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修練場に入ると、弾けるような音が其処ら中一帯に響き渡っていた。この稽古は剣の腕を上げるためのものではなく、隊長と副隊長が新米隊士たちの実力を知るために行われるものだ。どの隊士も隊長に自分の力を見せたいのだろう、皆練習とは思えないほど必死だった。隊長の後から顔を出した私を見て駆け寄ってきたのは理吉さんだった。彼と入れ替わるように、隊長は各隊士たちの見回りに戻った。

「彩蓮さん!大丈夫だった!?」

「え、何がですか!?」

「何って……怒られなかった?」

「怒られたに決まってるじゃないですか……今日は残業だそうです。」

少しだけしかめっ面をして理吉さんにそう言えば、理吉さんは宥めるように私の肩をぽんと叩いた。こんな時に理吉さんの顔を見ると、泣きそうになってしまう。隊長にはとても憧れているけれどやっぱりまだ怖くて、そんな六番隊で唯一心を許せるのは、理吉さんだけだった。

「知ってるとは思うけど、今日から剣の稽古だよ。彩蓮さんの相手はオレだから、よろしくね。」

「はい、よろしくお願いします!」

理吉さんは手に持っていた竹刀を私に差し出した。それを受け取った私は、胸の高鳴りを抑えることができなかった。ついにこの護廷十三隊で、剣を振るうことができるのだ。この一週間の間ずっと書類と向かい合っていた分、私は自分の腕が疼くのを感じていた。早く剣を振るいたいと、ずっと思っていた。一人で鍛錬をしているだけでは、やはり限度がある。私は剣と剣がぶつかり合う、あの緊張感のある音が大好きだった。

防具を付け、理吉さんと間合いを取り、竹刀を構える。緊迫した空気の中、理吉さんの合図と共に、私は一歩踏み込んだ。竹刀同士がぶつかり合い、心地良い弾けるような音が飛び散る。力強いその音に、私は酔ってしまいそうになった。
霊術院での稽古とは、格が違った。霊術院で私と対等に竹刀を振り合える学生はたまちゃんを含めたごく少数の生徒しかいなかった。しかし今私は、自分と同格か、それ以上の相手に剣を振るっているのだ。底知れぬ高揚感が私を襲った。

勝負の決着は、ほんの数十秒で着いた。私の勝ちである。面を脱いだ理吉さんの額は、うっすらと汗で濡れていた。

「彩蓮さん、すごく強いんだね。びっくりしたよ。」

「……そんな、まぐれです。」

「新米隊士相手に負けるなんて、オレかっこ悪すぎだよ……。」

当たり前だ。だって私の実力は、席官クラスなんだから。そう言ってしまいたくなる気持ちをぐっと堪えた。そんなことを言ってしまえば、きっと理吉さんに生意気な奴だと思われてしまうだろう。私は竹刀をぎゅっと握った。強い人と稽古をするのはとても楽しかった。そして、もっと強くなりたいと、そう思えるのだ。死覇装の袖で汗を拭っている理吉さんを急かすように、私は竹刀を構えた。

「……次!もう一回です!」

「おお、彩蓮さん、やる気スイッチ入っちゃった?」

理吉さんは少し嬉しそうな顔をしていた。席を持たぬ隊士と言えども、理吉さんはベテランの死神だ。彼が振るう竹刀には、命を懸けているような重みがあった。私には少しだけ物足りないけれど、それでも理吉さんとの稽古はそれなりに楽しかった。




稽古も終わり、長い一日は幕を閉じた。隊士たちは各自帰り支度をはじめており、飲み屋に行こうだの友人の家に泊まりに行こうだの、各々楽しそうな会話をしつつ隊舎を後にした。そんな中で私は一人、縮こまったまま席に座っていた。私にさよならを言ってくれる隊士は、理吉さんしかいなかった。さて、残業の始まりである。

今日一日中剣の稽古をしていたおかげで、私はへとへとだった。汗も渇き、私の体は次第に冷えていった。春とは言えど、日が落ちればそれなりに寒い。
早く帰って温かいお風呂に浸かりたい。残業なんてさっさと終わらせて、早めに帰宅しよう。そう意を決して、私は席から立ち上がった。幸いなことに隊首室と隊舎の出口は反対方向で、誰に会うこともなく隊首室に着くことができた。入隊してからわずか一週間で、私は隊首室に何回顔を出しただろうか。こんなに頻繁にここに顔を出しているのは、恐らく私だけだろう。慣れたものである。私は少しだけ緊張した面持ちで、隊首室の扉を叩いた。遅れてきてやってきた入れ、という声で、私はそろりと扉を開けた。

「あ、あの、彩蓮です……。居残りのお仕事を……」

「ああ。……此方へ。」

隊長は相変わらず手元の書類に目を落としたまま、私を呼んだ。おどおどと進み出れば、隊長は私に書類の束を手渡した。両手でそれを受け取り、ぱらぱらとめくる。現世に出現した虚討伐に関する書類だ。研修の時にも手を付けたことがあるので、これぐらいなら私にもできそうだ。理吉さんがいないのは不安だが、一足先に自立するチャンスである。チャンスがあれば、ものにしよう。
ポジティブにポジティブに、と自分で言い聞かせつつ、私は隊長に一礼して隊首室を後にしようとした。

