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翌日、私の体は重かった。昨日の今日である。阿散井副隊長に何を言われるかわからないし、もしかしたら態度の悪い隊士という印象を持たれているかもしれない。隊長と私の噂が広まり、周りから囃し立てられたり地味な嫌がらせを受けたりするかもしれない。おまけに外は雨模様。六月特有の湿気で、私のただでさえくせっけな髪は大爆発を起こしていた。まとまらない髪を無理矢理縛り、身支度を整える。

一番の難関は、写真をどうやって返してもらうかということだ。たまちゃんが持っていれば一番取り返しやすいのだが、他の副隊長が持っていた場合は厄介だ。吉良副隊長はあり得ないだろう。だとすると、阿散井副隊長か松本副隊長である。どちらに話しかけるにしても、気が進まなかった。阿散井副隊長は怖いし、松本副隊長は扱いに困る。今日の昼にたまちゃんに聞いてみて、持っているのが彼女ではなかったらその時また考えよう。胸に数多くの不安要素を抱きかかえながら、私は重い足取りで寮を出た。



私の心配ごとの一つは、杞憂に終わったらしい。六番隊隊舎は普段通り騒然としていて、誰一人として私に視線を送る人はいなかった。いくら噂好きの松本副隊長とは言え、昨日の今日で噂が出回る訳もないかと思い直し、私は内心ビクビクしながらも席に着いた。
今日やる分の書類を机の上に出し、仕事の準備に取り掛かろうとしたその時。後からぐいっと肩を掴まれた。いきなりのことに慌てた私は、思わず手に持っていた筆を落としそうになった。

「あ、あ、阿散井副隊長……」

「ちょっと来い。」

私の肩を掴んだのは、阿散井副隊長だった。きっと昨日の件だろう。最悪、だ。私は一体何を言われるのだろうか。副隊長に失礼な態度を取ってしまったことを、こっ酷く叱られるのだろうか。私は縮こまったまま副隊長の後を追った。

執務室を出て、人気のない廊下を早足で歩く。その間、阿散井副隊長はずっと無言だった。しとしとと辺りを染め行く雨の音でさえ、今はとても恋しい。何か喋った方がよいのか、そう思い口を開こうとしたところで、彼の足は止まった。

「彩蓮、昨日は……」

「あっ、その、昨日は、とんだご無礼をお許しください!」

怒られる前に、謝る。その方が怒られ方が若干甘くなるということを、私はこの数か月間で学んだのだ。私は深々と頭を下げた。私が悪いことをしたなんて微塵も思っていないけれど、言い訳をしたところで状況は悪くなる一方だろう。私は心の中で悪態をつきながらも、きつく目を閉じて阿散井副隊長の次の言葉を待った。

「…………いや、そんなんじゃねえよ。昨日は酔ってたからってものあるが、悪いことしたよな。ほらよ、写真。」

「……はっ、え?」

副隊長はずいっと二枚の写真を渡しに差し出した。昨日乱菊さんに取られたままだった写真である。私は怒られなかったどころか逆に謝られたことに困惑しつつも、副隊長の手からその写真を受け取った。こうして無事戻ってきた二枚の写真を見た私は、なんだか気恥ずかしくなってそっと後に隠した。

「あ、ありがとうございます……。あの、松本副隊長何か言ってましたか?」

「アイツにはもうこんな子供染みたことするのはやめろって言っておいたから安心しろ。」

「本当ですか、ありがとうございます……!噂になるんじゃないかって、夜も眠れないほど心配で……。」

「噂ァ?そんなこと一々騒ぎ立てる奴なんかいねえよ。安心しろ。」

副隊長のお言葉に、こんなに安心させられる日がくるだなんて。気付けば私の心はこんなにも軽くなっていた。今日の朝まであんなに悩んでいたのが嘘のように感じられるほどである。一見怖そうに見える副隊長も、案外優しい人だったらしい。あの隊長よりもずっと身長が高くて威圧感あるし、刺青が怖いということもあり、もっと粗雑な方だと思っていたことを心の中で詫びた。

とりあえず、隊長と私の関係に関する誤解は生まれなかったようだ。松本副隊長とたまちゃんがどう思っているかはわからないが、朽木隊長に一番近いという点で誤解されて一番厄介なのは副隊長だったので、その点では良しとしよう。きっと酔っていたせいで、ついつい話を盛り上げすぎてしまったのだろう。

「それで……実際のところはどうなんだ?」

「え?実際?」

「だから、その……朽木隊長とは、どういう関係なんだ?」

前言撤回。誤解は全く解かれていない模様。私の顔は瞬時に青ざめた。だめだ、全然伝わってない。

「だから、言ったじゃないですか!何もないです!」

「本当か?あの隊長が何とも思ってない女を屋敷に上げるなんて想像もつかねえけど……」

「だから、婆様つながりなんです!」

隊長と私に何かあったら不倫になってしまうではないか。迷惑極まりない噂である。そしてどうやら副隊長も隊長に奥様がいらっしゃることは知らないみたいだ。副隊長なら知っているのでは、と思っていたのだが。むしろ、何故隊長は奥様の存在を公にしないのだろうか。誤解を解くために言ってしまいたいけれど、私が下手に口にして良いものではないような気がした。

「……とにかく、隊長は……」

「恋次、彩蓮、そのようなところで何をしている。」

いつもよりもずっと低い声が、私の話の続きを遮った。副隊長の背筋が驚くほどピンと伸び、面白いほど顔が強張った。恐る恐る副隊長の後を覗き込めば、険しい表情の隊長と目が合った。私は咄嗟に手に持っていた写真を懐にしまった。

「始業時刻をとうに回っている。戻れ。」

「はい、申し訳ございません!」

副隊長が答えるよりも早く謝り、私はくるりと背を向けて小走りで執務室へと向かった。あの場所に隊長と二人取り残されるのも、三人でいるのも、また副隊長と二人になるのも嫌だった。

隊長に、聞かれていただろうか。私の心は、再び鉛を呑み込んだように重くなった。残された隊長と副隊長は、一体何の話をしているのだろうか。私とどういう関係なのか、などと口走ってはいないだろうか。きっと隊長は顔色一つ変えずに否定するだろう。だけどきっと噂が広まるのを恐れ、私と距離を置くようになってしまうだろう。

せっかく手に入れた心地良い関係だったというのに、ここで終わってしまうのだろうか。自分が他の隊士よりも隊長と近しい間柄で、隊長も自分に一目置いてくださっていることは、私の身に余るほどの光栄で、だけどそれを手放すのは嫌だった。私はいつからこんなに我が儘になってしまったのだろう。最初は隊長に会うことすら、あんなに嫌がっていたというのに。

ふと顔を横に向ける。廊下の小窓にぼんやりと反射して映った私の顔は、酷く情けないものだった。私は自分の頬をべちんと両手で挟み、喝を入れた。

「よしっ、仕事仕事!」

悩んでいても仕方ない。隊長が私と距離を置くにせよ、置かないにせよ、仕事のしない死神など隊長にとっては足手まといでしかないだろう。私は心を入れ替え、乗らない足を無理矢理執務室へと向かわせた。




(執筆)130307
(公開)130310