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研修が始まってから一週間が経った。理吉さんは六番隊の隊士とは思えないぐらい優しくて、仕事内容も一から丁寧に教えてくれて、私の心のオアシスだった。日々淡々と書類の仕事をこなすのは退屈ではあったが、苦ではなかった。早く戦闘の任務もこなしたいと思ったが、理吉さん曰く、それはだいぶ上の階級の死神の仕事らしい。こんなに頼りがいのある理吉さんだって、新米隊士の頃はずっと地獄蝶の世話を任されていたぐらいだ。私にそのような仕事が回ってくるのは、まだまだ先なのだろう。
早く戦線に出て戦いたいのはやまやまなのだが、私は書類の仕事をするのも好きだった。書類の仕事というよりかは、筆を動かすことが好きなのだ。私は昔から婆様の影響で字を書くのが大好きだった。婆様は名の知れた書道家で、流魂街の身ではありながら、瀞霊廷内でもそこそこ名の通った有名人なのだ。私はそこまで上手い訳ではないが、字が綺麗だと褒められることは多々ある。

「彩蓮さんって、文字書くの早いのに、とっても綺麗な字書くよね。」

理吉さんにそう言われれば、私はその嬉しさに胸がむず痒くなってしまう。この一週間、私は理吉さん以外の隊士とはほとんど口を利いていない。今私が手にしている膨大な量の書類は、一週間かけて仕上げて隊長に提出するというものだった。一日一日隊長に提出しに行く形ではないので苦手な隊長と顔を合わせる機会も少なく、私の心は日を追うごとに軽くなって行った。力仕事ともなれば男性の隊士の方が有利かもしれないが、机と向かい合う仕事となれば、文字を書きなれた私が圧倒的に有利なのだ。そのせいか、私のこなした書類の枚数は他の新米隊士の倍ほどの山を作っていた。

「さて、今日でこの仕事も大詰めだね。」

「…………あの、この書類って、隊長に提出しに行くんですよね?」

私の曇った顔を見て、理吉さんは私の心中を察したのだろう。理吉さんは、私が朽木隊長のことが苦手だということを知っている。私が苦手だと直接言った訳ではないが、たまに隊長が見回りで執務室を訪れると、私は決まって怯えた顔をするので、それを見てなんとなくわかっているのだろう。
彼は少し考え込んだ顔をしたが、その後ににっこりと笑って、お昼ご飯食べに行こうか、と言った。



「オレ、元はと言えば恋次さんに憧れて護廷十三隊に入ったんだ。」

食堂のカレーうどんを啜りながら、理吉さんは言った。私は理吉さんに奢ってもらった一回り小さなカレーうどんの具をつつきながら、彼の話を聞いた。

「だからほら、額の刺青も、少しでも恋次さんに近付きたくて入れたんだ。」

理吉さんは髪の毛をぐっと上に掻きあげると、確かにそこには副隊長の刺青を真似た模様が入っていた。
私はこれまで理吉さんのことを、なんとなく死神になったごく普通の隊士だと思い込んでいた。しかし彼は立派な目標があって、憧れる人がいて、それを目指して日々努力をしているのだ。理吉さんは、すごいなあ。私は少しだけ視線を落とした。

「彩蓮さんは、隊長と恋次さんが怖い?」

「えっ、あ、まあ、はい……少しだけ。」

「だよね、オレも昔は怒られっぱなしだったよ。だけど、隊長も恋次さんも、隊士一人一人のことをとても大切に思ってるんだよ。」

私は黙り込んでしまった。理吉さんはきっと、六番隊が大好きなんだ。昔からずっと憧れてきた人の下で働くことができて、とても幸せなのだろう。私の頭の中を、ふとたまちゃんの姿がよぎった。お互い忙しくてなかなか会うことができないが、彼女は自分の憧れる松本副隊長の下でどのような活躍を見せているのだろう。きっと毎日が楽しくて楽しくて仕方ないに違いない。そんな彼女のことも、理吉さんのことも、私は少しだけ羨ましく思った。

