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今日の私は、夕刻からずっと緊張しっぱなしである。まず隊長に盗撮がばれ、そこで一生分の心拍数を使い果たしたかと思えば、屋敷に来るよう命ぜられた。必然的に隊長と帰り道が一緒になる。隊長とは何か言葉を一言二言交わしていたような気がしたが、内容を思い出せない程度には緊張していた。隊舎で言葉を交わしているのとは訳が違う。仕事の帰り道である。それも、隊長のお屋敷に向かいながらだ。これではまるで恋人のようではないか、などという隊長に聞かれでもしたらすぐさま斬り捨てられてしまいそうなことを思ってしまった。実際、隊長の後を付いて歩く私の姿を見た通りすがりの隊士が、ひそひそ声の隙間から黄色い声を漏らしているのを耳にしたりもした。隊長はと言えば、何も聞こえていないのだろう、後を振り返ることも立ち止まることもなく、一部始終悠々とした表情を見せていた。

隊長のお屋敷の大きさは噂には聞いていたが、私の想像を遥かに超えていた。隊長と二人きりの帰り道は長ったらしい塀伝いに歩いてきたのだが、その塀がまさか朽木邸のものだったとは露知らず。その塀伝いに十分ほど歩かされ、この塀はどこまで続くんだと苛立っていたところだった。まさかこの塀の中が、隊長のお屋敷だったとは。限界まで頭を上げて上を見れば、私を呑み込んでしまいそうなほど大きな門がそびえ立っていた。重々しく開く門の中を見れば、街ひとつすっぽり入ってしまうほどのその敷地の大きさに、私は思わず後ずさりした。

門から少し歩いたところにある正面玄関から屋敷の中に入り、お出迎えの使用人さんにじろじろ見られつつも、それからまた気の遠くなるような長い廊下をいくつか渡り、一つの部屋の前で隊長は漸く足を止めた。

「此方で暫し待て。」

そう言って通された部屋は私一人が入るには壮大すぎる空間で、その真ん中に座らされた私は、自分の周りを取り巻く空気が酷く不安定なもののように感じた。隊長は私を中に入れると、またどこかへ行ってしまわれた。そわそわする、落ち着かない。かと言って動き回るのははしたないだろう。私は疼く足を押さえ、隊長が戻られるのを息をひそめてじっと待った。

数分後。静かな空間の中で、少しだけざわめきが聞こえた。ガラガラという何か物を引っ張る音と、数人の足音と、何か喋っているような声。私は背筋をぴんと伸ばし、開かれるであろう襖を凝視していた。

立てつけの良い音を立てて開かれた襖の向こうから、隊長を含めた数人の男性と一人の女性、そして大きな機械が現れた。私は何か声を掛けることも忘れ、ぽけっとした表情でその光景を見ていた。

「松葉、彼女を頼む。」

「はい、白哉様。」

松葉と呼ばれた女性は、しっとりとした歩き方で私の前に進み出た。それまで茫然としていた私だったが、そこで漸く我に返り、慌てて立ち上がった。

「あ、あ、あの……」

「着物の着崩れと、お化粧を直させていただきますね。」

「え、私が、ですか!?」

これはどういうことなのか。私は助けを求めるように隊長の方を見た。隊長は当然のことをしているまでだという表情をしていた。

「直し終わり次第、写真を撮るぞ。」

「は!?……じゃなくて、私ではなくて隊長のお写真を……」

「私一人のものよりも、お前と共に写っているものの方が、志貴殿は喜ぶであろう。」

私は言葉を失った。少し間を開けて、私は思わず泣きそうになってしまった。隊長はこんなにも私のため、いや、婆様のために力を尽くしてくれているのだ。それなのに私は、そんな隊長の気持ちを踏みにじって、隊長の盗撮をして金を儲けようだなんて汚いことを考えていたのだ。申し訳なさと恐れ多さに、隊長の方を見ることができなかった。

