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あの日から一か月。あの日を境に、私は少しだけ毎日が楽しくなった。寝坊や居眠りをして隊長に怒られぬよう、しっかりと睡眠をとるようにした。自主練の時間が削れてしまうのが悩みどころであったが、隊長の激励のお言葉と私の意識の持ちようで、自分の力はだいぶ上がってきたのではないだろうか。未だに斬魄刀の声は聞こえないけれど、昔よりもずっとその手に馴染んだ柄は、次第に私を受け入れているようにも感じた。

新米にも関わらず、虚の討伐の任務も数回任された。それだけ隊長に実力を買われているということなのだろう。私は何よりもそのことが嬉しくて、より一層仕事に精を出した。

終業時刻間際、私は久しぶりに隊長に呼び出しを食らった。最近は遅刻をすることもなく、書類ミスにも細心の注意を払い、もちろん居眠りをすることもほとんどなかった。何か悪いことをしてしまっただろうか。私は自分がしたほんの些細な失態でさえも思い出し、あの件かこの件かと思いを巡らせながら隊首室へ向かった。

「先日の、写真の件だ。」

そんな私の心配は杞憂に終わったらしい。隊長が私を呼び出したのは、つい一か月ほど前に撮った隊長と私の写真の件についてだった。私はほっと胸を撫で下ろした。

「現像が遅くなってしまい、済まなかった。」

「いえ、とんでもございません!隊長もお忙しい中お手数おかけしてしまって……」

「構わぬ。」

この一か月間なんだかんだで多忙だった私は、写真のことをすっかり忘れてしまっていた。というよりかは、隊長と並んで写真が撮れたという事実のみでお腹がいっぱいという状態だった。そういえば隊長の寝顔の写真、まだ消してなかったような気がする。松本副隊長に渡せば高額の謝礼金が手に入るだろうが、私には隊長のご厚意を踏みにじってまでそのようなことをする愚か者ではないし、なにより世間に流出すれば今度こそ私の命はないだろう。

隊長は懐にそっと手を忍ばせ、そこから一枚の小さな封筒を取り出した。その拍子に、一枚の紙が私の足元に滑り落ちた。隊長が懐から封筒出した拍子に、一緒に落としてしまったものだろう。上質な桃色の和紙だ。私は身を屈めて、目の前に落ちたそれを拾った。隊長が柄にもなく焦った様子で椅子から立ち上がったのは、それとほぼ同時だった。

「…………朽木、緋真?」

その小さな和紙の下には、綺麗に整った文字でそう書かれていた。恐らく隊長の文字だろう。隊長の字を見たのはこれが初めてである。
何ともなしにその紙を裏返せば、そこには高貴な身なりの女性が一人、美しく儚げな笑みを浮かべていた。何故か異様に伸びたままの前髪は、隊長の髪型を彷彿とさせられた。

ここに書かれた朽木緋真という文字の意味よりも、写真の女性の正体よりも、私は隊長の書いた字の方に興味をそそられた。

「彩蓮、それは……」

「隊長の字、初めて拝見させて頂きましたが……とてもお綺麗な字を書かれるのですね!」

「……あ、ああ。」

私の言葉を聞いた隊長は、何とも歯切れの悪い言葉を吐き出した。落ち着きのない様子で椅子に座りなおした隊長は、手に持ったままの封筒を私に差し出した。

「あ、このお写真、お返ししますね。……もしかして、奥様ですか?」

「……何故、そう思う。」

「いえ、ただ何となく……もし奥様のお写真をずっと持ち歩いているのだとしたら、とても素敵なことだなぁ、と思ったので……。」

「…………緋真は、私の妻だ。だが……」

「とても綺麗な方ですね……!あ、これありがとうございます!」

私は隊長の手から小さな封筒を受け取り、そのまま懐にしまった。本当は今すぐにでも封を切って中を見てしまいたいと思ったのだが、さすがにここで開けるのははしたないような気がした。

さて、時刻は就業時間を数十分ほど回っていた。今日はたまちゃんと飲む約束をしているのだ。遅れる訳にもいかないので、そのまま深々と一礼した私は、足早に隊首室を去ろうとした。隊長は何か言いたげな表情を一瞬だけ見せたが、私にはそれを気に留めているような時間はなかった。

「では、お先に失礼致します。」

「……ご苦労。」

「奥様にも、宜しくお伝え願います。」

接点も何もないのだから、宜しくもなにもないのだが。社交辞令として口にした一言に、隊長は少しだけ私から目を逸らした。もしかしたら、奥様のことはあまり公にはしたくないことだったのだろうか。色々と思うことはあったが、私はそそくさとその場を後にした。

朽木隊長の奥様のことだ。きっと上流貴族の生まれで、あらゆる才能に長けた方なのだろう。以前隊長のお屋敷にお邪魔した時はお目にかかることはなかったが、屋敷にはいらっしゃらないのだろうか。いらっしゃったけれどお会いできなかっただけだろうか。それとも隊長と同じ死神でお忙しいのだろうか。色々な憶測が頭の中を飛び交ったが、隊長に奥様がいらっしゃるということ自体が私にとっては驚きだった。あれ程冷徹で色恋沙汰に無縁に見える隊長に奥様だなんて。貴族ならではの政略結婚なのかもしれない。だが、奥様の写真をわざわざ持ち歩いているぐらいである。政略結婚だったとしても、それはきっと互いが望んだ結婚だったのだろう。

私は恋愛なんて生まれてこの方したことがないし、結婚とは無縁の女だ。それでもあの隊長に大切に想われている奥様が、少しだけ羨ましいと思った。

「あ、いただいたお写真……」

私は早歩きのまま、しまっておいた封筒を取り出した。待ちきれずにその中身を空けると、先日撮った写真が三枚入っていた。一枚目と二枚目は、あの大掛かりな機材に囲まれた写真。引き締まった表情の隊長とは逆に、私は少しだけ引きつった笑顔を浮かべていた。そして次に私は、隊長の身長の高さと自分の身長の低さを改めて実感した。隊長の隣に並べば、私の低身長はより際立ったものとなっていた。私の身長は隊長の胸のあたりである。

「私、ちっさ……それに、変な顔。」

私はその二枚をそっと封筒の中にしまった。残る最後の一枚は、隊長に手合せしていただいた後、偶然その場を通りかかった従者の方に撮っていただいたものだ。私の隣の隊長の表情は、先ほどの二枚よりも少しだけ緩んでいるように見えた。泣きじゃくった後の私の瞼は若干重そうで、私は斬魄刀を手に握ったままにへらにへらと情けない顔で笑っていた。この時の私は隊長に言ってもらった言葉があまりにも嬉しくて、顔の緩みを抑えることができなかったのだ。汗で額に貼りついた前髪は、入隊当初よりも若干伸びていた。

自分の前髪にそっと手をやる。最後に切ってから二か月以上もの月日が流れたのだ。眉毛の端に少しだけかかっている前髪は、鍛錬の時に少しだけそわそわさせられて邪魔だった。

「……前髪、切ろうかな。」

おかしな話である。あれほど伸ばしたいと思っていた前髪が、今はこんなに邪魔に思えて仕方ないというのだから。



(執筆)130228
(公開)130305