「彩蓮さん、入隊式の時に隊長に怒られてたよね?」

ぎくり、私の箸の動きが止まった。暫く忘れていたというのに、思い出してしまった。思い出すだけでも恐ろしい、隊長のあの表情。私は苦虫を噛み潰したような表情になった。

「……はい、私の不注意で……。」

「あ、いや、思い出させるために言った訳じゃないんだよ、ごめん。……でも、その時彩蓮さんを見て、昔のオレを見てるような気持ちになってさ。」

「昔の、理吉さん……?」

「オレも昔はよく怒られてたからさ……。だから、今回の研修はオレが彩蓮さんを教えるって立候補したんだ。」

「理吉さん、が?」

「うん。なんていうか、放っておけなかったんだ。」

彼の言葉は、じんわりと私の心を浸食していった。理吉さんが望んで私を引き受けてくれたという事実が、何よりも嬉しかった。だけど、自分が頼りない女に見られていたという事実がたまらなくやるせなかった。私は嬉しいような悔しいような、そんな複雑な気持ちになった。

「彩蓮さんは、何で護廷十三隊に入ったの?」

「私は……」

そこで言葉を区切った。私は、何故護廷十三隊に入ったのだろうか。きっかけは、婆様の病状の悪化だった。元々霊力のあった私は、生活費を稼ぐため死神を目指した。護廷十三隊。そこはかつて婆様が活躍していた舞台である。私は猛烈に憧れていた。死神というその存在を、ただ純粋に、かっこいいと思った。死神になろう、そう心に誓ったその日、私は婆様から彼女の斬魄刀を預かった。もう自分にはその刀の名前すら口にすることはできない、私の意思を継いでくれ、と。私はその名前も知らない斬魄刀と共に霊術院で血の滲むような努力をして、死神になった。
しかし、私はまだこの斬魄刀の名前を知らない。私にはまだまだ力が足りないのだろう。何か決定的な力が。強くなりたい、そう心から思っているというのに。何度も歯がゆい思いをした。

「……私、この人の下で働きたいから入隊したとか、そういうのはないんです。……だけど、強くなりたいんです。」

そう、私は強くなりたい。かつての婆様のように、強い死神になりたい。婆様の見ることのできなかったものを沢山見たいし、見せてやりたい。そして彼女が名を忘れてしまった相棒、斬魄刀の名前を見つけ出し、彼女に教えてあげたい。そう思った。

理吉さんは呆気にとられたような顔をしていた。何か変なことを言ってしまっただろうか。

「はは、すごくいい顔してるよ。そんな顔もできるんだね。」

「へ……?」

「彩蓮さん、強くなる方法、教えてあげようか。」

身を乗り出した理吉さんにつられて、私も少しだけ身を乗り出した。実際はカレーうどんが邪魔をしてあまり乗り出せなかったのだけれど。

「もしこれから先叱られたとしても、強くなりたいって心意気を忘れないで、そうやって顔を上げて、前を見てればいいよ。彩蓮さんは、絶対に強くなれる。実力はあるんだから。」

「前を……。」

「その前髪も、きみが気にしてるほど変じゃないから、そんなに気にする必要もないと思うよ。むしろ前髪が邪魔にならなくて良いじゃん。」

理吉さんはずいっと私のおでこを指差した。咄嗟に隠すようにそこに手をやるが、理吉さんのその一言で、私は自分が何故今までこんなに前髪を気にしていたのかがわからなくなってしまった。

顔を上げて、前を見て。私は理吉さんのその言葉を、一生忘れることはないだろう。それは強くなるには必要不可欠で当たり前すぎることなのに、私はそれを忘れかけていた。それを気付かせてくれた理吉さんは、本当に素晴らしい先輩だ。

「……理吉さん。」

「ん?」

「私の研修を担当して下さり、本当にありがとうございます。」

理吉さんのいるこの六番隊で、頑張ってみよう。隊長も副隊長も少し苦手だけど、顔を上げて、前を見て、頑張ってみよう。お叱りの言葉も罵声も、きっといつか、私の糧となるのだから。
私は深々と頭を下げた。顔を下げた自分の視界はカレーうどんの汁だった。もし前髪が長かったら髪が汁に染まっていたところだったので、短い前髪も捨てたものじゃない。そう思った。



130220