隊長とその従者が隣の部屋で準備をしている間、私は丸一日の仕事のせいで少しよれた死覇装を手早く直され、普段あまりしない化粧もうっすらとだけしてもらった。鏡を覗き込めば、そこには唇にうっすらと紅を引かれた私がいた。少し気恥ずかしくなり、両手でぱたぱたと顔を仰いだ。

恐る恐る隣の部屋の襖を開ければ、そこは大掛かりな撮影機材がセットされたスタジオと化していた。大きな照明機材で四方八方取り囲まれ、巨大なレフ板まで用意されていた。まさか私の些細な一言がこのような事態を招いてしまうとは。私の心の中は、罪悪感でいっぱいだ。

「彩蓮、こちらへ。」

「は、はい!」

床を埋め尽くす機材のコードを踏まぬよう、なるべくつま先立ちで歩く。白背景を背にした隊長の横まで来ると、巨大なカメラ……というよりかは撮影機を構えた従者が、手を挙げて合図をした。隊長が体の向きを変えたのに合わせて、私もカメラの方に向きなおした。
憧れの隊長がこんなに近くにいる。そう思うだけで、私は今にも震えあがりそうだった。実際、隊長の体は未だかつてない程近くにあって、少しでも動けば手と手が触れ合ってしまいそうな距離だった。自然と動悸が早くなる。

もう少し体を斜めにとか、顎を引いてだとか、そんな事細かな指示をいくつか受け、何十回もシャッターが下りたところで撮影は終了した。ざっと五分程度である。ずっと同じ体勢で口角を上げていたからだろうか、それとも隊長の近くにいて緊張したからだろうか。撮影が終わった途端に疲れがどっと押し寄せた。恐らく原因は両方だろう。

「あ、あの、わざわざありがとうございました……こんな大掛かりなことまでしていただき、なんだか申し訳ないです……。」

「構わぬ。」

私の言葉に短く返事をした隊長は、従者の方々に機材を片付けるようにと命じた。私がどうするべきかとおろおろしている間に片付けは終わり、あれだけ部屋を埋め尽くしていた機材は全て取り払われ、再び空っぽの空間が広がった。……かと思いきや、それと入れ替わるようにして運ばれてきた座卓。隊長に促されるようにそこに向かい合って座ると、先ほどの女性、松葉さんがお茶を淹れてくれた。本当に至れり尽くせりである。

松葉さんがごゆっくり、という言葉を残して部屋を去った。残されたその空間に、隊長と二人きりである。私が恐る恐る真正面の隊長の方を見ると、その目は真っ直ぐ私を捕らえていた。その目があまりにも美しくて、それが逆に恐ろしくて、私はびくりと跳ね上がった。ゆっくりと目線を外し、手持ち無沙汰に高そうな湯呑を両手で覆った。

「あ、あの私、そろそろ……」

「志貴殿は……」

隊長は、私の言葉に被せるようにして婆様の名前を口にした。私が顔を上げると、隊長の目は私を見ていなかった。どこか、遥か遠くを、昔のことを思い出しているようだった。

「志貴殿は……とても有能な三席であったと耳にしている。」

「え、ええ!?婆様がですか!?三席だったんですか!?」

「…………聞いておらぬのか。」

「……初耳、です……。」

婆様が、元六番隊の三席だったとは。私はあまりの衝撃に黙り込んでしまった。凄腕の死神だったということは昔の彼女の話からなんとなくわかってはいたけれど、彼女は自分の死神時代の事を多くは語ろうとしなかった。その理由は、なんとなく察しがついていた。恐らく思い出すのが嫌なのだろう。彼女は望んでその職を捨てた訳ではない。自分が死神であるということに対し誇りを持っていた婆様は、自分の戦いたいという意思とは裏腹に、次第に思い通りに動かなくなる体をとてももどかしく思い、弱体化していくにつれて更には自分の斬魄刀の名も忘れ、絶望していたに違いない。私は唇を噛み締めた。婆様のためにも、私は強い死神になろうと、そう心に誓ったのだ。