「何処へ行く。」

「へっ、あ、はい!?」

「其処の机を使え。」

隊長は書類から顔を上げ、部屋の右に置かれた予備の机を指差した。私はぽかんと口を開けたまま、その場を動くことができなかった。

「出来上がり次第、此方へよこせ。」

「え、っと、ここで、ですか?」

「そうだ。その方が効率が良い。……何か不満でもあるのか?」

「いえ!そんな、とんでもない!」

不満というか、何と言うか。書類を持つ私の手が、じんわりと汗で滲んでいるのがわかる。書類を手汗で濡らしてしまう訳にも行かない。私は素直に、隊長が指差した机に書類を置いた。私には少し低い椅子を引き、そこに腰を下ろす。机に置いてあった見るからに高価そうな筆を手に取り、墨を摺った。その行動一つ一つの間に、助けを求めるように隊長の方を盗み見るという行動を挟んでいたのは、言うまでもない。しかし隊長はこんな時でも冷徹で、私の方を一瞥たりともしなかった。

私は隊長に助けを求めるのを諦め、書類に専念することにした。この居心地の悪い空間から、一刻でも早く抜け出したかった。怖いけど憧れの対象でもある隊長と、同じ部屋で、二人きりで、無言で作業をしているのである。私は今にも逃げ出してしまいたくなる衝動全てを筆に込め、手を動かした。サラリ、心地良いその書き心地に、私は思わず口を開いた。

「この筆、とても書き心地良いですね……。」

自然と零れ落ちた、独り言とも似つかない言葉。私は慌てて口に手をやった。今は定時外とはいえ、執務中である。仕事と関係のない会話は慎むべきだ。

「あ、いえ、申し訳ございません、ただの独り言なので……」

「最高級のイタチの毛を使用している。」

「……え、あ、この筆、ですか?」

「洲山堂で、特別に作らせた物だ。」

「ええっ!?とってもお高いのでは……」

「大した額ではない。」

洲山堂といえば、超一流の書道専門の店である。その店の一番安い筆でも、気の遠くなるほどのお値段だ。そんな店のオーダーメイドが大した額ではないだなんて、そんなはずがない、という喉まで出かかった言葉を慌てて引っ込めた。大貴族のご当主様である彼と、流魂街のしがない一般人である私では、金銭感覚は食い違って当然である。私が死にもの狂いで稼いだ一か月分の給料だって、彼にとっては紙屑同然なのだろう。というか、こんなにお高いものを私が使ってしまっても良いのだろうか。

返す言葉を選んでいるうちに、返事をするタイミングを逃してしまった。もう少したわいもない話をしていたかったと、少しだけ後悔する。筆と紙が擦れ合う、サラサラという耳によく馴染む音だけが、部屋に充満した。良い筆を使うと、仕事も捗る。元々書くことが好きな私は、その筆の書き心地の良さに、先へ先へと筆を進ませていった。数十分後、手元の書類はびっしりと文字で埋まった。

「隊長、書類ができ上がりました。」

「……随分と早いな。」

「はい、隊長がお貸しして下さった筆のお陰です。」

隊長に書類を渡し、一歩下がる。隊長の口から次に発せられる言葉を、今か今かと待ち望む。

「……彩蓮、今宵はまだ時間はあるか。」

「あ、はい、大丈夫ですが……。」

「もう一つ、頼みたい書類があるのだが……良いか?」

「はい!喜んでやらせていただきます!」

あれほど早く帰ることを望んでいたというのに、おかしな話である。隊長に頼りにされているという事実が嬉しすぎて、今日の疲れも、シャワーで洗い流したい汗のことも、全てどうでも良いことのように感じてしまうのだ。

隊長から次の書類を受け取り、先ほどの席に着く。隊長は私が書き終えた書類に目を通し、それに印を押していた。字は汚くないか、読みにくくないか、不備はなかったか、など色々な不安が一気に押し寄せてきたが、隊長の表情からは一切の感情が読めなかった。

そう言えば隊長は、いつも書類と睨めっこしているような気がする。隊首室を訪れると、彼はいつも書類に目を通していた。書類の仕事ばかりでつまらないと愚痴を零している新米隊士もいるようだが、恐らくこの隊で一番多くの書類を処理しているのは隊長だ。隊長はいつも、終業時刻を過ぎても帰ることはなかった。おそらく書類の仕事をしているのだろう。

「……隊長。」

「何だ。」

「私に出来ることがあれば、言ってくださいね。」

出過ぎた真似だということは十分理解している。入隊して一週間の新米隊士が何を言っているんだ、と思われるかもしれない。でも、私の言葉に嘘や偽りや下心は全くない。ただ純粋に、隊長のお力になりたいと、心からそう思えたのだ。

「……要らぬ気遣いだ。」

「も、申し訳ございません……。」

「……だが、彩蓮の字は読みやすくてとても助かる。」

私は下を向き、綻んだ口元を隠した。ぎゅっと筆を握りしめる力が強くなった。少しでも隊長の力になれるなら、何万字でも、何億字でも、綺麗な字が書けるような気がした。ありがとうございます、とだけ答えた私は再び筆を動かした。少しでも早く書きあげて隊長を驚かせたいと思う気持ちと、少しでも長くこの空間に居たいと思う気持ちが混ざり合い、不思議な色が心の中に落ちた。初めての残業は、なんだかとっても楽しかった。



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