スロー・フロー・スタート | ナノ
なんで私が、こんなことを。目の前には色とりどりの水着美少女。そして一角をくり抜いて作られた二十五メートルほどはあるであろう大きなプール。私はカメラを片手に大きなため息をついた。
私は今、朽木隊長のお屋敷に来ている。こうして彼のお屋敷を訪れるのは三回目だ。しかし今回ばかりは朽木隊長のお招きがあったからではない。松本副隊長に呼ばれたからだ。女性死神協会でプールに行くから京葭も、と。実を言うと私は水泳があまり得意ではない。浮き輪がないと沈んでしまうほどには苦手だ。それに私は死神協会には所属していない。部外者の私が行っても申し訳なくなるだけである。そう思い丁寧に断りを入れたのだが。
「花火大会の時の写真、ばらしちゃうわよー?」
松本副隊長はそう言うと、隊長と私が並んで写る写真をちらつかせた。そう言われてしまえば、私はおとなしく彼女に従うしかなくなってしまうのだ。あの時は完全に油断していて気付かなかったのだが、後日その写真を見せられた時は全身から血の気が引いて行くのを感じた。そんなこんなで、私は完全に弱みを握られているのだ。
しかし泳げないものは泳げない。それに水着も持っていない。ということで、私は撮影班として借り出されることになった。写真を撮るだけなら水に触れることもなさそうだし、何より写真を撮るのは好きだ。そう思って少しは気が楽になっていたというのに。
「……あ、あの、松本副隊長。一つだけ質問してもよろしいでしょうか。」
「なに?」
「どうして、朽木隊長のお屋敷の前にいるんでしょう?」
そうして案内されたのは、朽木隊長のお屋敷だった。それも正門ではなく、何故か裏側である。私は朽木隊長の家に招待されたのではなく、プールに招待されたはずである。それなのに何故。
「どうしてって……プールよ。」
「だから、なんで朽木隊長のお屋敷にプールがあるんですか?」
「女性死神協会で作ったのよ!」
「……それ、朽木隊長の許可取ってるんですか?」
「さあ、入るわよ!みんなもう中で待ってるから!」
私の質問を丸々無視したところを見ると、恐らく無断なのだろう。これは立派な犯罪である。慰謝料請求できるレベルには大罪なのではないだろうか。
私がそんなことを悶々と思っている間に、松本副隊長は裏口の扉を開いた。どうやらここから地下通路でプールのある庭まで繋がっているらしい。随分と凝ったことをしているな、などと妙に感心してしまった。
そうして到着したのが、隊長のお屋敷の裏手だった。日本庭園の一角を切り抜かれたようにして立てられた人工物。真っ白い西洋風の屋外プールだった。周りに生えているヤシの木が周りとミスマッチすぎて笑えるほどだ。松本副隊長の話によれば過去に何度かプールを建設したが、どれも隊長の千本桜で破壊されてしまったらしい。今回はそう簡単にはばれないように結界を張っているらしい。いつも思うのだが、何故松本副隊長は遊びに費やすその労力と知恵を仕事に生かさないのだろうか。
「あっ、京葭!遅いよー!」
「たまちゃんまで!?」
「あれ、水着は?泳がないの?浮き輪もあるのに。」
「いや、私は撮影係だから……。」
涼しそうな水着のたまちゃんたちとは違い、私は暑苦しそうな死覇装の上からカメラを下げている。とりあえず、ということで水着美女たちがわんさか溜まっているプールの方にカメラを向け、数回シャッターを押した。ああ、なんて華やかなんだ。
「松本副隊長、ここにいらっしゃるのは全員席官以上の方なんですか?」
「うーん、大体そうねぇ。それ以外だとほら、あれが夜一さん。」
「おお、あの爆乳の方が噂の夜一さんですか!」
「そうそう!で、その隣の貧相な胸の方が砕蜂隊長!で、その前にいるのが十一番隊副隊長のやちるよ。で、あれが七緒。あれは胸パッド詰めてるわね……」
「あ、ちょっと、松本副隊長!」
そう言うが否や、松本副隊長は伊勢副隊長の方へ行ってしまった。狙われた先の伊勢副隊長は胸の中に手を突っ込まれたりなんだりで色々大変そうである。思わず凝視していた私だったが、はっとして手元のカメラでその光景を写真に収めた。折角来たのだから撮らなきゃ損である。
たまちゃんも松本副隊長も泳ぎに行ってしまい、私は一人になってしまった。私はあちらこちらにカメラを向けては撮り、こちらにピースサインを送られればすかさずそちらにカメラを向けて撮り、ということを延々と続けていたが、いい加減飽きてしまった。話し相手もいないのである。
