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ああ、やってしまった。今世紀最大の絶望は、起床と共にやってきた。未だに鳴り止まない目覚まし時計のスイッチを、確かな殺意を込めて殴って止めた。ガシャン、と鈍い音をたてて畳の上に転がった目覚まし時計は、何度確認しても九時を指していた。私は手で顔を覆い、再び布団の上に倒れ込んだ。

ここ一週間、遅刻をしないように頑張っていた方だった。日課にしていた深夜鍛錬もほどほどにして、日付が変わる頃にはきちんと床に就くようにしていた。しかし昨日の私はいつもと違った。隊長への苦手意識が少しだけなくなり、さらには酒が入りテンションが上がっていた私は、強くなりたいという熱意に燃えていた。寮の裏の空き地で、つい深夜三時過ぎまで稽古に励んでいたのだ。明け方に目覚ましをセットし、やっとのことで眠りについた私は、気付けば鳴り止まない目覚ましを一時間以上も放置したまま眠りこけていたらしい。普段から最低五時間は寝ないと目を覚まさない私のことだ。酒がまわっていたこともあり、いつもよりも寝起きが悪かった。

私は布団からのろのろと起き上がり窓を開けた。朝の空気は皮肉なまでにも透き通っていて、辺り一面静寂に包まれていた。ここら辺一帯には、おそらく私一人しかいない。皆とうの昔に隊舎へ向かったはずだ。
この近くに朝起こしてくれと頼めるような仲の良い友人は一人もいない。たまちゃんの寮はここから歩くと結構な時間を要する。六番隊に友人が一人もおらず、辛うじて理吉さんとよく喋るぐらいだった。先輩で、しかも男性である理吉さんに朝起こしに来てくださいと頼めるほど私は浅はかな女ではない。

始業時間は八時半、今の時刻は九時。どう頑張っても遅刻、どう足掻いても絶望である。時間を巻き戻すか、タイムマシンを開発するか、光のスピードより速く走るかしないと遅刻である。私はまだ汚れ一つない死覇装に腕を通しながら、どうすれば隊長に怒られないで済むかを考えた。途中で倒れている人を見つけたから病院に運んだということにすれば良いのではないか、それとも途中で不良に絡まれて到着が遅れたことにすれば良いか、それとも……
一通り考えを巡らせたところで、私は考えることをやめた。いくらここで作戦を練ったところで、私はあの隊長の前で嘘を押し通せるほど心の強い女ではない。彼のことだ、私の嘘なんて一発で見抜いてしまう。

もしかしたら、正直に話せば、そんなに怒られないかもしれない。根拠のない自信が私の中に渦巻いた。昨日の今日だ。もしかしたら、少し優しくなっているかもしれない。私はそう自分に言い聞かせて寮を出た。




「一週間で二回遅刻とは、我が隊も随分と舐められたものだな。」

私を見下ろす隊長は、相変わらず下等生物を見るような目をしていた。昨日の少し優しい目をした隊長は一寸たりとも存在しない。私の目の前にいるのは、私を恐怖へと陥れるいつもの隊長だった。

私が六番隊の隊舎に着いた頃には、そこはもぬけの殻だった。私はものすごく焦ったが、その後すぐに、今日から剣の稽古が始まるのだということを思い出した。恐らく修練場にいるのだろう。そう思ってそちらへ向かおうとしたが、如何せん修練場の場所がわからない。途方に暮れてその場で立ち尽くしているところに、隊長がやってきたのだ。

「本当に申し訳ございません……。」

「何故遅刻した。」

「……ね、寝坊を、してしまって……。」

私の寝坊という言葉を聞いた瞬間に、隊長の霊圧がゆらりと上昇した。私はヒィッと小さく声を漏らした。怖くて隊長の目を見ることができなかった。

「……事前申告のない遅刻には処罰を課すと、以前申したはずだ。」

「は、はい、謹んでお受け致します……。」

「今日の夕刻、通常業務が終わった後に居残りだ。」

「えっ……あ、はい……。」

ようは残業である。私はかくんと肩を落とした。今日は久しぶりに婆様の家に寄ろうと思っていたのだ。残業ともなれば、おそらく時間的に不可能だろう。溶けてなくなったかと思っていた隊長への苦手意識が、じわじわとせり上がってくるのを感じた。

「今日から剣の稽古だ。移動するぞ。」

「は、はい。」

「何を呆けておる。付いてこい。」

隊長は羽織を翻し、私に背を向けた。私は慌てて隊長の背中を追いかけた。
あれ、もしかして、隊長は私を迎えに来てくれたのかな。そう思うと、少しだけ心が温かくなった。隊長が執務室に入ってきたタイミングからすると、私が到着したのを見計らって、場所を知らないであろう私を迎えに来てくれたのかもしれない。隊長のことだ、私が隊舎に遅れてやってきたことぐらい、霊圧を読めば簡単にわかってしまうのだろう。

「あの、隊長。」

「なんだ。」

「ありがとうございます。」

隊長は、私の言葉に立ち止まることも、振り向くこともなかった。だけどきっと、私の言葉は彼に届いているだろう。おそらく彼にとってはして当たり前のことだし、これが私ではなくて別の隊士だったとしても、同じことをしただろう。だけどその小さな気遣いが、私にとってはとても大きなもののように思えたのだった。



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