私は婆様と違い、ごく普通な霊力の持ち主で、その戦闘能力もごく普通のものだった。だから私は精一杯鍛錬に励んだ。普通だからこそ、人一倍の努力をしないと、跳びぬけた能力を手に入れることはできない。ずっとずっと血の滲むような努力をしてきた。そして私は、漸くここまで上り詰めたのだ。

それでも私は、まだまだ婆様に追いつくことができないでいる。いや、彼女の足元にも及んでいないのだ。膝の上でこっそりと、手をきつく握りしめた。

「……もう七十年以上も前の話だ。私が入隊したのとほぼ同時期に離隊された故、六番隊で顔を合わせたことはほとんどない。」

「そんな昔、ですか……。」

「きちんとお会いしたのは書道展のみだ。」

昔を懐かしむような目をしたまま、隊長はお茶に口を付けた。私もつられて口を付ける。といっても、猫舌な私は唇に付ける程度にしか飲めないのだけれど。

「……お前の斬魄刀は、彩蓮元三席の物だな。」

斬魄刀、という言葉に、私ははじかれるようにして顔を上げた。そうだ、隊長は婆様の斬魄刀を知っているはずだ。もしかしたらその名前も、知っているかもしれない。

「そうなんです、この斬魄刀は、婆様から譲り受けたものなんです。……戦えなくなってしまった婆様は、この斬魄刀の名前を思い出せなくなってしまったんです。」

「……そうか。」

「だから私、婆様にもう一度この斬魄刀の名前をきかせてあげたくて……でも、まだ私にはわからないんです。」

私は手元の斬魄刀に手を添え、それをそっと撫でる。年季の入った鞘には、確かに婆様の温もりが残っていた。確かに婆様の相棒として活躍していたであろうその斬魄刀の声を、私は一度たりとも耳にしたことがなかった。私にはまだまだ足りないのであろう、婆様と渡り合えるほどの、死神としての力が。

「隊長、ご存じですよね?この斬魄刀の名前を。」

「……。」

「私に教えていただけませんか?」

かつての相棒の名前を、少しでも早く婆様に教えてあげたかった。婆様ももう歳だ。いついなくなるかもわからないというのに、彼女が元気なうちに私が婆様と同じぐらいの力を手に入れることができるという保証はない。私は身を乗り出して隊長の言葉を待った。

数秒の時間を置いて、隊長は小さな溜息をついた。彼の眉が、少しだけきつく結ばれた。

「……私が教えたところで、意味がなかろう。」

「だって、私じゃこの斬魄刀の名前は……」

「知ることは不可能だ、とでも言いたいのか?」

隊長の淀みない目に、私は何も言い返せなくなってしまった。大人しく体制を整えた私は、しゅんと下を向いた。
人から聞いたのでは意味がないことぐらい、わかっている。人伝手に聞くのと自分で知るのでは天と地ほど差があるし、人から聞いた名前を婆様に伝えたところで婆様が喜ぶとも思えない。自分でその名前を手に入れたいと、心の中ではそう思っている。だけど私には、それは到底無理なことのように思えたのだ。

そんなことをうだうだと考えていると、向かいに座っていた隊長がゆっくりと立ち上がった。

「彩蓮、立て。」

「は、はい!」

私が慌てて立ち上がると、隊長は部屋の襖を開けた。促されるまま外へ出ると、そこは中庭に面した渡り廊下だった。中庭には川が流れており、ぴちゃぴちゃと鯉の跳ねる音がする。私はほおっと歓声の溜息を洩らした。

隊長はそのまま中庭へ降り、少しだけ開けた場所で足を止めた。私もそれを慌てて追いかける。私がきょろきょろと当たりを見渡していると、隊長は自分の斬魄刀を鞘ごと腰から外した。

「彩蓮、刀を抜け。」

「……はい、今何と……?」

「刀を抜け。手合せ願う。」

登りかけの月の光を孕んだ隊長の目が、きらりと鋭く光った。




(執筆)130228
(公開)130303