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七月。梅雨独特の湿気もなくなり、比較的過ごしやすい時期を迎えようとしていた。大分軽くなった薄手の死覇装が、心地よく風を通した。今日の任務は午前中で終わりである。午後から非番を貰い、婆様に会いに行くのだ。私は揚々とした足取りで寮へ帰り、普段着に着替えた。いくら薄手とはいえ、全身真っ黒の死覇装は夏に着るには少しきついものがある。久しぶりに袖を通した普段着用の着物はとても涼しくて、胸が高鳴った。
この数か月間で撮った写真とカメラを持ち、私は寮を出た。この時間の瀞霊廷は閑散としていて、自然と心が弾んだ。今から、婆様に会える。




久しぶりに訪れた婆様の家には、桔梗の花は咲いていなかった。

「でね、これが私の研修を担当してくれた理吉さんでね……」

写真をぱらぱらとめくりながら、婆様に解説をする。理吉さんと私がぎこちない距離を開けて写っている写真を婆様に見せると、布団に横たえたままの彼女はほおっと息を吐いた。

「で、この後あたりに写ってるのが阿散井副隊長!怖いけどしっかりしてる副隊長なんだよ!」

先い程から部屋に響くのは、私の興奮したような声だけだった。婆様は辛うじて開かれた目で、その写真と私を交互に捕えていた。目じりが少し下がっているところを見ると、どうやら笑っているらしい。

「あとね、これが私の隊の隊長。朽木隊長って言って……婆様知ってるよね?隊長が婆様のことすごく尊敬してるみたいで、婆様の話でよく盛り上がるんだよ!字がとってもお上手で……」

隊長にいただいた三枚の写真を見せると、伸びてきた婆様の手が、懐かしむようにその写真を撫でた。私はもっとよく見えるようにと、婆様にその写真を近付けた。
隊長に関しては、話したいことがありすぎた。自然と次から次へと零れてくる単語を必死で繋ぎ合わせ、それを婆様に聞かせた。

「……朽木くん、ね……懐かしいわねえ……そう、隊長になったのね……」

「うん!婆様が三席だった時に隊長が入隊したって聞いたよ!」

婆様が発した弱々しい言葉に、必死でしがみ付いた。が、言ってしまった後に私ははっとして口を閉ざした。婆様が三席だったというのは隊長から聞いた話で、婆様から聞いた話ではない。この件に関しては、私から口を挟んでも良いものではないような気がしていた。
しかし当の本人はあまり気にも留めていないらしい。相変わらず遠くの方へ視線を向けた婆様は、ぽつりぽつりと言葉を吐き出した。

「最後に書道展で会ったのも、いつだったかしらねぇ……まだ字が書ければお会いできるのに、残念ね……」

「……大丈夫!まだ書けるよ、ね!腰だっていずれ良くなるって!」

その言葉は、必死に自分に語りかけているようにも聞こえた。大丈夫、だなんて、そんな無責任で陳腐な言葉。私は自分の不甲斐なさに泣きそうになった。

婆様の病状は悪化していた。以前、入隊する直前に顔を出した時は元気だった。腰を叩きつつも元気に歩いていたし、庭の手入れもきちんとしていた。思うように書けなくなったと言いつつも、私の前で久しぶりに字を書いてくれた。
今目の前にいる彼女は、まるで別人だった。布団に寝たきりで、その目つきも声も、全てが弱々しかった。毎年庭に咲いていたはずの桔梗の花がなくなっていたのを目にした時から、薄々感づいてはいた。腰の病状とかいう問題ではなく、婆様の寿命が近付いてきているのだということに。

こんなことなら、少し無理をしてでも毎週会いに来ていればよかった。最近は仕事が忙しくてそのような余裕はなかったのだが、婆様の状況がわかっていれば見舞いにきてあげられたというのに。

「……ご飯、ちゃんと食べてる?」

「大丈夫、隣の禄さん一家が、毎日様子見に来てくれるの……」

「そっか……なら、よかった……」

「そんな顔しないの、ただの夏ばてよ……ね?」

そう言って私の頬を撫でた婆様の手は、骨のようにごつごつしていた。その感触に、私は思わず唇を噛み締めた。
婆様は夏ばてと言い張るが、私にはとてもそうは思えなかった。私を安心させるために言っているようにしか思えなかった。でも、禄さんたちが毎日お世話をしてくれていると聞いて少し安心した。本当にご近所さんには恵まれているようだ。帰りに挨拶しなくては。

「……これからはちょくちょく会いにくるからね!」

「私のことはいいから……お仕事頑張りなさいな。」

「ううん、いいの。婆様に会いたいもん。あと、朽木隊長も桔梗大好きだって……あ、そうだ!今年は私が桔梗の種植えるよ!」

「あらあら……それはありがたいねぇ……」

「あと、夏ばて治ったら、また一緒に字書こうね!書道展も行こう!」

斬魄刀の名前も、と言おうとしたところで私はぐっと堪えた。ああ、もう、往生際の悪い。私はこうして、叶えられるかどうかもわからないせりふで、必死に婆様を繋ぎ止めることしかできないのだ。近いうちにやってくるであろう別れに、気付かぬふりをして。私に残された時間は、あと僅かなんだ。目を閉じて、ゆっくりと立ち上がる。私はもっと、もっと、強くならなければ。




