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あれ、私もしかしたら、隊長にものすごく失礼なことをしていたかもしれない。そんな考えが、ふと脳裏を過る。横たえていた体をそっと起こすと、私の前に置かれた湯呑のお茶の水面越しに、ぼんやりと浮かんだ花火が見えた。
ああ、そうだ、私は今日朽木隊長のお屋敷に花火を見に来ているんだ。なのに、松本副隊長にありえないほどの量の酒を飲まされ、ふらふらになって逃げてきたところを隊長に助けられたんだ。でも、ここはどこだろう。私は今確かに縁側のような場所に横になっている状態だけど、隊長に会った場所はこんな場所じゃなかったような気がする。移動、したのだろうか。途切れ途切れに頭に浮かんでは消えていく、曖昧な記憶。思い出しては蘇る掌の感触と、思いがけず飛び込んだ隊長の腕の中の感覚。ああ、私は、なんてことを。状況を理解した私は慌てて飛び起きた。

「はっ、わ、わたし……」

「目が覚めたか。」

声のする方を振り返れば、本に目を落としたままの隊長の姿があった。隊長の姿、というよりかは、朽木白哉としての姿、と言った方がしっくりくる。普段の死覇装に隊首羽織という六番隊隊長としての姿ではなく、今の彼は涼しげな着流しを着ていた。そのような隊長の姿を目にするのは今日が初めてで、先ほど初めてこの姿を目にした時は、一瞬誰かわからずに戸惑ったほどだ。

そしてべろんべろんに酔った私は、よろけて隊長の腕の中に倒れ込んだり、許可なく腕を掴んだり、漸くたどり着いたこの場所で行儀悪く舟をこいでいたらしい。私は酒癖が悪い。酔うと他人に馴れ馴れしくなる私は、ボディタッチに抵抗がなくなったり、抱き着きたくなったり、異性を無駄に意識させてしまうわ同性からは尻軽呼ばわりされるわで何も得のしないタイプの酔い方である。普段たまちゃんと飲むときは一杯に留めておくようにしているのだが、松本副隊長の酒癖はもっと悪かった。他人を巻き込んで飲むタイプの酔い方である。他に行き場のない私は初めはちょびちょびと飲んでいたのだが、どうやらそれは飲みやすいタイプの酒だったらしい。アルコールは沢山入っていたにも関わらず喉の通りが良いその酒は、どんどん私の体に流し込まれていった。気付いた時には時すでに遅し。私は最後の力を振り絞り、それでもなお酒を飲む様勧めてくる松本副隊長からの逃亡を図ったのだ。

酒癖の悪い私が隊長の腕を掴むだけで済んだのは不幸中の幸いである。抱き着いたりキスを迫ったりしていたら洒落では済まされないだろう。しかしそれでも私のような平隊員が隊長の腕を掴むなど、身の程を知れと思われてしまっただろう。

私は頭から滑りこむようにして畳に額をくっ付けた。渾身の土下座である。

「申し訳ございませんでした!」

「良い。顔を上げろ。」

「いえ、もう隊長に合わせる顔がありません……本当に……」

「良いと言っているであろう。見苦しいぞ。」

恐る恐る顔を上げると、隊長は呆れ顔で私に水を差しだした。それを受け取ろうと伸ばす自分の手が少しだけ震えている。どうやら相当酔いが回っているらしい。頭も若干痛い。明日の任務に響くから飲まない、と隊長の目の前で豪語しておきながらこのざまである。私は泣きそうになった。

「これを飲んで落ち着くと良い。」

「あ、ありがとう、ございます……。」

湯呑をなんとか手の中に収め、水を一気に流し込む。焼け爛れるように熱い喉が、少しだけひんやりとして気持ち良い。一滴も残さずに飲み切った私は、空になった湯呑をおずおずと膝元に置いた。

「少しこちらで涼んで行くと良い。」

「いえ、ですが、隊長にこれ以上ご迷惑をお掛けするのは……」

「花火もまだ中盤だ。今戻ると松本乱菊が煩いであろう。」

確かに今戻ればまた松本副隊長の餌食と化してしまうだろう。かといって、他に一緒にいてくれる人もいないだろう。おそらくたまちゃんも未だかつてないほど酔いつぶれているはずだ。それに一人であの場所まで辿り着ける自信はない。ここがどこかもわからないし、あの場所とどれぐらい離れているのかもわからないし、そしてなによりまだ酔いの回った体である。途中で倒れないでいられる保証はない。私は隊長のお言葉に甘えて少しだけ身を置かせていただくことになった。