プールの風景を撮ることに飽きてしまった私は、朽木隊長のお屋敷の方にカメラを向けた。見れば見るほど大きなお屋敷である。プールの反対側には素朴な庭園が広がっており、その中には見たこともないような草花が咲いていた。もしかしたら桔梗もあるのではと思った私は、プールを離れてそちらに足を進めた。
少し歩いたところから、建物が見えた。このまま足を進めれば、隊長のお屋敷にぶつかってしまうらしい。私は草むらに身をひそめ、こっそりとそちらの様子を伺った。ほんのりと鼻を刺激するお線香の香り。私は咄嗟に身を隠した。誰かいるに違いない。私はカメラのレンズだけを草むらから出し、ズームを最大限に設定した。大丈夫、ここは結界の範囲内のはずだ。ばれる訳がない。
数回シャッターを押してカメラの画面を覗き込む。カメラがとらえた光景は、小さな部屋に開け放たれた襖、そして仏壇、その前に座る朽木隊長だった。私は心霊写真でも撮ってしまったかのような気持ちになった。だって、その写真に写っている朽木隊長が、ばっちりこちらに視線を向けていたから。
「ヒィッ、」
声にならない悲鳴を上げ、私はその場に尻餅を付いた。ザリ、ザリ、というこちらへ近づいてくる足音。私はあれやこれやと考える前に、一目散に走って逃げた。このままだとプールが見つかってしまう。見つかる前に皆に避難勧告を――
「縛道の六十一、六杖光牢。」
遠くの方で声が聞こえたかと思えば、前に進んでいたはずの私の体は帯状の光で固定されてしまった。いくら手足を動かしても前に進むことが出来ない。これが隊長格の力、なのか。私は泣きそうな顔で、恐る恐る後を振り向いた。
「…………彩蓮?」
「あ、あは、は……彩蓮です……。」
「彩蓮か?何故このような所にいる。」
隊長は目を丸くしている。どうやら私だということには気付いていなかったらしい。恐らく結界の力で霊圧が読みにくい状態になっていたのだろう。まあ、気付かれてしまっては元も子もないのだけれども。
「……えっと、それが私にもよくわからないと言いますか……。」
「…………女性死神協会絡みであろう。」
「え、えっと……。」
私は泣きそうな顔になっていた。鬼道で動きを封じられている以上、ここから逃げ出すこともできない。もし逃げ出しても捕まるに決まっている。私はこのままここで隊長の刀で制裁を受けることになるのだろうか。私は固く目を閉じた。
途端、体の締め付けがなくなった。足に力を入れることをやめていた私は、いきなり鬼道を解かれたせいで膝から地面に落ちた。
「痛っ!」
「すまぬ、怪我はしていないか?」
「あ、はい、大丈夫です……?」
妙だ。隊長が優しい。今に始まったことではないが、最近の隊長は変に私に優しかった。特に花火大会が終わってからは。花火大会と言えば、隊長と私の手が少しだけ触れたあの事件を思い出す。あれは酒に酔っていたせいでそう感じていただけかもしれないと思っていたが、松本副隊長が見せてくれた写真を見ても完全に手が触れ合っていた。
たまちゃんには隊長は京葭の事が好きなんだと言われたが、隊長には奥様がいらっしゃるはずだ。不倫、という言葉が頭の中を過った。いや、この隊長に限ってそれはないだろう。何はともあれ、隊長に奥様がいらっしゃるということは、口外してはならないことのように思えた。
「この時期ということは……また庭にプールを造ったのか?」
「…………。」
「ご丁寧に結界まで張るとはな……この結界は四楓院夜一のものであろう。」
「…………え、えっと……。」
「良い、お前は下がっていろ。」
地面に膝を付いたままの私を余所に、隊長は怒りのオーラを滲ませたままプールの方へ歩いて行ってしまった。私はそれをただ唖然と見送ることしかできなかった。
間もなくして聴こえてくる、松本副隊長たちの悲鳴。変態!覗き魔!などの罵声を掻き消すように、遠くの空で綺麗な桃色の花びらが散るのが見えた。続いてやってくる轟音と爆風。
怪我人は、いないだろうか。ばれてしまったのは、紛れもなく私のせいだ。私がうろつかずに大人しくプールに留まっていれば、きっとこんなことにはならなかっただろうに。私は静かに肩を落とし、心の中で皆に謝った。
(執筆)130316
(公開)130320
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意外と暇になりそうなのでアップ笑
アニメでプール爆破からの現世慰安旅行の回がありますが、それとはまた別の時間のお話です。