼んだ理由を、話した方が良いのだろか。あれは男を追い払うために呼んだまでだ、と。しかしわざわざそれを口にするというのもおかしな話である。
しかし下の名前で呼ぶというのはそれなりに近しい間柄の者がすることであり、上司と部下の関係から一歩ずれてしまうのではないだろうか。このまま訂正もせずに放っておけば、きっと彩蓮は――

「おーい!京葭ー!写真撮ってー!」

「あっ、はい!今行きます!……朽木隊長、私ちょっと行ってきますね!」

弾かれたように顔を上げた彩蓮は、傍に置いてあったカメラを手に取り呼ばれた方へ駈け出して行った。呼ばれた先では松本と鹿野枝が巨大な砂の城を作って遊んでいた。私の苦手な組み合わせである。こうして私と彩蓮が二人セットで荷物番を任されているのも、恐らく彼女らの企てによるものだろう。

京葭、と遠くで呼ばれる彼女の名前に耳をそば立てた。いとも容易く呼ばれるその名を、私はどのような気持ちで発していただろうか。

「京葭……」

何もない空間でその名を吐き出せば、遠くの波の音と周りの雑音がそれを消し去って行った。そこに残ったのは、僅かな胸の痛みだけで。私は思わず頭を押さえた。ああ、きっと私は、もうどうしようもないくらいに彼女に心を奪われているらしい。もう、後戻りできないほどには。




(執筆)130321
(公開)130322