縁側に腰掛け、足を投げ出す。よく見ればここは、数か月前に隊長に手合せしていただいた中庭ではないか。ということは、ここは隊長の自室だったらしい。私の姿勢が急に改まった。

「そう堅くならずとも良い。」

隊長が私の横に腰を下ろした。死覇装と同じ着物とは言えど、着流しの方が圧倒的に露出度が高い。任務中の隊長は着くずれすることもなく死覇装を着こなし、手にはおそらく貴族の証であろう手袋のようなものをしている。露出はほぼゼロといったところである。しかし今の隊長の着流しの姿は若干胸元が開いており、鎖骨から下のスペースが若干広めに見えている。普段見ることのない隊長の手の甲は少しごつごつしていて、うっすらと血管が通っている跡が見える。男性らしい大きな手だ。隊長はこの手で、あんなに美しく繊細で、力強い文字を書くのだろうか。書類に筆を走らせている姿はよく目にするが、書道を嗜む際は、どのようにして字を書かれるのだろうか。

「……私、隊長が字を書いているところを見てみたいです。」

ふと、口を付いて出た言葉。なんて図々しいんだ、私は。そう思い慌てて口に手をやるが、隊長の言葉はごく普通に返ってきた。

「今は時間が取れぬ故……いずれ都合が付けば、そのような機会を設けることにしよう。」

「いえ、そんな大層なことではなく……」

「良い。私もお前の書く字には若干興味がある。」

胸が高鳴る。隊長が、あの隊長が、私の字に興味を示してくれている。字を書くという点においては、私は隊長と対等に渡り合えるのだ。そのことがたまらなく嬉しくて、たまらなく誇らしくて、思わず顔が綻んだ。

「……志貴殿は、元気にしておられるか。」

「あ……えっと……」

志貴殿。婆様の名を耳にした時、私は顔を曇らせた。きっと隊長は婆様に会いたいと、そう思っているのだろう。
婆様の体調はあの日以来、だいぶ回復の兆しを見せていた。それでも体調は万全ではなくて、やはり免疫力の方に問題があるようだった。命に関わる病気ではなかったことは喜ばしいのだが、婆様と私に残された時間の少なさを思い知らされたようだった。

「……婆様は今、体調を崩していて……」

「……そうか。」

「あ、でもただの夏バテで、だいぶ良くはなったみたいです。」

私は慌ててフォローを入れた。隊長にこのような愚痴零しをするべきではないし、思えばそんなに大した事件でもない。本当にただの夏バテである。

「……彩蓮。あまり、一人で抱え込むな。」

「いえ、そのような事は……」

「お前は甘え下手に見える。少しは周りに頼ることも大切だ。」

私は喉を詰まらせた。隊長は、本当にすごい。虚勢を張っていることなんて、きっと彼にはお見通しなんだろう。
私は昔から、人に頼ることをあまりしない人間だった。依存してしまいそうで、怖かった。だから私はたまちゃんとも腹八分目の関係を築き上げてきたし、程よい距離感がとても心地よくて、彼女にはだいぶ気を許していた。自分の性格の悩みだったり、実力の悩みだったり、時には恋愛相談だってしたこともある。だけど今回婆様が体調を崩した時、私は彼女にそのことを相談することができなかった。話したところで彼女にはどうすることもできないだろうし、その話をしてしまえば私はきっと泣いて縋り付いてしまう。そして私は、自分が思っていたほど彼女に気を許していないのだということに気付いた。完全に心を預けられる、安心してそばに寄り添える人は、後にも先にも婆様ただ一人しかいなかった。
そんな婆様が、私の前から消えてしまうかもしれない。そんな不安を、私は誰にぶつければ良いのか。その不安を私ごと受け止めてくれるような人は、少なくとも今のところ存在しない。

隊長にこの不安をぶつけるなんて、とんでもない。できる訳がない。だって隊長は、私の上司であり、それ以上でもそれ以下でもないのだから。だけど、私の心の弱さ、不安、本当の気持ちを知ってくれて、見破ってくれた人がいる。その事実だけで、私はとても救われたような気がした。

「隊長……、ありがとう、ございます……っ」

「……ああ。」

「ごめんなさい、少しだけ、泣いても良いですか……」

「好きにしろ。」

隊長は、いつもは隣を歩くことすら躊躇ってしまう程に、私の手の届かないところにいるような存在で。だけど今日は、隊長の隣はなぜかとても居心地が良くて、安心して泣くことができた。きっとこれも、酔いが回っているせい。一人の時は流れてこない涙が流れるのも。隊長の隣がとても安心するということも。そして、床に置いたままの私の左手に、少しだけ隊長の手が触れているということも。きっと全部、酔いが回っているせいだ。




(執筆)130311
(公開)130318