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行きたくない、どうしよう、休みたい。出勤一日目から、私の足取りは重かった。本当に足に鉛が埋め込まれているような感覚である。

何故私がこんなに落ち込んでいるのかといえば。昨日隊長に呼び出しを食らって注意されたからというのもあるが、一番の原因は私が今遅刻中だということだ。目覚ましはしっかりかけたはずなのに、なぜか起きた時間は始業時間の五分前を指していた。慌てて飛び起きた私は三分で朝の支度を終え、隊の寮を飛び出した。寮の廊下は不気味なほどまでに静まり返っていた。当たり前だ、仕事一日目から遅刻をするなど言語道断。だいたいの隊士は始業時間の十五分前には既に隊舎に着いているだろう。
幸い寮から隊舎までは走れば五分で着くのだが、あの隊長のことだ。遅刻は一秒たりとも許されないだろう。半べそをかきながらの私の猛ダッシュも空しく、遠くの方で始業を知らせる鐘が鳴った。その音を合図に、私の足は次第に減速していった。どうせもう走っても間に合わないのだから、ゆっくり行こう。始業開始から少したってから、さも初めからいましたよ、という雰囲気を醸し出しながら自分の席に着こう。そう思った。

そう自分に言い聞かせている間も、私の足取りは重い。今日からあの隊長の下で働くのである。隊長の中では、今期の新米隊員の中で一番のハズレは私ということになっているのだろう。情けない。私はこめかみのあたりをぐっと押さえた。
こんなんじゃだめだ。私はぐっと涙を堪えた。私は婆様のためにこの護廷十三隊を目指して何年間も頑張ってきたんじゃないか。大好きな婆様の叶えることのできなかった願いを叶えるため、私は今まで血の滲むような努力をしてきた。
私は、自分の腰の斬魄刀をそっと撫でた。



なんだかんだで十五分の遅刻である。きっと中ではもう仕事が始まっているだろう。トイレからでも帰ってきたかのような表情で自分の席に着けば良い。六番隊の執務室の前、私は異様に脈打つ心臓を抑え込み、そっとその扉を開けた。その隙間から中の様子を覗く。中の様子を見た私は、背筋が凍りつくのを感じた。恐らく六番隊の隊士全員が隊長と副隊長の前にきちんと整列し、副隊長の話を聞いているではないか。この光景は、おそらく朝礼である。副隊長の話は本日の任務の内容と、新米隊員は朝礼が終わり次第前へ、という内容だった。朝礼が終わったら、皆に混ざって前に行こう。それで作戦成功だ。私は耳をそば立て、副隊長の話を聞いた。

副隊長の話も終わり、いよいよ解散だろう。私は大きく深呼吸をした。なるべく目立たないように中に入ろう。床に這いながら入れば目立たないだろうか。そんなことを考え始めた頃。それまで言葉一つ発することのなかった隊長が、徐に口を開いた。

「……ということだ。では、出席を取る。」

ああ、終わった。私はそのまま壁に背中を預け、ずるずると座り込んだ。怖い。私は朽木隊長が怖い。本当にどうしようもないぐらい怖い。今この瞬間に滑り込んだとしても、私は新米隊士のくせに初回から遅刻をした使えない死神として公衆の面前でお叱りを受けることになるだろう。これはもう、いないふりをして、後から遅刻してきて隊首室で一対一でお叱りを受けた方が良いような気がする。六番隊隊士全員の前で恥をかくか、隊長一人の前で恥をかくかの問題だ。どうせこの時間に部屋に入ったとしても、後から遅刻してきても、どうせ遅刻なのだ。どう足掻いても処罰が与えられるだろう。それならば。

私は壁に背中を預け、点呼が終わるのをただひたすら待った。自分の名前が近付いてくる気配に、思わず耳を塞いだ。

「彩蓮京葭。」

扉一枚隔てたその向こうから、隊長の低い声で名前を呼ばれる。全身から汗が噴き出す。ああ、いやだ、怖い。耳を塞いでいても、嫌でも私の名前が耳に舞い込んできた。

「彩蓮京葭、いないのか。」

もちろんその言葉に反応する人は一人もいない。部屋の中が騒然としているのがわかった。それもそのはず。私以外誰一人欠席者がいない中、唯一の欠席者が新米隊士なのだから。私は思わずその場から逃げ出したくなった。

「隊長、ソイツあれじゃないすか、昨日隊長が注意した……」

「ああ、そうだな。」

「もしかしたら、叱られて心折れて六番隊辞めたいとか言い出すパターンじゃないっすかね?」

私は半泣きだった。六番隊を辞めたい、とは昨日の夜ずっと考えていたことだ。あわよくば他の隊に、十番隊に、と。わかっているつもりだ。こんな豆腐メンタルでは私はどの隊に行ってもきっと上手くやっていけない。叱られることが怖いなど、金を貰って働く身となってみれば、とんだ甘えたせりふである。心では十分にそのことを理解している。だけど、やっぱり。私は唇を噛み締めた。

「……その心配は無用だ。」

「え?」

「彩蓮。いつまでそこに隠れているつもりだ。」

一瞬、私の周りが無音になった。耳鳴りがうるさい、そう思ってしまう程には。私には隊長の言った言葉を理解するのに時間が必要だった。いつまでそこに、隠れているつもりだ。隊長は確かにそう言った。隊長には、私がここに身を潜ませているということがお見通しだったらしい。私には、次に自分が取るべき行動がわからなかった。

「彩蓮。」

彼が私の苗字を呼ぶ声が、若干近くなった。そう思った次の瞬間、目の前の大きな扉がガラリと開いた。そこから姿を現したのは、やはり隊長だった。凄まじい眼光をその目に宿し、私を見下ろしている。その場に座り込んでいた私には、隊長の無駄な高身長がより一層高く見えた。私は思わずその場に座ったまま後ずさりする。

「……。」

「……ち、遅刻してしまい、申し訳ございません……。」

小さく掠れた声で、なんとか謝罪の言葉を口にする。今の私は、とんでもなく情けない目をしているだろう。人殺しを前に命乞いをしているような、そんな気分になっていた。数秒間の目線の攻防戦の後、隊長は顔色一つ変えずに私に背を向けた。

「中に入ったらどうだ。」

「……はい。」

「手前の列の後に並べ。」

「……はい。」

恐る恐る執務室に足を踏み入れれば、全員の視線が一斉に私を見た。私は今にも逃げ出したくなる気持ちを抑え、手前の列の一番後に並んだ。顔はずっと真下を向いたままだ。私の目は、ただひたすらに自分の足元と床の木目を映していた。隊長の点呼が終わるまでの時間が、妙に長く感じられた。



130219