こってりとした夕暮れの中に彼を見つけたのは、私が婆様の家を出てから数分後のことだった。どこの子どもかと思っていたその後ろ姿は、見れば見るほど誰かに似ていて。

「日番谷隊長……ですよね?」

あと五歩分というところまで彼に近付き、後から話しかける。無愛想な顔を作って振り向いたその男は、やはり十番隊の日番谷隊長だった。死覇装ではないところを見ると、私と同じく非番を取っているのだろう。それにしても非番の日に彼は何故このようなところをふらついているのだろうか。

「……お前、誰だ?」

「あ、申し遅れました……今期より六番隊に配属されました、彩蓮京葭と申します!」

「彩蓮京葭……松本がよく騒いでる奴、か……。」

騒いでいる、とは。またあの人は良くない噂を流しているのだろうか。私は内心びくびくしていた。朽木隊長とのこととか、態度の悪い隊士だとか、そんな感じの噂だろうか。

「松本がいつもうるさくて迷惑してるだろう、適当に無視してもらって構わねえぞ。」

「いっ、いや、無視だなんてそんな!」

「相手にすると余計調子に乗るからな。」

目上の人を無視だなんて、そんなのできる訳がない。確かにここ最近は度々写真撮ってくれだの朽木隊長とはどんな感じかだの色々と言ってくる頻度が増してきたように思えたが、それもだいぶ慣れてきた。そしてその面倒臭さが少し心地良いと感じてしまうほどに、松本副隊長の存在は私の中に馴染んでいた。身近に友人がいないためだろう、相手にされるのが少し嬉しくなってきたのだ。

朽木隊長がどうこうと騒ぎ立てている松本副隊長だったが、彼女はそれをやたらと人に言いふらすようなことはしなかった。現に今、そのような噂は全く出回っていない。恐らく彼女にとって朽木隊長と私のことを訊くのは、挨拶の一貫となっている。

「……ところで彩蓮、お前なんでこんなところにいるんだ?」

「えっと、私は婆様の――実家に行ってきた帰りです。隊長は?」

「奇遇だな、俺もばあちゃんちに行ってきた帰りだ。」

「えっ、日番谷隊長のおばあさま、こちらにお住まいなんですか?」

「ああ、そうだ。昔は俺と……五番隊副隊長の雛森が、世話になっていた。」

西流魂街一地区の潤林安。流魂街で最も治安が良いとされている地区である。この地区出身の死神は多いと聞くが、日番谷隊長も雛森副隊長もこの地区出身だったとは。
それにしてもわざわざ非番を取って婆様に会いにきてるとなると、日番谷隊長も相当のおばあちゃんっ子なのだろう。その斬魄刀のせいか、髪の色のせいか、目の色のせいかはわからないが、勝手に冷徹そうな人だというイメージを持っていた。意外と優しい人らしい。

「お前のばあちゃんはどこに?」

「あ、えっと……ここの路地をまっすぐ行って、酒屋の角を曲がったところの……」

庭に、桔梗の花が咲いている家。そう言おうとして、私は言葉を詰まらせた。そうだ、もうあの家には、桔梗の花は咲いていないのだ。

「……昔は、桔梗の花が綺麗で……。だけど、体調が悪いみたいで、家に籠りっきりで……。」

「……そうか、何か、悪い。」

私の今にも泣きだしそうな顔を見た隊長は、決まりの悪そうな顔で謝った。こんな話がしたかった訳ではなかったのに、隊長に余計な気を遣わせてしまっただろうか。むしろ私が謝りたい気分だ。

「数か月前までは元気だったのに、今日来てみたら……すごく、辛そうで。先が長くないっていうのはわかりきってるはずなんですけど、でも……」

そんな私の心とは裏腹に、私は胸の内に抱えた不安を彼にぶつけていた。彼は黙って私の話を聞いてくれた。私よりも小さい隊長の背に、少しだけ安心しているのかもしれない。横に並んでから心のどこかで親近感が湧いたというのは否定できない事実である。今まで私より背の低い人にあまり出会わなかったから。

私の言葉は、一粒一粒地面に落ちるように少なくなり、やがてなくなった。色々な不安がごちゃまぜになり、上手くそれを言葉にすることができなくなっていた。少しの沈黙の後、日番谷隊長が漸く口を開いた。

「……年寄りってのは、案外しぶといもんだ。」

「……そう、ですかね……」

「俺のばあちゃんも、昔はもうこのまま消えてなくなるんじゃないかってぐらい小さくなったことがあってな……。俺も覚悟はしてたんだけど、それでも今もずっとしぶとく生きてるぞ。」

「……。」

「彩蓮、今は辛いかもしれねえが、きっと良くなる。お前に出来ることはちまちま悩むことじゃねえ。こまめに様子見に来てやることだ。」

「……はい、そうします。」

日番谷隊長の言葉に、自然と心が落ち着いた。同じ年寄りの身内を持つ身である日番谷隊長のお言葉を聞いて、少し安心したのかもしれない。私がここで悩んでいても仕方ない。これからは少しでも多くの時間を婆様と過ごそう。一週間に一回は時間を見つけて会いに行こう。それがきっと、私にできる最大限の親孝行なのだ。

「あの、ありがとうございます。」

「何がだ。」

「……日番谷隊長のお陰で、少し元気が出ました。」

「別に励ましたつもりはねえよ。」

朽木隊長もそうだけど、護廷十三隊の隊長って少し扱い辛い気がする。だけど、不器用で優しい人が多いのかな。何はともあれ、私はまた大切な何かを見つけられたような、そんな気がしていた。




(執筆)130307
(公開)130313